練習を終えて、いつものように俺は図書館へ向かう。
すっかり暗くなった19時半。校舎の電気はとっくに消えて、体育館から月の光を頼りに歩く。


「なまえさん」

図書館の2階の自習スペースに並べてある机の中の左から3番目。いつもの場所に腰掛けて、彼女はもくもくと参考書と向き合っていた。後ろから小声で声をかけると、振り向いて「京治くん」俺の名前を呼ぶ。

「お疲れさま」
「すみません、待たせちゃって」
「ううん、大丈夫」

周りには誰もいないし、司書のいるカウンターは1階だから声をひそめる必要はないんだけれど。2人でこそこそと顔を少しだけ近づけてするこの会話を俺は気に入っていた。「これだけ解いちゃっていい?」シャーペンを握り直して首をかしげるなまえさんに頷いて、隣に腰掛ける。

睨みあっているのは数学の問題らしい。チラリと問題に目を通してみるが俺には訳が分からなかった。微分の問題らしいことは、まあ分かる。が、ガリガリと書き込みを続ける彼女のノートを見ると途中式がとんでもないことになっていて、1年の差とはこんなにも、と思ってしまった。正直今やってる微積も微妙に分かっていない。

なまえさんは成績学年トップの優等生らしい。・・・らしい、というのは彼女から直接「今回のテスト1番だった」という報告を受けていないからで、それでも知っているのは木兎さんに教えてもらったからだった。付き合い始めた頃も彼女は図書館で勉強していて、練習終わりにこうやって迎えに行くのがなまえさんだとバレたとき、木兎さんが大騒ぎで教えてくれた。

そういえば出会ったのもこの時間のこの場所の図書館だったなあ。半年以上前のことをぼんやりと思い返す。確か俺はあの時、返し忘れた本を図書館に返却しに来ていて、ついでに何か借りようとフラリとこの部屋に入って、そこでなまえさんのことが目についたのだったっけ。

ふとなまえさんが唇の下にシャーペンの後ろの部分を押し当てた。どうやら解答が間違っていたようで、少し眉間にシワをよせて模範解答とにらめっこしている。参考書に夢中な彼女にちょっかいを出したくなって、俺は彼女の髪を手に取った。くるりと指に巻きつけて、離して、さらりと流れていくそれを楽しむ。

「・・・暇なの?」
「んー・・・」

一瞬も参考書から目を離さず言う彼女の横顔を見つつ、片側の髪を耳に引っ掛けた。親指でふちを辿って、耳たぶをつまむ。ちょっと京治くん、とペンの先で指をつつかれるけれど、無視して耳全体をこすりあげるとなまえさんは首をすくませた。じっとりと睨む目をもう片方の手で閉じさせて、少し無理やりキスをする。

「・・・邪魔しないでってば」

解放した途端に参考書へ向き直ってしまった。でも俺は、そんな彼女の耳が赤いことも、その戻した目線が全く文字を追っていないことも知っている。まったく可愛い人だ。解けてないのはバレバレなのに、「できた」と呟いて帰り支度を始めるなまえさんを見て思う。もう付き合って半年になるのに、いい加減なれてもらってもいいんだけれど。

「(まあでも、いつまでもこういう反応でも可愛いし問題ないか)」
「何ニヤニヤしてるの、帰るよ」

まだ少し頬を赤くしたなまえさんは足早に出口へ向かっていってしまう。その、彼女の言うニヤニヤを抑えることもせず、俺はなまえさんを追った。








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その日も私は図書館で受験勉強をしつつ彼氏の迎えを待っていた。付き合うことになってから、特に用事がない時以外は彼の部活終わりの時間にあわせて2人で帰ることにしている。どうせ勉強したいから全然構わないし、いつもは部活で忙しい彼と一緒にいられるなら私もそうしたいから。迎えに行きますと言った京治くんの言葉に頷いて、私は授業が終わってからひとり、ひたすら勉強に打ち込んでいた。

ぼんやりと英単語帳をめくる。英単語の暗記は苦手だ。だってつまらないから。数学の難問を解いたときみたいな達成感も無いし、歴史を読んでいる時のわくわく感もない。長文読解の手立てにしているだけのそれ。でも試験では発音記号なんてものも出るし、ていうか発音なんて出るなら喋る試験でもなんでもすればいいじゃないか。これだから日本人の英語力がなめられるんだ。

思考を拡散させつつ、赤シートで何度も繰り返し覚えた単語を隠しつつ。ちらりと時計を見やると19時半を少し過ぎていた。京治くん、そろそろかな。たまには私が体育館に迎えに行こうか、とも思ったけれどいやいやと打ち消す。地味で無口で、自分で言うのもなんだけれど勉強が趣味ぐらいの勢いで勉強している私と、男子バレー部の面々が顔を合わせたらどうなるか。・・・あのテンション、特に木兎くんのそれにはついていけそうもない。

