はあ、と漏れた溜息が予想以上に熱っぽさを孕んでいて、緑間は思わず舌打ちを零した。薬を取りに行こうにも、その肝心の薬が今現在部室の鞄に押し込まれているが為に取りに行こうにも行けない状況だ。緑間はあからさまな舌打ちをもう一度零し、自分の身体が火照り始めている事をどうにかごまかす為に冷たいスポーツドリンクをごくりと一口飲んだ。

α性、β性…そしてΩ性。生まれた時から優劣が付いているこの世界で、Ω性は差別の対象であった。その為、Ω性は自らの性質を偽る必要がある。…大半を占めている性質である、β性に。α性は人の上に立つ才能を持った人間だ。生まれた時からこの性質だけで将来が決まるなんて馬鹿げている話だが、仕方が無いことだろうと緑間は割り切っている。どう足掻いたって緑間は…Ω性は、αのフェロモンに当てられてしまったら敵わないのだから。

何故自分がΩなのだろう、と考えた事が無かった訳でもないし、両親を恨まなかった訳でもない。どうして、自分が。しかし幾らそう思ったって現実は非情なもので何も変わりはしないのだ。それならば、と緑間は自分をβ性として偽る事を決めたのだった。

しかし、
これは、マズイかもしれない。


(なんで、だ、早い…どうして、こんな。薬、薬を飲まなければ)

情けなく震える足を叱咤して何とか練習を続けるが、時間が経てば経つにつれてこの奇妙な感覚が深まるばかりだった。しまいには高尾のパスを受け取る事が出来ない程に思考が止まってしまって、ああ、これは駄目かもしれないと膝をついてしまう始末。情けなさに、涙が滲みそうだった。

「真ちゃん!大丈夫?!」
「あ、ああ…平気なのだよ」
「嘘、めちゃくちゃ顔色悪いよ?無理すんな…保健室にでも…」
「だから!大丈夫だと言っている!」

心配そうに駆け寄って来た高尾が差し出した手を振り払い、自分の力で何とか立ち上がる事が出来た。…悔しかったのだ。自分が、Ω性であるが故のこの失態に対して心配される事が何よりもの屈辱だった。高尾は悪くないとは分かっていても、それを素直に享受できる程の理性は残されてはいなかった。とりあえず、部室に戻りたかった。はやく戻って、はやく薬を飲んで、薬が効くまでの間だけでも一人になりたかった。
緑間はふらつく足で、すみません部室に戻ります、と告げ体育館を後にする。心配そうに見つめる三つの目と、一つの確信を持ったような目に、緑間が気付くことは出来なかった。


「…くす、り、どこにしまったっけ」

ロッカーに手をつき何とか自分の身体を支えた。膝は笑い身体は震え、誰がどうみてもこの自分の姿は発情期のΩその物だとわかった。ずっと薬を飲み続けて回避していたこの初めての体験に、あまりの非日常さに、泣きそうになるのを抑える術を緑間は持ってはいなかった。涙腺がいつもより緩いのも、全てΩ性の特質の所為にしてしまえば多少は楽になれるような気がした。

…その時、部室のドアがガチャリと音をたてた。

「…し、んちゃん」
「…っ!?」

そこに立っていたのは、高尾だった。高尾、なぜ、戻ってくれ。そう告げようとしたのに、言葉が出ない。何故、どうして、動け、と脳は命令を出しているのに、身体はそれを拒んでいた。ただ、高尾の瞳の奥に孕んだ僅かな熱を、緑間のそれで捉えることしか出来なかった。どくん、どくんと心臓は大きく波打ち、身体の震えは尚更酷くなる。そうして、高尾が一歩近づいて来た時に感じた微かな、しかし強い甘い香りを感じた時、ああ、これは駄目だ、と膝を着いて悟った。
高尾は、α性なのだと。

「…真、ちゃ…ごめ、何これ、どうしよう、真ちゃん」
「たか、来ないで、高尾、たか…っ」

高尾が困惑したように眉尻を下げ、膝を着いた緑間の肩を強く押し、部室の床へと横たえた。そのまま馬乗りになるように乗ってきた高尾は、ごめん、ごめん、と謝りながらも荒々しく口付けを交わしてくる。息が苦しくて、思わず唇を僅かに開くともう駄目だった。待ってましたとばかりに入ってきた高尾の舌に、翻弄されるしかない。

「……っ、ん」
「真ちゃん、服、脱いで」
「…や、やっ、やぁ…だ、」
「真ちゃん!」
「ふぇ、え…ぅ、や、たかお、たか…ぁ」

α性の言うことは、絶対だ。
それは、Ω性の本能として組み込まれていること。本能には、理性は敵わない。知っているけれど、緑間の僅かながらに残ったその理性の糸が、嫌だ、嫌だと告げていた。泣きじゃくりながら、嫌だ、嫌だと告げても言っている事とやっている事はちぐはくで、緑間の両腕は確実にTシャツの裾を掴んでいた。ああ、いやだ、いやだ。やめて。脳が必死にそう命令を出しても、本能は聞き入れない。そして、高尾がはやく、とでも言うように首筋に顔を埋めて噛み付いてくると、僅かに残っていた理性の糸がプツリと切れたのが分かった。

「たかっ、ぁ、お」

緑間からも触れるだけのキスを仕掛けてやると、それを合図だと言わんばかりに高尾は緑間の下腹部へと手を伸ばそうと右手を下へずらした。
その時、ガタリと何処かで大きな音が鳴り、緑間と高尾はハッと我に返った。自分達が今何をしでかそうとしたのかも、また、何をしてきたのかも、そして、今自分の上に、下に居るのは一体誰なのか、も。

「ぁ、あ…しんちゃ、ちが、そんなつもりじゃ…」
「たか、高尾…?」
「ごめ、ごめんね、真ちゃん、怖かったよな、ごめんな…っ、ごめ…」
「たかっ!」
「う…ぅ、真ちゃ、ん、好きだ、俺、真ちゃんが好きなんだ」

好きなのに、俺、ごめんね。と高尾は顔を両手で覆ってひくり、ひくりと肩を震わせる。高尾は悪くないのに。むしろ悪いのは自分なのに。高尾を抱きしめてあげたかったけれど、発情期に差し掛かっている緑間がもし、もしダイレクトに、先程のように高尾の放つフェロモンを嗅いでしまったとしたら。きっと、先程のように上手く逃れる事はできない。雌のようにはしたなく高尾を求め、淫蕩に高尾を誘い、種を植え付けてもらうことを強請るだけだ。そんなの、そんなのは嫌だ。

この男とは、同じ位置に立って居たいのに。

緑間もまた、涙を零した。高尾がいつか、自分に追いつきたいと言った言葉を思い出して、涙した。
本当は、追いつくのは、追いつきたかったのは自分であったのだと、そう、涙した。





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -