きっかけは些細なことだった。
2年にあがって同じクラスになって。最初は本当にただのクラスメートで、すれ違っても挨拶さえ交わさないような、同級生以上知り合い以下。だけれど彼女のよく通る笑い声は覚えているから、その頃から少しは気にしていたのかもしれない。






その日の放課後。部活に向かう途中で俺は教室にノートを忘れてきたことに気づいた。明日提出の数学の課題があったのだ。面倒だけど取りに行かなければ。部活後は自主練したいし、その後となると校舎が閉まってしまう。踵を返して教室へ戻ると、そこにはみょうじさんだけがぽつりと席に座っていた。

「あれ、赤葦くん」
「・・・あ、うん、どうも」

話しかけられるとは思っていなくて、変な返し方をしてしまった。・・・ちょっと恥ずかしい。

「部活は?」
「今から。ノート忘れちゃって」

言いながら自分の席に向かって中を漁る。目当てのそれはすぐ見つかって、鞄にしまいつつみょうじさんをちらりと見た。
そういえばこうやって言葉を交わすのは初めてだろうか。隣の列の、俺より前に3つ目の席でみょうじさんは何か書物をしているようだった。

「・・・日誌?」ふと思い立って近づいて覗き込むとそれは日誌だった。今日の日直はみょうじさんだったっけ、と黒板を見ると違う名前が書いてある。休みか何かで代理で書いてるのかと思ったが、いやそいつ学校来てたし、と思い返した。

「あーうん、ちょっと頼まれて」
「・・・体調崩したとか? 早退?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」

みょうじさんは困ったように笑う。そういえば、と思った。いつだったか、前も担任に何か仕事を任されて、重ねて学級委員にも何かを頼まれて、でも笑顔でそれらをこなしていたところを見たような。傍から見るかぎりその仕事たちはなかなか面倒そうな上に頼んだ本人らがやるべきことで、俺だったら手伝いはするものの丸ごと受け入れたりはしないような、そんな内容だった。

「(お人好しなんだろうなあ・・・)」
「赤葦くん、部活大丈夫?」
「あ」

教室の壁にかかる時計を見ると部活開始10分前だった。やばい、木兎さんに何か言われてしまう。

「部活頑張ってね」
「うん、じゃあ」

短く挨拶を交わして教室を出る。その間際に振り返るともうみょうじさんは日誌と向き合っていて、真剣な表情で内容を考えているようだった。足早に廊下を抜けながら、あんな真面目に考えなくてもいいのにと、我ながら薄情なことを思った。

その次の日からも、別に挨拶を交わす関係になったとかではなく。変化といえば相変わらず頼まれ事をされているみょうじさんが前よりも目につくようになったぐらいだった。嫌な顔ひとつせずそれらを全て受け入れる彼女は要領がいいとは言えず、もっと楽に生きたらいいのにとさえ思った。
そんな風に、少し歪んだ角度から、斜め前方の席のみょうじさんを眺めることが多くなって。そうする内に、あれは利用されてるとかじゃなく本当にみょうじさんがいい人だからなんだろうと気づくまでそんなに時間はかからなかった。多分周りに信用されているから仕事を任されるし、彼女もそれに答えることができるんだろう。その証拠にみょうじさんの周囲はいつも明るくて。他クラスにも友達が大勢いるらしく、休み時間はいつも笑い声が絶えないようだった。



「赤葦って好きな奴とかいるの?」そう聞かれたのは、俺がみょうじさんを見るようになってしばらく経った頃の掃除の時間だった。ほうきを片手にぼんやりしながらせかせかと働くみょうじさんを眺めていた時、横から急に肩をどつかれたのだ。

「・・・なんで?」
「そういう話聞かねーから」
「じゃあいない」
「じゃあってなんだよ」

にやにやしながら話を続けるクラスメートに少し呆れた目を向けた。好きな人、気になる人。高校生って大概この手の話好きだよなあと思いつつ、頭の中に勝手に出てきたみょうじさんの顔を打ち消す。いやいや、まさか。喋ったことなんてあの1回しかないし。番号もアドレスも知らないし。

「俺さあ、みょうじさんいいなって思ってんだよね」
「え、」
「え?」
「なんでもない」

・・・びっくりした。あまり表情に出ない性質でよかった。唐突に出てきたみょうじさんの名前と、自分の脳の中身がリンクして。

「みょうじさん彼氏とかいるのかな」
「・・・さあ」
「え、誰に彼氏がいるって?」

2人で窓を背に話しているともう1人が加わった。面倒だ、と思う。でも、みょうじさんに彼氏がいるのかは少し気になる。少しだけ。

「みょうじさん。可愛くね?」
「あー分かる、いっつもにこにこしてるよな」
「で、彼氏いるのかなって」
「聞いたことねーなあ」

黙って2人の会話を聞く。彼氏は居なさそうだ、と。なるほど。「じゃあ俺告白しようかな」・・・え。

「急だな」
「彼女欲しいじゃん、そろそろ夏だし」

思わず声を上げると、意気揚々と返された。・・・彼女を作るのに季節は関係あるのだろうか。

「よし決めた、1週間以内に告る!」
「おー、ガンバレー」
「おまえは彼女作んねーの?」
「実は俺、おととい彼女できたんだよね」
「はあ!?」
「隣のクラスの子」
「はあ!?」

