西洋の文化が遂にこの国にも浸透してきた。中心都市と言われる東京府では煉瓦造りの建物や丸ビルが建設されひと昔前までの面影は消えつつある。洋装に身を包み上品に笑いながら通り過ぎる女学生を横目に見ながら、何とも言えない息苦しさを感じ、真太郎は履いていた下駄をからんと鳴らした。

「遅かったね、真太郎」
「すまない、ああ、珈琲を一つ」

鋭くそして強い紅と橙の瞳を細めながら笑う友人、赤司に頭を下げ彼の前の席に腰掛けながら珈琲を頼んだ。正直珈琲はあまり好きではない。あと独特の苦味が、どうしても受け付けないのである。
それを赤司も知っているので、珈琲で大丈夫なのかいと含み笑いをしながら訪ねてきたが、あえて何も答えなかった。ちょっとした、赤司に負けたくはないという対抗心で頼んだだけなのだから、それを本人に言うのは可笑しい話である。
暫くすると湯気を立てた珈琲が運ばれてきた。笑みを浮かべる女給付の瞳は間違いなく熱の籠った瞳で自分を捉えている。真太郎は、自分の出来る最大限の甘い声と笑みを浮かべ、ありがとうと告げた。途端に頬を染める彼女、赤司はそれを呆れ半分で見つめていた。

「真太郎も罪作りだな」
「そうか?」
「ああ、お前は硬派なのか軟派なのか全く理解出来ない」
「軟派な輩は好かん、俺は決して女性を誑かし遊び捨てるような低俗な事はしない」

ただ…と真太郎は目を伏せた。女性のそれと負けず劣らない長い睫毛を、赤司は見つめた。真太郎は妖しく小首を傾げて見せて、劣情を煽るのは嫌いではないのだよ、赤司。とこれまた妖艶に笑う、嗤う。赤司は冷め始めた珈琲を口に含んで、

「…全く、お前のそういった所は嫌いになれないよ」



***

緑間家の長男として様々な強要を強いられた。学問、武術、それから芸術。今の世の中は確かに学問に励む学生が増えており、教養も高い。しかし何だか鼻につく嫌らしさがあるような気がして、珈琲同様にどうしても好く事が出来ない。
縁談や許嫁など真っ平御免だったし、緑間家の長男として、という肩書きも大嫌いだった。緑間家は赤司家に続く…いや、お互いに仲が良いのだ、連携して、と言った方が良いかもしれない。兎に角緑間家は大変成功していたのだ。
その次期跡取りである真太郎は、沢山の女性から好意を抱かれた。金銭しかり、家柄しかり、そして真太郎の整った端正な顔立ちしかりが手伝って。

(…糞食らえだ、女なんぞ他の輩にくれてやる。俺が欲しいのはそんなものじゃない)

つぅ、と自らの頬を人差し指でなぞり、真太郎は自室の床に寝そべる。確か、今日赤司は遊郭に出向くと言っていた。女性目的ではなく、赤司財閥の下の下、確か繋がっているのか繋がっていないか分からないようなくらい遠縁に遊郭があるそうなので、そこに何らかの交渉に行くようだった。洋装に身を包んだ赤司の姿を思い出し、はぁと溜息を零す。彼の和装が好きだったのだが、すっかり変わってしまった。


「真太郎さん、真太郎さん。どうしたんですかい、そんな溜息ばかりついて」

真太郎が目を向けると、自室の外の庭、そこに黒髪の青年が屈託無く笑っているのが見えた。庭師の和成だ。和成は、いつもその明るい笑顔を振りまいて挨拶をし、尚且つ礼儀正しく、緑間家の家の者、使いの者からも慕われている。真太郎も、和成だけは家の使いの中で唯一信用し、慕っていた。そして、何より。

「…かずなり、か」
「へい!真太郎さん、溜息ばかり吐くと幸せが逃げちまいますよ…なーんてな」

灰褐色の瞳を瞬かせ、和成は一度真太郎から背を向ける。パチン、という音が響いた。どうやら庭の花のうちのどれかを切り落としたようだ。そして和成は再び真太郎の方を向き直し、つかつかと近寄ってくる。あがっても?と尋ねるものだから、力なく頷き返した。聞くだけ無駄なのに、拒む理由なんてないのに。

「…真太郎、髪、触っても?」
「…うん、構わない」

和成は土で薄汚れた右手で真太郎の髪をさらりと撫でる。そこに、何かを刺した。手で確認すると、花びらの特徴的な肌触りがする。先程、和成が切った花のようだった。
和成は、愛おしげに真太郎を見て、ああ、よく似合っていると彼を抱き締めた。そして、真太郎の目尻にくちづけを落とす。柔らかい唇の感触に、真太郎は肩をぴくん、と跳ねさせた。

「…ふふ、可愛い」
「ば、か」
「真太郎、真ちゃん、すき、だぁいすき。今日はどこの女ひっかけたの」
「カフェテリアの女給付」
「かわい?」
「嫉妬してくれないのか?」

するに決まってるじゃん、と和成は笑う。よく笑う男だ、と真太郎は彼の頬に、先程自らにしたように人差し指を走らせ、彼の和装に顔を埋めた。

「…真太郎、?」
「和成、ああ、かずなり」

背中に腕を回して、和成の背中を抱き締める、いや、背中に縋り付いた。家柄なんか知らない、道徳なんて真っ平御免だ。ただ只管に、目の前の男と一緒にいれたら嬉しいと女のように思う、それの何が悪いのか!
真太郎は和成をみる。和成が、はっと息を飲むのが分かった。どうか、彼の良心につけ込む自分の浅ましさに自重しながら、彼の胸に擦り寄った。

「…和成、連れて行け。俺を、遠くに」
「…し、んたろ」
「お前と、2人で居たい。こんな所、嫌なんだ。女だっていらない、変わってしまった友も要らないから」
「…っ!」
「かずなり、」

おまえの、みらいがほしいんだ。









「…真太郎、さん?」

翌日、大奥様が真太郎お坊ちゃんのお部屋に向かわれた時に、お坊ちゃんのお部屋はもぬけの殻だったそうです。新しい映画、確か英国の映画だったでしょうか、そのチラシの裏側に達筆な字でお世話になりましたとだけ書かれていたそうで。
赤司お坊ちゃんは何もおっしゃりませんでした。ただ、赤司お坊ちゃんは目をお伏せになられていまして、ぽそりとつぶかれたのです。

「…ああ、間に合わなかった。籠の鳥は、鍵をかけられてしまったのか」

と。籠の鳥、とは真太郎お坊ちゃんの事でございましょうが、私は何も口に出せませんでした。ただ、真太郎お坊ちゃんと一緒に消えてしまった、和成君の行方は何処へ。
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