※姪っ子高校3年の秋頃



「先生またタバコ吸ってる」

授業とその他雑用の合間。肌寒くなってきた気温を受け流しながら学校近くの小さな下水路の傍でタバコを吸っていると、後ろから聞こえてきた声に振り向いた。

ひときわ強い風に巻かれながら、さむ、と呟いて隣に立ったみょうじにひとつため息をつく。

「お前いい加減サボるのやめたら」呆れた調子で言うと「考えてやってるからいいんです」となんの悪びれもなくみょうじは言った。

「木兎さんに言うぞ」
「それは困ります」
「じゃあやめろって」
「せんせーがタバコやめたらやめまーす」

みょうじは副顧問をやっている男子バレーボール部のマネージャーだ。そして高校のときの先輩の姪でもある。最初に聞いたときそれは驚いたものだ。木兎さんとは似ても似つかないし、自分が高校の頃よく会っていたあの小さい女の子がもう高校生だなんて、と。

木兎さんから数年ぶりに誘われて彼の姉夫婦の家へ食事に行った際、奥からおずおずと出てきたみょうじには思わず目を丸くしてしまった。「何お前赤葦に言ってなかったの」と木兎さんも随分驚いていたが。

「(俺もおっさんになったな・・・)」
「コーヒーいります?」
「もらう」

はい、と缶コーヒーを手渡される。ここで会うたびにいつも俺が飲んでいるものを、みょうじはいつからかこうして渡すようになった。そんな彼女とこの場所で初めて遭遇したのは確か去年の6月頃だったか。

梟谷に教師として戻ってきて2ヶ月。タバコを吸うようになって7年程。最初は職員用に設けられた喫煙スペースでタバコを吸っていたが、その中に渦巻く煙と先輩教諭方の噂話や愚痴に辟易して、昔よくサボっていたこの場所で煙をくゆらせるようになった。

別に不良だったわけではない。部活は真面目に出ていたし、テスト前はちゃんと勉強していた。時折こうして学校を抜け出し、教師の見回りポイントには無いこの場所で1時間ほどぼーっとしていただけだ。

そういえば一度、木兎さんと一緒にここでこうして話したっけ。隣で転落防止用の手すりによりかかるみょうじをちらりと見て思い出す。練習試合か何かでこてんぱんに負けた次の日の学校、木兎さんとこうしてぼんやりしていたことがあったような。だから同じように普段は真面目で、木兎さんの姪っ子なみょうじのサボりをまあいいかで済ませてしまっているのかもしれない。

灰を携帯灰皿に落としながら、片手で貰ったコーヒーのプルタブを開ける。ブラックのそれに対し、みょうじがすでに啜っているのは同じメーカーのカフェラテだった。

「・・・甘そ」
「飲みます?」
「いらない」

先生こそよくそんな苦いの飲めますね。そう言うみょうじにお子ちゃま、と笑うとむっとしたような目が向けられた。そういうところがお子ちゃまなんだと笑みを深くしてみせる。

「ねえ先生」
「なに」

もう1本だけ。吸殻を灰皿の奥に押し込んで、胸ポケットのケースから煙草を取り出した。カフェラテをくゆらせながら、水面をじっと見ながら、みょうじが口を開く。

「部活内恋愛禁止にしましょうよ」

少し口をとがらせて、拗ねたような口ぶりで。なんで、と理由を求めると大きなため息が返ってきた。3年のマネージャーと部員が付き合っている件だろうか。あいつらはそれなりにけじめをつけて上手くやっているかと思っていたけど。

「主将に告白されたんです」
「・・・へえ」

おでこを手すりに預けながら、もう1つ大きなため息をつく。よかったじゃん、とその様子に笑いながら言うと睨まれてしまった。

「何もよくないです。断るのも気まずいじゃないですか」
「付き合えば」
「・・・本気で言ってます?」

それには答えず煙を吸った。呆れたような、やさぐれたような仕草でカフェラテを喉に流し込むみょうじを見ていると少し口角が上がる気がした。

「理由もなく断るの、気まずいじゃないですか」

伏せた目は切なげなのにまるで憤っているようだった。肺に送り込んだ気体を吐き出すと空へ高く上っていく。その先を見送ってから、ゆっくりと口を開いた。

「好きな人いるって言えば」
「・・・」
「なに」
「言っていいんですか」

目を丸くしてこちらを見上げるみょうじの眉間を小突くと、呻きながらも少しだけ嬉しそうな表情が垣間見えた。いいんじゃない、と答えればさらにその目は開いていって、次の瞬間にはふわりと破顔していく。

「それって赤葦先生のこと好きでいてもいいってことですよね」
「そういう都合いいとこ木兎さんそっくりだな」
「光くんの名前出すのやめてもらえますか」

煙草の合間にコーヒーを口に入れる。安い缶コーヒーの酸味と苦味が鼻を突き抜けて、どうして煙草とコーヒーというのはこうも相性がいいのだろうか。

「赤葦先生が好きだからごめんなさいって言っていい?」
「ダメに決まってるだろ」
「ケチ」

時計を見ると戻らなければいけない時間だった。次の授業の準備と片付けなければいけない書類のことを頭の隅で考えながら、みょうじの手にある空になった缶をひょいと奪い取る。