リア充滅びろと悔しそうに喚くそいつを見て、彼女ができたらしいもう1人のクラスメートを見て、それからゴミを集めているみょうじさんに目を向ける。もし、みょうじさんに彼氏ができたら。・・・想像して、ちょっと面白くないと考えてしまった自分に気づいた。そのままぼーっとみょうじさんを眺めていると彼女の目がこちらを向く。あ、と思ったときには視線が噛み合っていて、彼女がこちらに近づいてきた。

「赤葦くん、ゴミもらうよ」
「・・・ごめん、ゴミ無い」
「えー、ちゃんと掃除してよ」

眉尻を下げて笑うみょうじさんに少しだけ緊張した。さっきまで彼氏がどうのと考えていたから、だからちょっと気まずくて体が固まってしまうのだと自分に言い聞かせる。
『いっつもにこにこしてさあ』、さきほど聞いたクラスメートの声を思い出した。いつのまにか彼らはその場にいなくて、1対1であることに今更気づく。普段話さないし、いつも横顔か後ろ姿しか眺めないから。初めてかもしれない自分だけに向けられた笑顔は確かに可愛かった。

「みょうじさんは彼氏とかいるの?」

みょうじさんは驚いたように目を瞬かせた。俺も、自分では言おうとも思っていなかった言葉が自身の口から出てきて少々驚く。気になってはいたけれど、本人に聞こうとは思ってなかったのに。

「あ、答えたくなかったら別に」
「いないよ」
「・・・そうなんだ」

少し首をかしげながらの"いないよ"に、不覚にもドキリとする。みょうじさんは何かを言いかけるように口を開くけれど、そのタイミングで担任が教室に入ってきて掃除終われと号令をかけ始めた。・・・・・・なんとまあ、間の悪い。














・・・それから3日後、気づいたら俺はみょうじさんを呼び出していた。

何してんだ、と自分でも思う。でも、『1週間以内に告白する』と言ったクラスメートの言葉が頭で鳴って、部活でもらしくないミスを連発し、教室にいる間中、みょうじさんの後ろ姿を目で追い続ける自分自身を無視するわけにもいかず。そわそわと落ち着かなすぎて木兎さんにさえ赤葦どうしたんだと心配され、勘のいい猿杙さんには「恋のお悩みかな」とか言われ、それを聞いた木葉さんがニヤニヤしてくるのでそろそろちゃんとしなければと思っただけで。告白すると決めた彼には悪いが、告白をオーケーしてもらえる確率はきっと俺のほうが低いだろうから安心してくれと言い訳のように呟いて中庭でみょうじさんを待った。

ろくに喋ったこともないし相変わらず番号とかも彼女の誕生日さえも知らないし、気持ち悪がられたらどうしよう。
そんな俺の不安をよそに、思ったより時間をかけずみょうじさんが現れた。

「ごめん、遅くなっちゃって」
「いや、全然」
「それでどうしたの?」

話ってなあに?そう言って首をかしげるみょうじさんの前に立つ。

「急に呼び出したりしてごめん」
「ううん、大丈夫」
「それで、話っていうのは」

努めて冷静に、落ち着いて、早口にならないように。じっと目を見て、一気に言った。

「好きです、付き合ってください」







--------------







「振られた・・・・」

俺の机にそう言いながら突っ伏してきたのはみょうじさんに告白すると宣言したクラスメートだった。

「・・・ドンマイ」
「思ってねーだろ」

ぽんと肩を叩く。彼が顔を伏せているのをいいことに、俺はみょうじさんの背中をちらりと見た。実はこの前の土曜、久しぶりのオフ。木葉さんに誘われて向かった先にはみょうじさんが居て、一緒にコーヒーを飲むという素晴らしい休日を俺は過ごしていた。
すまんな、という気持ちをこめてもう1度肩を叩く。俺は「友達からでも」というチャンスという名の逃げ道を用意して告白し、言い切ってからすぐさま部活に向かっていったのでその場で返事を聞かなかったが。彼はきっと一直線に「付き合ってくれ」と言って断られてきたのだろう。非常に男らしいが、思わず自分の姿と重ねてしまった。俺もああ言ってなかったらこうなっていたんだろうか。恐ろしい。

「なんかさあ、好きな奴がいるんだって」
「・・・へえ」
「誰かは教えてくんなかったけど、うちのクラスのやつだって」
「・・・・・」
「・・・赤葦なにニヤニヤしてんの」
「いや別に」

駅で、顔を赤くして俺の連絡先を聞いてきたみょうじさんを思い出した。あの日から毎日メールか電話をしている。昨日交わしたラインで、駅で口約束した映画のことも決めた。こいつからの告白も断ったらしい。しかも好きな人がいると言って。

「(・・・これは脈ありって考えてもいいんじゃ)」

もう1度みょうじさんに目を向けると視線がバッチリと合った。いつも休み時間は友達と話しているのにそのときは1人で、俺と目を合わせた途端ぷいと前を向いてしまった。

その行動があまりに可愛くて吹き出す。またうなだれ始めたクラスメートに見えないよう、スマホで「耳赤いよ」とメッセージを送ると、それを読んだらしいみょうじさんがぱっとこちらを向いた。耳どころか頬もほんのりと赤くて、これはもう確実だろうと思ってしまう。ばか、と口パクだけで言ってくるみょうじさんに笑みを返した。告白の返事をもらう、3日前のことだった。


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