「…投了、なのだよ」

赤司が出した将棋の駒を見てから数秒後、緑間は肩を落としてそう呟いた。赤司は惜しかったね、少しだけヒヤッとしたよと笑いながら将棋の駒を片付け始める。それを不貞腐れたように俯き眉を顰め唇を軽く尖らせながら見つめていた緑間の姿に、赤司は目を細めながら愛おしそうに見つめた。沈みかけた太陽が、優しい橙と紅のグラデーションを生み出し、教室を暖かく照らしていた。

「皮肉か、皮肉なのか馬鹿め。顔色一つ変えなかったくせに何を言うのだよ馬鹿め。…馬鹿め、馬鹿め」
「馬鹿馬鹿言い過ぎたよ真太郎。少し傷付いちゃった」
「嘘つけ!鉄の…いやむしろダイヤモンド並みの心臓のくせに」
「うわ、傷付いたなー。あーあ、今日は真太郎に餡蜜奢ってやろうと思ったのに」

それを聞いた緑間の肩があからさまにびくりと大きく震え、がばりと顔を上げた際に、赤司の顔が随分と近くにある事に面食らい目を丸くした。赤司が机に乗り出し顔を近づけていた事に、ずっと俯いていた緑間は気づかなかったからだ。赤司は悪戯に笑い緑間のテーピングが綺麗に施された左手を優しく手にとり、ゆっくりと自分の口許に当てがった。そうして、口許を三日月型にニヤリと歪める。

「…謝罪は要らないよ。代わりに緑間からちゅーしてくれたら許してやる」
「……あっ、え、はぁっ?!」
「ほら、早く早く」

赤司の紅い双眼が緑間の翡翠のそれを捉えて離さない。ああ、何でこんな事に。緑間は先程の自分の失態を恨むが過ぎてしまったことは仕方が無い。元々拒否権はないのだし、絶対に傷付いてなどいない赤司に謝るのは絶対に出来なかっただろう。天邪鬼な性格が災いになっただけだ。しかしそれが自分の羞恥心を見事にボコボコにするような事に繋がるだなんて。
緑間は目を伏せ、どうしてもしなければダメかと呟いた。餡蜜が食べたいならね、と意地が悪そうに告げられたそれは、もはや緑間にとっては死刑宣告そのものだった。

「…わかったのだよ」
「ん、じゃあほら、早く」

赤司はゆったりと瞼を閉じた。緑間は赤司の頬に手を添え、ゆっくりと、ゆっくりと自分の顔を近づけて行く。ああ、どうしよう。近い。近い。
半ばパニック状態に陥った緑間の両頬を透明な雫が伝う。近づかれる事は慣れてしまったが、近づく事は初めてで、どうしたら良いのか本当にわからない。ただ十数センチのその距離が、途方もないくらい遠い物に感じられた。

「…あか、し、やっぱり無理だ、むり、死ぬ…っ」
「死なないよ、ほら早く」
「だ、だってちかい、近いのだよ、」
「僕からキスをする時だって近いじゃないか」
「だって、」

その時は一杯一杯で、目を開けてられなかったから。だから、赤司の地毛と全く同じ色の睫毛も、筋がしっかりと通った鼻も、薄い唇も、こんなに近くで見るのは本当に初めてだから。そう首を振りを続けるけれど、優しく涙を拭われた際に見た赤司の双眼は、先程と全く変わらない。最初から答えなど決まっているのだ。わかった、やる。そう了承した時点で赤司の中にはその答えしかないだから。
緑間は洟水を啜りながら、赤司の頬にもう一度手を添え、顔を近づける。けど、やはり口許にする事ができる程の余裕はなくて、緑間は口許から少し左にずれたところに口付けを落とした。

「…口にしてくれないのかい」
「…口にしろとは言われて、ない」
「ふふ、そうだね。まあいいや」

よくできました。
赤司は優しく笑って、緑間の髪を指に絡めそこに口付けを落とした。緑間はセーターの裾を伸ばしそこで涙でぐちゃぐちゃになった顔を拭う。よくできました、なんて嬉しくもなんともないのに、安心している自分に、酷く腹が立った。


.





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -