それじゃあ、本当に今日はありがとうございました。そう告げて玄関を閉めた後の静寂に、ああ、やっと終わったと高尾は一つ安堵の溜息を零した。そうして、これから新しい我が家になる2LDKの簡素な部屋をぐるりと見渡す。必要最低限のものしか持ってこなかった部屋の中は、今までに比べて遥かに寂しく、殺風景に思えた。まあ、それはいいのだ。高尾は小さく微笑み、リビングへと足を進めた。これから、揃えて行けばいいのだから。

「真ちゃーん、夕飯どうしよっか」

リビングの段ボールの塀の中でもそもそと動いている緑色に声を掛ける。すると、段ボールの陰からひょっこりと顔を出した緑間は、コンビニ弁当以外なら、と呟くように返事を返した。緑間はコンビニ弁当やインスタントラーメンのような類が苦手な節があった。それは高校時代からで、緑間の弁当はいつも彩りの豊かな手作りの物だったのをふと思い出す。それなら、近くにファミリーレストランがあったはずだから、其処に行こうか、という高尾の提案に、緑間は素直にこくりと頷いた。時刻は17時を少し回った程度。まだ夕飯にするには時間がある。

「真ちゃん、ちょおーっと早いけどさ、出る準備して。寄りたい所があるんだ。すぐ着くからさ」


**

「寒いなー」
「まあ、まだ3月だからな」

ダッフルコートに、マフラーという真冬の格好をしても寒さが肌を刺すように襲ってくる。気温は真冬と対して変わらないのに、太陽が沈むまでの時間は着実に春へ向けて準備を始めていた。真冬ならばきっと、今頃は空に星が見え始めただろうが、今は茜色の空が無限に広がりを見せていた。高尾は、アスファルトの地面を蹴飛ばすように歩いて、緑間の横顔を盗み見る。高校時代に比べて、鋭さの減った彼の表情は、歳を重ねる度にバリエーションを豊かにしていった。今の緑間は、ふんわりと微笑んでいる。

「真ちゃん、笑うようになったよね」
「そうか?」
「うん、優しく笑うようになった」
「…誰かさんのせいでな」

表情というのは、移るものなのだよ。
それって、それって。高尾が追求する前に、緑間は少し歩を進めて早くしろ、と促す。真っ赤な顔で。高尾の顔に、熱が集中するのが分かった。きっと自分も彼に負けず劣らず真っ赤な顔をしているのだろう。勝てないなぁ。高尾はそう胸の内で呟いた。



「ところで、行きたい場所とはどこなのだよ」
「ああ、うん。もう少し」

ほら、見えた。
高尾が指差した先にあったのは、手入れされたとはとても言えない廃墟だった。何故、こんな場所に。緑間がそう疑問を踏まえながら高尾を見ると、高尾は目を細めてにっと笑い、何だと思う?これ、と。緑間は廃墟に目を移し、上から下までじっくりと観察する。丸い屋根に、硝子の玄関。昔は誰か訪れていたのか、錆びた駐輪場もあった。それらを考慮した上で緑間が出した結論は。

「プラネタリウム、か?」
「正解!今は見にくる人が居なくなっちまって廃墟だけどな」
「…そう、か」
「ここな、一回真ちゃんときたかったんだ」

まあ、それは叶わず廃墟になっちまったけどな。寂しげに笑う高尾の髪を、緑間は無造作にわしゃわしゃと撫でた。良いのだ、別に。プラネタリウムが見られやしなくたって構わない。廃墟だって、構わない。高尾が、自分と此処に来たかったのだと言ってくれた事が、緑間は何よりも嬉しかった。ありがとう、高尾。そう告げると、寂しげな高尾の表情が途端に花が咲いたように綻んだ。

既に、空は茜色から深い碧へと変わり始めていた。暗くなった空を見上げた高尾が、あっ。と声を上げる。つられて空に目を移した緑間も、あ。と声をあげた。空には、満天の星がキラキラと輝いて、それはまるでプラネタリウムのように、幻想的な空間を醸し出していた。

「…綺麗、だな」
「プラネタリウムも良いが、やはり此方の方が断然良いものだな」
「ふは、この廃墟が見せてくれたのかなぁ」

ねえ、見て。高尾が指差した先にあったのは、かの有名な北斗七星。ドゥーベ、メラク、フェクダ、メグエス、アリオト、ミザール、アルカイド、ベネトナシュ。一等星ではない星々ではあるけれど、特別な異彩を放っているその星々の並びが本当に美しかった。緑間は、誘われるように高尾が伸ばしていた右手にそっと、もうテーピングで保護される事はない左手を重ねた。そうして、ぎゅっと高尾の右手を握り締める。

「…これからもよろしく、高尾」

目を見開き、緑間を凝視していた高尾は、それを聞いてゆっくりと目を細める。そして、高校時代と何ら大差ない万遍の笑顔を浮かべた。胸に広がる暖かさと、愛おしさを噛み締める。伸ばしていた手をゆっくりと下ろし、一方的に握り締められていた右手を一回離し指を絡めるようにして繋ぎ合わせた。緑間の手の冷たさと、自分の右手の暖かさが溶けて行くように伝わる。同じ温度になったらいいな。そう、思った。

「こちらこそ、よろしくな」

じゃあ、そろそろ夕飯にしますか。
そう言って高尾が踵を返し、緑間もそれに続いて廃墟を後ろにし、2人は歩き出した。

さて、明日は君と何をしようか。








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