期末試験直前の日曜の午後だけ、部活が休みになった。そんな中途半端な休みで期末試験の範囲がまかなえるとでも思っているのだろうか。いっそのこと部活に全てあててくれたら点数の言い訳にもなるのに。

そんなことをぼそりと、部活終わりの図書館で愚痴ったことがきっかけだった。

「・・・その日お父さん居ないから勉強しにくる?」

パタンと単語帳を閉じながら言われたそれに目を瞠る。その表情を見てなまえさんはくすりと笑い、私でいいなら教えるけど、と付け足した。

「いいんですか」
「いいよ。教えるのあんまり上手くないけど」

彼女の部屋に訪れるのは随分と久しぶりだ。会えないのは大抵が俺の部活のせいだけれど、文句がなまえさんの口から出たことは今まで一度だって無かった。

「じゃあお邪魔します」

だからこそ、この申し出はすごく嬉しかったしありがたかった。ゆるむ頬をそのままにして後片付けを始めるなまえさんの手元を見つめていると、「・・・お母さん、いるからね?」じとっとした目で釘を刺されてしまうのにまた笑い返した。



***



とりあえず2時間ね、と言ってなまえさんは早速参考書に取り掛かり始めた。彼女の家に着いてものの10分、ろくな会話もないままにローテーブルで向かい同士に座らされ、問題集を広げさせられ。

別に同じ部屋にいる気恥かしさとかではきっと決して無く、ただなまえさんがこういう人だという話なだけだ。綺麗だけれどところどころに雑多に積まれた本のタワーは彼女の人柄を表しているようで、そう多く足を踏み入れているわけではないが居心地は悪くない。

無遠慮に部屋を眺めるけれど咎められはしなかった。なまえさんはすっかり問題に夢中で、ノートを覗くとやっぱり俺には到底理解できないような記号や数式が並べ立てられている。

伏せた目の睫毛がいつもより長い気がする。顔をじっと見てもこちらを向いてはくれないので、気づかれないようにため息をついてから教科書を開いた。彼女に倣って数学でもしよう。


「京治くん、それ公式覚えなくていいよ」


時折なまえさんの指先に視線を走らせながら公式とにらみ合っていると、不意に彼女が言葉を発した。シャーペンで俺が追っていた式を辿りながら、なまえさんはゆっくりと喋る。

「え?」
「加法定理ってあったでしょ」
「はい」
「それから作れるから」

授業でやらなかった?伏せていた目をあげてなまえさんが聞いてくる。やりませんでした、と堂々と返すけれど寝てたんでしょと笑われてしまった。

「ほら、ミミズ這ってる」

トン、とシャーペンの先が俺のノートを指す。目をやると確かに板書の途中途中に黒い跡があって、自身に呆れると同時に少しだけ気恥ずかしくなった。

ふふ、と笑みをこぼすなまえさんに「うるさいですよ」と憎まれ口を叩きながら教科書のページをぱらりとめくる。彼女の言う通り三角関数の公式は加法定理から作ることができるとの記述を見つけたが、α=βのときがどうのこうのととてもテスト直前に詰め込んで理解できるとは思えなかった。

「これ覚えた方が早くないですか」
「そう?私はいつも現地調達してるけど」

それはなまえさんだからですよと言いながらコーヒーを啜った。自分の家のものとは違う少しだけ濃い苦味に、もうなんか勉強飽きたなぁと伸びをしてそのまま後ろに倒れ込んだ。

「ちょっと京治くん」
「なんですか」
「べんきょー」
「ちょっとだけ休憩」

呆れ顔のなまえさんを横目に寝転んだ先にちょうどあった本棚に手を伸ばす。勉強と同じくらい読書が好きだと以前言っていた通り、そこには大量の文庫本が収められていた。

そのうちの1つを手に取る。つい先日映画化された作品の作者のデビュー作だった。最近よく取り上げられているからたまたま知っていたけれど、多分この人はそれよりずっと前からこの本を持っていただろう。ぺらりと巻末を開けばやっぱりそこには第一版の文字があって、少しだけ古くなった紙のにおいを堪能しながら最初のページに戻る。

