37. | ナノ


目を開ければ、空には満天の星空が浮かんでいた。きらきらと輝く無数の小さな星と、たまに混ざる大きな星々。宇宙の塵や埃と言ったような物質は、地球では流れ星と呼ばれ数々の人々の願いや希望を背負って消えていく。高尾は気怠さを堪えて身を起こした。無造作に脱ぎ捨てられた服を身に付ける途中、いつもより服が皺くちゃであることに気が付いた。昨日、自分はどれほど余裕がなかったのだろうか。ベッドで未だ寝息をたてるもう一人に目をやれば嫌でも分かった。いつもは眠りが浅く自分がベッドから抜け出せばどうした、と聞いてくる恋人は、今は死んだように眠りについている。疲れたのだろう、申し訳ない事をしてしまった。高尾は顔を歪めながら、ナイトキャップすら付けずに寝てしまった緑間の髪を無造作に撫でた。枕に散らばる緑色の髪から、明日の彼は寝癖が酷いかもしれないな、なんて思いながら。

ベランダに出て、空を見上げた。ペタリとサンダルを鳴らして、踵を踏む。素足に、サンダルの凹凸が食い込んで、少しだけ痛みを感じた。
空は濃い藍色に包まれ、下に下がれば街灯に照らされて藍色は浅くなり、グラデーションを綺麗に醸し出す。はあ、と高尾は溜息を吐いてベランダの柵に寄り掛かり、鼻歌を歌う。最近緑間が聴いていた、オペラのフレーズだった。モーツァルトの、フィガロの結婚。
緑間はクラシックやオペラ、バレエなどの音楽を好いている。高尾はロック系やJポップなど、最近流行りの音楽を好む節があるので少々緑間の趣向は分からないけれど、彼が音楽を聴いている時の表情が好きだった。知っているフレーズは、鼻歌を歌い左手と右手をぱらぱらと動かす。空中でピアノを弾くその姿は、まるで本当に音楽を奏でているようだったのだ。



「…フィガロ、か」

はっ、と後ろを振り向くと、シーツを頭からすっぽりと被った緑間がそこに立っていた。シーツに包まってはいるものの、下着だけを身に付けた緑間の半裸体は昨日の情事の酷さを伝えているようだった。高尾は、眉を下げる。ごめんね、と小さな声で呟けば、何がだ、と彼は掠れた声で返した。
ペタリと緑間が素足でベランダに踏み込んだ。流石に寒いのか、シーツを前で押さえながら腰を屈めて高尾の隣に立つ。

「…なあ、高尾」
「なあに、真ちゃん」
「オルフェウスの冥府下り、知っているか?」

オルフェウス。竪琴を奏でる吟遊詩人で、ギリシア神話に登場する。彼は妻を亡くし、彼女を取り戻す為に言葉の通り冥府を下った。決して振り向いてはいけない、その言葉を最後の最後で守れず振り返ってしまったオルフェウスは、結局妻を取り戻す事は出来なかった、そんな話だった気がする。高尾が頷くと、緑間はふっと表情を和らげ、高尾の隣に立つ。そして一番大きな星を指差した。そして、その星のすぐそばにある、小さな星に指先の方向を変える。

「エウリュディケーはどんな表情だったのだろうな」
「エウリュディケーって、妻?」
「ああ。振り返ってしまった時のオルフェウスを見た時の彼女は、どんな表情だったのだろう」

絶望だろうか、それとも、なんだろうか。緑間は目を伏せてそう呟いた。考えたくないなあ、と高尾も同じように呟いてみせる。

「昔な、同じ話題を赤司とした事があったのだよ」
「…へえ」
「愚かだな、と赤司は嗤ったのだがな。俺はそうは思えなくてな」

ベランダに肘をついて緑間はどこか遠くを見つめていた。昔を思い出しているのかもしれない。一等星は相も変わらず神々しい光を伝えていた。高尾はそれを見つめながら、「そうだね、エウリュディケーはこう思ったんじゃねぇかな」と空に手を翳した。

「…何を」
「これで良かった、とか?」
「適当だな」
「そんなもんでしょ、人間って」
「…神話だぞ?人間とは違う」
「けどギリシア神話の神様も登場人物にも感情はある。きたねぇところも、綺麗なところもある」

人間ではなくても、きっと考える事は同じだろう、と笑うと、緑間はくしゃりと顔を歪めた。その答えが欲しかったんでしょ、と悪戯に笑いながら自分より高い位置にある緑間の頬を両手で包み込む。背伸びをした所で待ったく届かない身長差を恨めしく思わない訳ではないが、これはこれで良い。高校生活も後半を迎えてから、高尾はそう開き直れるようにはなっていた。それくらい、大人になっていたのだ。恐らくは、緑間も。

「だから心配すんなよ。何が怖いのさ」

高尾は緑間の肩に自分の頭を傾けて乗せる。シーツの特徴的な感触がなんだかとても懐かしく、そして落ち着くような気がしてそのまま静かに目を閉じた。緑間は、その高尾の頭に自分のそれをこてりと傾けた。身長差があるからこそ出来るこの戯れは嫌いではなくて、むず痒さを感じながら左目を開けて緑間を覗き見た。困ったように、戸惑ったように、何かに怯えるように。緑間は大きな身体を小さく震わせていた。

「…行くなよ、どこにも」
「…え?」
「あの神話のように、消えたりするな」

ああ、不安だったのか。
高尾は緑間の大きな身体を抱き締めた。その時、抱き締めやすいようにと緑間が膝を折ってくれて、そんな小さな計らいに、ああ、俺愛されてるなあなんて馬鹿みたいに嬉しくなった。キラリとまた流れ星が流れ、速度を上げて藍色のキャンパスに燃える赤を残して消えていく。消えないで、と思った。消えてしまったら、会えないじゃないか、とも思った。
緑間が自分に居なくならないで欲しいと思ってくれているのと同じように、高尾も緑間が居なくなってしまうのが何よりも怖かったのだ。

「真ちゃん」
「…なんだ」
「消えねぇよ、だから真ちゃんも消えないで。側に居ろよ」

だらんと垂れ下がったままの緑間の右手に自分の指を絡めた。そして何があっても離すまいと力を込めてみせる。緑間も、同じように力を込めて握り返してくれて、それが何よりも嬉しくて。高尾は泣きそうになりながら、笑った。共依存、自分達に似合う言葉はまさにそれだ。誰かはきっと、自分達を愚かだと笑うかもしれない、けど、それでも良かった。良かったのだ、と高尾は自分の足に目を移した。




依存する高緑、と言う事だったので何故か頭にオルフェウスが浮かんでしまいまして…電波な文で申し訳ないです…。リクエストどうもありがとうございました。
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