「(・・・そういえば)」
「(どうして京治くんは私なんかと付き合おうと思ったんだろうか)」

パタリと単語帳を閉じた。もう飽きてしまったし、携帯でもいじって待ってよう。カバンに勉強道具を詰め込んでいると後ろで足音が鳴った。京治くんかな、と振り返る。

「みょうじさん、勉強?」
「あ、・・・山田くん」

そこに立っていたのは同じクラスの山田くんだった。クラスの中心人物である彼は、地味な私にもいつもにこやかな挨拶をくれるいい人だ。いい人すぎて、でも私はそのいい人にもあまりうまく喋れないから、こうして話しかけられると申し訳なくなってしまう。

「・・・うん、勉強」
「俺も頑張んないとなあ」

「いつもこんな時間まで残ってるの?」彼はそう言いながら私の横に座る。あ、と思った。そこはいつも京治くんが私を待つときに座る場所で。

昨日の、彼のキスを思い出した。耳を伝う指も。目を伏せさせた手の大きさも。








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少し遅くなってしまった。彼女がいつも待っているテーブルに向かう足を普段よりもすこし大きめに踏み出した。

「(え、)」

その現場を見て、俺は思わずその場に固まった。いつもの場所に座るなまえさんがいて、それはいいのだけれどその横の椅子には見知らぬ背中がある。・・・男の。

どう声をかけようかとか、その男はなんだとか、なんだか顔が近くないかだとか。一瞬の逡巡の間に、なまえさんがぱっとこちらを振り向いた。

「け、京治くん」
「ん? あ、彼氏?」

戸惑ったように俺の名前を呼ぶ彼女につられて俺を視認した男はすぐに立ち上がった。「じゃあみょうじさん、また明日ね」なまえさんに手を振って、俺にも手を振って、さっさと階段を下りていく。というか。

「(なんでこの人顔赤いんだ)」
「(かわい・・・・いや違う)」

よく見るとなまえさんの頬は少しだけ赤らんでいて。普段そこまで変化しない彼女の頬の色にきゅんとしそうになるも思いとどまる。このタイミングで赤いということはどういうことだ。あの男に何かされたのか。何をされたんだ。

「ちが、違うの」

・・・何も言ってないのに"違う"とはどういうことだろうか。そういえばここに来てからひとことも発していないことに気づいて、彼女が慌てる様をしばらく観察した。たぶん俺が怒っていると勘違いしているのだろうなまえさんは、普段のクールっぷりからは想像もできないくらいには焦っていた。

「さっきの、誰ですか」
「同じクラスの山田くん」
「山田くんと何かあったんですか」
「な、なにもないっ・・・」
「何もなかったようには見えないですが」

別に責めるつもりは無い。なまえさんが浮気するなんて考えられないし、じゃあどうして顔を赤くしてたのかが気になる。ていうかそんなレアな珍しい顔なんで俺より先に山田とやらに見せてるんですか。

自分の中にむくりと持ち上がった嫉妬心を抑えつつ、でもあの、となかなか言葉が出てこないなまえさんの手首を掴んで引いた。一歩俺に近づいた彼女はさらに顔を赤くさせて、離して、と呟く。

「・・・何かされました?」
「何もされてない」
「じゃあなんでそんな顔真っ赤っかなんですか」
「・・・・!」

ようやっとそれを指摘すると、なまえさんはまた赤を濃くして。赤くないもん、と言う彼女に不覚にも心臓が鳴る。こんなに顔を赤くしたなまえさんは、ひさしぶりに見る。でもだからこそ、原因が気になってしょうがない。

「言うまで帰しませんよ」
「・・・だって、京治くんが」
「俺が?」
「昨日あんなことするから」

ぼそぼそと下を向いて言ったその言葉に俺は首をかしげる。昨日、あんなこと?・・・キスのことだろうか。

「山田くんが隣に座ったとき、なんか昨日のこと思い出しちゃって、」

さらに俯いて、なまえさんはそう続けた。「いやでも、初めてじゃないじゃないですか」照れてくれるのは可愛いけれど、そんなに照れている理由が見つからない。それに。

「なんで山田が座ったら思い出すんですか」
「・・・だって、京治くんの場所なのにって思って。
 それに図書館でなんて、初めてだったから」
「・・・・・・」

さっきとは別の意味で、俺は固まった。顔色をうかがうように、上目遣いで、顔は相変わらず赤くして。そんな表情で、そんな可愛いこと言われたら、もう、

「ちょ、ちょっと」
「黙ってください」

ちょっと我慢できない。ぎゅう、となまえさんを抱きしめて、そのへんの壁に押し付けて。驚いているのが分かったけれどそれには構わずキスをした。逃げようとする彼女の首を押さえつけて、唇を離した。

「これでもう慣れましたね」
「・・・・京治くん、ずるい」
「帰りましょう」

彼女の鞄を持って、それっきり黙ってしまったなまえさんの手を引っ張る。この雰囲気のままここに居たら、自分が何をしでかすかちょっと分からなかった。・・・さすがに図書館はまずいだろう。

自習スペースを出ようとしたところで、なまえさんが立ち止まって繋いだ手を引いた。なんですか、と振り向くと彼女の目と視線がかち合う。


「・・・京治くん、もう1回」

・・・・・・・・ずるいのはどっちだ。


ぎゅ、と腰からかき抱いて、顔を見られないうちになまえさんの目を閉じさせた。たぶん今の俺は、彼女に負けず劣らずの血色だろうから。


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