「それ面白いよ」足先に彼女の爪先が当たる。机の下から伸ばされたそれに同じように足を絡ませても、なまえさんの目は参考書から離れない。

「借りてっていいですか」
「どうぞ」

ペンを動かす手を止めたなまえさんが満足気に笑う。あの笑顔は難しい問題をクリアしたときの顔。彼女が見せてくれる表情の中でも好きな部類に入るそれを、今はすこしだけ疎ましく思った。

「なまえさん」
「んー?」

試験前の貴重な時間を彼女とゆっくり過ごせるのはとても嬉しい。なまえさんがこうして勉強に夢中になっているのも悪くない。

「なまえさん」

もう1度名前を呼んで上半身を起こした。なあに、と声は返ってくるもののもう新しい問題に取り掛かったらしくこちらを見てはくれない。

なまえさんの耳にかかった髪を下ろすとペンで指を弾かれた。邪魔しないでの合図だとは分かっているけれど、やめられないのが性というもので。

絡めたままだった足を外しながら呼びかけた。走り続けるシャーペンをでこぴんしてやると、勢いでブレた黒い線が綺麗なノートを這っていく。

「ミミズ」
「・・・もー、なあに」
「やっとこっち向いた」

休憩しましょうよ、と相変わらずの呆れ顔に言う。立ち上がってなまえさんの背後にあるベッドに座り、上からその細い肩を抱き寄せた。

「もうちょっとしたらね」
「なまえさんなら期末なんて余裕でしょ」
「そういうことじゃないの」

つれない返事と一緒に腕を振り払われる。どうやらいいところらしく、もうちょっとで解けるから待っててと冷たくあしらわれてしまった。

こうなったらこちらを向いてはくれないだろう。これまでも何回かあったこの態度に隠すことなく嘆息しつつベッドに寝転がる。枕の脇にあった薄めの文庫本をぱらりとめくりながら隣のなまえさんの後ろ姿をぼんやり眺めた。

首筋が揺れる髪で隠れたり覗いたりを繰り返している。手が伸びそうになるのを堪えつつ枕に顔をうずめるといつものなまえさんのシャンプーの香りが鼻をついた。

「・・・京治くん」

訝しげな視線と声に片目だけで応える。淡々と言われた「変態っぽい」に思わず笑ってしまった。なまえさんの口から"変態"などというワードが出てきたのが意外であまりに似合っていなくて笑いをこらえきれないでいると、冷たい声が降ってきた。

「なに笑ってるの」
「・・・いや、可愛いなと思って」

最後の問題を解き終わったらしい俺の優秀な恋人は、やっと構ってくれる気になったようだった。ベッドの端に立つなまえさんの手を引くと、素直にベッドに上がってくる。

「構って欲しくなりました?」
「京治くんが枕のにおいなんて嗅ぐから」

壁際に寄ると空いたスペースに彼女が寝転がってくる。変なことしないでよと言うジト目がすこぶる愛しい。

「でもやっぱ本物の方がいいですね」

抱き寄せて首筋に顔をうずめながら、そっと鎖骨を食んでいく。ぴくりと震える体に笑みをこぼしていると肩のあたりをどつかれた。

「っ、・・・ちょっと、お母さん下にいるんだけど」
「しませんよ。・・・もしかして期待しました?」
「馬鹿じゃないの」
「なまえさんが声出さなかったらバレないですけどどうします?」

可愛くないことを言う彼女に目を合わせて言ってやると、その目は更に呆れの色を濃くしていた。もう1度、さっきより強めに「馬鹿じゃないの」と返ってくる。

キツめの口調に嬉しくなってしまう自分も大概だけど、気にしないフリでさっきまで俺がめくっていた文庫本をいじりだすなまえさんはやっぱり可愛い人だった。

きっとあと2、30分もしたら机に向かっていってしまうだろうからと、それを取り上げて抗議をあげる口を塞ぐ。驚いたように耳を赤くするなまえさんを見ながら、期末試験の点数なんてものはもうどうでもよくなっていた。




back

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -