一日だけ、一緒に逃げようか、真ちゃん。
ふわりと優しい微笑みを浮かべながらもどこか真剣な表情を瞳に宿した高尾の言葉がどろりと溶けて染みていく。
それは甘美な誘惑だった。高尾は真っ直ぐ、ただ真っ直ぐに手を伸ばしてこちらの様子を伺っている。この手を取るのはお前の自由だよ、と言っているかのように。

「……ん」

冬が近づき、強い風が僅かに残る鮮やかな色に染まったモミジをもぎ取る様にして飛ばす。マフラーに顔を埋めて、表情を見えないようにしながら高尾の手を取った。それは愚かな子供の、ちょっとした対抗心だったのだ。



「…ぶは、できたできた、どうよ!」
「きったねぇ字だな、あと字が違うのだよ馬鹿め」
「え、まじ?」

B5用紙のプリントの裏、油性のマジックで書かれた紙を片手に、高尾は笑う。座り込んだ高尾の膝で書かれた汚い字の婚姻届。実際は受理なんかされない、俺達2人にとっては単なる紙切れにすぎない。鼻をかむちり紙にすらならない、そんな価値のないただの紙だ。

「…高尾和成と、高尾真太郎っと…」
「おい」
「いーじゃん!この前真ちゃんさ、俺んち泊まった時に電話で、はい高尾ですって言ってくれたっしょ」
「…っあ、あれは!ぐ、卑怯だぞ貴様!」
「えっへへ」

そんな紙切れに、淡く脆く愚かな妄想を、幻想をただ只管に綴って。汚く拙い字で、書き殴るように。
高尾は笑っていたけれど、泣いていた。いや、涙は出てはいなかったけれど、泣き叫んでいたような気がする。あまりに切ない。自分達は、やはりただの子供にすぎないのだ。何の力もない、大人に頼るしかない、子供。

「…どこいこうか、新婚旅行」

唐突に、高尾が呟いた。
それは半ば、懇願だった。ずっと一緒に居られるようにという、懇願。悲しげに揺らいだ灰褐色の瞳をとらえながら、地面に目線を移す。溜まった落ち葉がふわふわとしたクッションのようだった。そこに落ちた雫は、雨か、それとも涙か。

「…どこでもいい、お前と一緒ならな」



ありもしない未来を、只管に綴って、願って、口に出した。それが残酷な返答だとは分かってはいたけれど、どうしても、止められなくて。
今度こそ、高尾は泣いた。顔をくしゃりと歪めて、みっともなく汚い顔で、鼻水垂らして、声を上げて、泣いた。
そうして、泣きながら俺の手を取り走り出す。少しでも遠くへ、遠くへと。誰にも邪魔されないネバーランドなんてものがあるならば、どうか連れて行って欲しかった。

「…しん、ちゃ…っう、ひぐっ」
「ばか…っ、なく、なっ…」
「すき、すきだよ…!すきだ、」
「言うな…、言うな馬鹿めっ、やだ、」

何故、同性に生まれて来てしまったのだろうか。
今でも忘れられない。ただただ、愛おしくて哀しくて、縋り付きたくて仕方が無かった俺を包み込んでくれた高尾の暖かさと、それを見られてしまった時の凍るような寒さ、どこか軽蔑の色の混じった、複数の瞳。

「…な、に、やってんだ、お前ら」

絶対零度、まさにそれが的確だった、あの声音。
こわい、こわくて仕方が無い。あの声音も、軽蔑の瞳も、高尾と離れるのも。全てが怖い。
高尾が居れば他はどうだっていい、それは半ば本心だった。しかし、高尾がそういった目で見られ、後ろ指を差され続けるのは耐えられない。
だから、だから。

「…言われたら、さよなら、出来ないだろうがぁっ!」


どうか、糸を、残さないで。


「したくねーんだもん!なんで…なんで…!」
「っ、う、」


馬鹿みたいに泣きじゃくりながら、走った。今日一日だけは誰にも邪魔をされないように。明日になったら、この恋情を断ち切れるように。



どうか、断ち切ってよ神様。
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テーマ「人外ファンタジー」
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