すっかり凝り固まった腰が音を立てる。ひとつ伸びをして、机の隅に置いていたスマホを横目で確認するけれど触る勇気は無かった。どれほどの期間声を聞いていないだろうと思い返すけれど、そういえば最後に連絡をとったのは5日前のことで、こんなに短い間で寂しくなってしまう自分が少し情けなかった。

高校3年の2月といえば家庭学習期間である。梟谷学園高校もその例に漏れず、今日も朝から自室にこもって受験対策をしていた。

そもそも学校に行かないので電車に乗ることもない。こうして家で赤本に向き合っているから外に出る機会も無い。受験生なんだから当たり前だけれど、でも。

──みょうじさん、何してるのかな。

5日前に電話したときは相変わらず忙しそうだった。レポートを書きながらこたつで寝ちゃうんだよね、と笑った彼女の声を思い出してはため息が漏れるばかりで、繰り返し解いてもう飽き飽きした昨年度の過去問をぼんやりと眺める。

風邪ひかないでくださいよと言うことはできるけれど、俺は彼女の家に行ってこたつで寝てしまったみょうじさんをベッドへ運ぶことも、毛布をかけてやることもできない。

ロック画面を解除するけれど特に連絡は着ていなかった。机に頭を伏せて、電話を切るとき間際の「頑張って」を思い出した。実際に聞くのとは少しだけ違うみょうじさんの声。そのわずかな差違も愛しくて、何度目か分からない5年の月日へのもどかしさを喉の奥で押し殺した。


時計に目をやるともう短針は1を指していて、空になったマグカップを手に立ち上がる。なんだか眠れそうにないし、そういえばまだ風呂にも入っていない。さっぱりしてから続きをしよう。





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「出ないや」

耳に当てていたスマホを床に置く。2月の東京は寒くて、こたつだけでは到底補えない冷えをごまかすために傍らのパーカーを引き寄せた。

最後に声を聞いたのは5日前だ。それからメールも交わしていない。

赤葦くんは受験生だから、当たり前だけど私から連絡するのは控えるようにしている。行き詰まったワード画面を眺めながら、どうしたものかと頭を悩ませた。迷惑ももちろん考えたけど、でも。

だって今日は2月13日だ。


お昼まで寝ていた私をたたき起したのは友人からの着信で、「今から行くから」と一方的に切られたそれに唖然とした。彼女が両手いっぱいに抱えて持ってきたのはチョコレートの材料とラッピング用品で、それにまたポカンとしているとため息を吐かれてしまった。

「なまえ、もしかしてチョコあげないの?」
「・・・今年は、赤葦くんもほら受験で忙しいから」
「はあ!? もうっ・・・あー・・・いいから!作るよ!」

──別に忘れていたわけじゃない。ほんとに。
去年は手作りではないにしろちゃんとしたものをあげたし(そういえばなんで手作りにしなかったんだと去年も怒られた)、別に当日渡さなくても合格祝いに何かまとめてあげたらいいかな、と思っていて。

いきり立つように包丁で板チョコを細かくし始めた友人に「お湯沸かして!」とまた怒られつつ、まあ、この子が帰ったら自分で食べたらいいかな、とぼんやり考えていた・・・ん、だけど。

私は言われるままにしていたからほとんどこの子が作ったようなものなんだけど、それはそれは綺麗で美味しそうなチョコレートがどんどん出来上がるものだから。自分で食べるにはちょっともったいない、繊細なアイシングとかデコレーションだとかで彩られたその粒がなんだか可哀想になってしまって。

それで結局、起きているかどうかも分からない深夜に電話をかけてしまっている。

──やっぱりこの時間だと寝てるかな。

反応のないスマホの画面をつついたり眺めたり。冷蔵庫の中のチョコを思い浮かべて、やっぱりやめておこうかなあと後悔し始めた時、着信音が鳴った。

「!・・・あ、赤葦くんっ?ごめんね、起こしちゃった?」
「大丈夫です、起きてました。なんでそんな慌ててるんですか」

呆れたような、面白がっているような電波越しの声が胸にすとんと落ちてくるような気がした。

「・・・こんばんは」
「こんばんは」
「勉強してたの?」
「はい。今風呂入ってきて」
「そっかあ。遅くまでお疲れさま」
「みょうじさんもこんな遅くまで課題ですか」
「んー・・・、うん。ごめんね、邪魔しちゃって」
「全然。嬉しいです」
「どう?進んでる?」

ぼちぼちです、と返ってきた答えを聞きながら、さてどう切り出そうかと頭を悩ませた。明日登校日だったりしない?なんてあからさまだし、ちょっと会えないかな、みたいな感じでいいんだろうか。・・・恋愛偏差値の低さがもう、恥ずかしいくらいだ。こんなことなら呼び出し方も聞いておけばよかった。

「・・・あのね、赤葦くん」
「はい?」

もういいや、率直に聞いてしまおう。明日、ちょっとだけ会えないかな。恥ずかしさを押し込めて聞くと、会えますの返事がやたらと落ち着いて大人びて聞こえて、せっかくこらえた羞恥心が心にもたげたのが分かった。