もう戻るんですか、とみょうじが不満げな声を上げる。いつもならもう2、30分は相手をしてやるところだが、今日はあいにく忙しい。

「次の数学、自習だろ」
「なんで知ってるんですか、まさか私の時間割把握して」
「そんな訳ないって分かってること聞くなよ」
「ひどい」
「・・・次、佐々木先生の代わりに俺が行くからちゃんと出ろよ」

ほんとですか、とまた笑ったみょうじの頭を一撫でしようとしたがやめておいた。「後で」一言残して校舎への道を一歩踏み出した。






***





数日後、昼食後の一服にといつもの川沿いで煙草を吸っていると、後ろから足音がした。雑草と砂利を靴の裏が噛む音。ああ今日はもうコーヒー買っちゃったんだよな、と思いながら振り向くと、そこにいたのは予想していた人物ではなかった。

「赤葦先生」

まだ長かった煙草を灰皿に押し付ける。予想外の顔ではあったが、その精悍な顔つきに浮かんだ表情は納得のいくもので。

「・・・単刀直入に言いますけど」
「なに?」
「俺、みょうじに告白したんです」

断られましたけど、と隣に並びながら呟く。昼休み終了15分前、背後から現れたのはバレー部主将の島脇だった。自分より高い背が、今は少しだけ心にもやりと響く。

「好きな人がいるからって」

ふうん、と相槌を打ちながら数日前のみょうじを思い出した。呻くようにどうしようと頭を抱えていたその様を浮かべながら、口の中だけで小さく笑う。

「それって赤葦先生のことですよね」
「・・・なんで?」
「みょうじのこと見てたら分かります。・・・先生、気づいてますよね」

まっすぐな視線が痛い。そういえばこいつの目も、どことなく木兎さんに似ている気がする。どうしようもなく直線的で、他人の彎曲すら許さないような、そんな目。

高校の頃はその視線に辟易することが多かった気がする。今は受け流すこともできるようになってきたけれど、その分素直じゃ無くなってしまったことも大分前から自覚していた。

「答える気ないなら、そう言ってやってください」

実直な言葉に、羨ましいという感情がぽつりと湧き上がる。きっと島脇からは俺と目を合わせているように見えるのだろうけれど、結局のところこの気持ちとまっすぐに向き合う気は無かった。

悲しいかどうかは分からないが、そうやって視線をかわすことに随分と慣れてしまったのだ。


「憧れだって、それだけ言ってくれたらいいんです」


ぎゅっと、島脇の眉間に皺が寄る。苦しげな目がこちらを向いていた。

「・・・なんで?」
「答える気なんて無いくせに、期待持たせるなって言ってるんです」

半分ほど飲んでいたコーヒーを思い出したように傾ける。
分かったよと一言、本当に一言添えたらそれで解決するはずだった。苦いコーヒーと一緒に喉まで出かかった言葉を押し込めようとしたはずだった。

島脇は本気なんだろう。本当にみょうじを大切に思って、俺のことが憎らしくてたまらないんだろう。ただ羨ましいと思っていただけだったのに。・・・梟谷の主将というのはいつだってこうなのかもしれない。

無責任に引っ張り上げて、自分のためにへこんでみせたりして。──ずるいのは俺じゃなくて、お前の方だ。

「それはちょっとできない」

今度こそ真正面から島脇を見据えると、ひるんだ様子もなく変わらない視線が返ってくる。みょうじも馬鹿だ、どうしてこの男の告白を断るのか俺にはさっぱり理解できない。

それでも、今だけは。今だけは、この感情に優越感と名づけても許されるんじゃないだろうか。

「お前より俺の方があいつの可愛いとこ知ってるよ」
「・・・だからそれは、先生がみょうじの小さい頃を知ってるから」

負け惜しみのような言葉に、島脇には申し訳ないけれど少しだけ笑ってしまった。むっとした表情を向けられてしまったが勘違いしないでほしい。嘲笑ではあるがこれはお前に向けたものじゃない。

「あいつはもう、なまえちゃんじゃなくてみょうじだよ」









ゴミ箱の前でコーヒーの缶を握り締めながら、ころころとよく変わるみょうじの表情をなんとなしに思い出していた。こうして彼女に気持ちに気づかない振りをするどころか、気づいていることを知らせた上であんな会話をするのはひどく滑稽に思えた。

教師に恋する女子高生なんてザラだろう。そのほとんどが勘違いだということも知っている。その気持ちを面倒だと思う教師が大半であることも、そして自分がその大半に当てはまらないことも、よく知っている。

あんな風に笑いながら、気持ちを押し殺すみょうじは正直見ていて辛かった。辛いと、俺がそう思っていることも見抜くその目は彼女の叔父にそっくりだった。

「(あいつも、木兎さんみたいに全部口に出せば楽になれるのに)」

──ああ、でも、違うな。あいつが何か俺に言ったところで、楽になるのはみょうじじゃなく俺の方だ。あの目から逃げたかった。逃がしてほしかった。逸することを許して、それでもなお追って来て欲しいとさえ。

そうしたら俺はどんな答えを出すんだろうか。ちゃんと、彼女と向き合って、告げられるんだろうか。

憎らしげに俺を睨んだ島脇の顔を思い出した。そうしたいのはこっちの方だ。お前はいいよな、ほんと。こっちの気にもなって欲しいくらいだ。あいつは敏いから、あんなことを言わなくてもきっとこの気持ちにも気づいていたはずだ。

ゴミ箱に向かって缶を放り投げると、それは弧を描いて底に吸い込まれていった。





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