***




やってきた赤葦くんは随分と軽装だった。勝手のわからない彼の地元駅で会うのは、そういえばこれが初めてのことかもしれない。

肩から下げたバッグの中にはちゃんと昨日のチョコレートが入ってある。本命なんだからこれぐらいしなさいと、それはそれは可愛くておしゃれに着飾られたそれ。

「ごめんね、勉強大丈夫?」
「気にしないでください。・・・近くに公園あるんでそこ行きましょうか」

・・・こんなもの渡して、気合入りすぎだとか年考えろとか思われないだろうか。それより受験のための便利グッズとか参考書とかの方がよかったんじゃ「みょうじさん?」

「あっご、ごめん、行こう!」
「みょうじさんそっちじゃないです」









着いた先の公園は小さかった。滑り台と、ブランコと、少しの広場に2つのベンチがあって。来る途中に買ったカフェオレを赤葦くんに手渡して、2人で小さなベンチに腰掛けた。

「会うの、久しぶりだね」
「そうですね。2週間ぶりくらいですかね」

元気だった?、と吐く息は白い。マフラーを口元まで引っ張り上げて、寒さで耳が赤くなっている隣の男の子を見上げた。そこそこです。温かい缶を手のひらで転がしながら、赤葦くんが言う。

雲ひとつないけれど、星もあまり見えない夜だった。そのせいか月がやたらと夜空に映えて、街灯の頼りない光を隠していく。

「試験、もうすぐだね」
「ですね。・・・本番前に会えて、よかったです」

目を合わせると表情が柔らかくなる。2週間ぶりの赤葦くんは、なんだかやたらと大人っぽく見えて少しだけどきどきしてしまった。


「・・・今日、どうしたんですか」


ぽつりと呟く声が澄んだ空気に反響する。柔らかかった笑顔は少しだけ、からかいのような毒を含んだそれになっていた。

「赤葦くん、分かってるでしょ」
「何がですか」
「・・・」

とぼける赤葦くんは可愛くない。笑みを深めた赤葦くんに、やっぱあげないでおこうかと一瞬頭によぎったけれどやめておいた。やっぱりね、頑張ったからね、私もチョコも。

「・・・はいこれ、受験頑張って」
「ありがとうございます」

私はバッグから箱の入った紙袋を取り出した。おとなしく誘導に従うのは少しだけ癪だったけれど、渡した途端に嬉しそうな顔が見れたから、まあいっか、と思えた。

「もしかして手作りですか?」
「うん、一応」
「いただきます」
「どうぞ。・・・さー、そろそろ帰ろっかな」

言って、立ち上がる。赤葦くんも帰って勉強しなきゃだし、もう時間もだいぶ遅くなってしまっていた。──予想以上に嬉しそうな反応をくれたから気恥ずかしくなったなんて、決してそんなことは無い。

「みょうじさん」

後ろで赤葦くんが立ち上がった気配がした。なあに、と振り返る前に背中からふわりと抱きしめられる。

「あ、ちょっと、」
「ありがとうございます」
「・・・どういたしまして」

きゅう、と腕に込められた力が優しい。その腕をぽんぽんと叩いて、そのまま体を反転させ向き合った。なんですかと、赤葦くんが言い終わる前に。

両手で肩をぐっと掴んで引き寄せて、つま先で立って。少し見開いた目に笑いながら頬に唇を寄せる。息を呑んだ音が聞こえたのと驚いたような顔が見えたのは一瞬で、背中に回った腕に引き寄せられるようにしてもう1度赤葦くんの胸に収まった。

「もー、遅いんだし帰るよ」
「・・・みょうじさん、もう1回」
「バカ」

笑いながら胸にぐりぐりと頭を押し付けると広がるにおいがくすぐったかった。腕の中で顔をあげると優しい顔をした赤葦くんが見えて、「別に口でもいいですよ」からかった言葉にきゅんと胸が鳴る。

「赤葦くんがしたいだけじゃないの」
「みょうじさんが我慢できないんじゃないかと思って気使ってるんです」
「・・・ほんと、言うようになったよね」

目閉じて、と呟くように言うと素直にまぶたが下ろされる。こういうところはまだ可愛いな、と笑いながらそのまままぶたにキスをした。次に開かれたときその目は不満げで、思わず声を出して笑ってしまう。

「何笑ってんスか」
「赤葦くんほんと可愛いね・・・!」

ぷるぷると肩を震わせていると頭をぐしゃりと撫でられた。その手つきがなんだか悔しげに思えて、いつだったかそういえば同じように髪をぐしゃぐしゃにされたっけ、とふと思い出してまた笑いが止まらなくなる。

「・・・笑いすぎですよ」
「ごめんごめん」
「塞いでもいいですけど」
「だめ」

大学決まったらね、と。まだにやにやと上がる頬を感じながら赤葦くんを見上げた。

「・・・ずるいですよ」
「待たせるほうが悪いの」



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