私は母校である梟谷学園高校に教育実習生としてやってきた。担当は1年2組。在学中にマネージャーをしていた男子バレー部のお手伝いにも参加して、先生方や生徒たちとも仲良くなれて。自分ではなかなか順調なスタートだと思っていた。

──まさか、こんなことが本当にあるなんて。

目の前の男の子を見上げ、「あんたも気をつけなよ」と笑った先輩を思い出した。あるわけないじゃないですか、と笑った自分を恨む。

ああ、こんなことならちゃんと話を聞いておくんだった。




***




「コーチ! お久しぶりです!」
「ん? ・・・おお、みょうじ」

久しぶりの体育館。こもった熱気。シューズが床をこする音。その合間を縫うようにして、コートの端で部員に檄を飛ばす懐かしい顔に声をかけた。私を認めると眉間に力を入れた指導者の表情から一転して破顔したその人は、高校時代から何も変わらない笑顔で迎え入れてくれた。

「すみません、遅れちゃって」
「いや、助かるよ」
「とりあえずマネージャーの子たちを手伝えばいいですか?」
「頼む。多分水道に居るはずだ」

話はしてあるから、後で部員達にちゃんと紹介する。その言葉に頷いて体育館を出た。男子バレーボール部用の体育館から少し離れている水道に向かう。なつかしいなぁ、現役の頃はこの距離がもどかしくて、重いカゴを運ぶのに同期とぶつぶつ言っていたっけ。

目的地に着くと2人の女の子が黙々とドリンクを作っているところだった。こんにちは、と後ろから声をかけると驚いたように振り向いて、でもすぐ笑顔で挨拶をしてくれる。うん、気持ちのいい子たちだなぁ。

「男バレのマネージャーさん?」
「はい、そうです。 あの、もしかして今日から・・・?」
「うん。2週間だけど、お世話になります。みょうじなまえです」










──実習のサイクルにもだいぶ慣れてきて1週間が経った。マネちゃんと2人、水場でボトルを洗っているとそういえば、とうずうずしたように彼女が口を開く。

「なまえ先生、部員と付き合ってたってほんとですか?」
「えっ?」

誰から聞いたのか、きらきらと瞳を輝かせ、つんのめるようにして言う彼女に思わず尻ごんだ。恋愛事には興味津々なお年頃なだけあるが、作業の手は休めないからたいしたものだ。

「誰に聞いたの?」
「・・・秘密にしろって言われてます」

多分コーチだろう。監督がそんなこと言うわけないし、私のいた頃もなんだかそんなような話を聞いた気がする。

・・・彼氏、か。そういえばそんなこともあったなぁ。

「スタメンですか?同学年でした?」
「んー、・・・うん」

適当に誤魔化してもよかったけれど、素直に答えることにした。かわりに現役女子高校生の恋バナも聞きたいし。

「同い年のセッターの子」
「今も続いてたり・・・?」
「あはは、まさか」

彼はバレーに関してとても優秀だった。スポーツ推薦で都内の大学に進学して、なんとなく連絡が噛み合わなくなって、それっきり。別れるとか別れないとか、そんな喧嘩もせずに。自然消滅と言うにふさわしい、あっけない最後だった。

「今は?誰かと付き合ってるとかってないの?」
「ないですね」
「じゃあ好きな人とか」
「いないですよー」

部員なんてガキすぎてやってらんないです。呆れたような口ぶりを見て、思う。私も高校生の頃そう思ってたなあ。実際彼も子どもだったし、自分自身もだいぶ子どもっぽかった。

「でも今のセッター君、高校生にしては落ち着いてるんじゃない?」
「赤葦ですか? あいつはお世話してる相手が相手なんで相対的にそうやって見えるんですよ」

ああそうだ、赤葦くんというんだったっけ。洗い終わったボトルをカゴにつめて体育館に戻ると、スタメンを主に部員たちがまだ自主練習をしているのが目に入った。

山なりに綺麗なトスが飛ぶ。あの頃もこうやって、自主練する彼を見ていたっけ。赤葦くんに彼の姿を重ねながら、なんだか似ているな、とふと思った。

何が似ているんだろう。背も赤葦くんの方が高いような気がするし、黒髪だったけどくせっ毛じゃなかった。目はもっと丸くて。そういえばそれに関して言えば猿杙くんの方に似ている。少しタレ目で、笑うとそれが直線になってしまうような、そんな優しい笑顔を浮かべる人だった。

・・・うーん、雰囲気?

ぼんやりと見つめていると赤葦くんがこちらにふと視線を向けた。目線がかち合って、あ、と思っていると会釈され、手を振って返そうとしたけれどあいにく両手はカゴで塞がれていたから、中途半端に作った笑顔を浮かべる。

それを見た赤葦くんは一瞬目を開いて俯く。その頬が歪んでいるように見えて、

「(あ、今の、ちょっと似てるかも)」










その、次の日だ。実習を終えて学校の外に1歩出たとき、校門に背を預けて立っていた赤葦くんに声をかけられたのは。







「お疲れさまです」
「あれ、赤葦くん」

着替えた後に少しだけ作業をしていたから、運動部の子たちはもう帰っていると思っていたんだけれど。

「自主練?」
「・・・はい」
「電車通だったっけ?」
「そうです」

こんな時間まで自主練とは随分熱心だ。私も駅だから一緒に行こう、と歩き出した。しばらく他愛もない雑談に花を咲かせていると赤葦くんが一拍置いて口を切った。

「・・・あの、さっきの嘘です」
「え?」
「先生のこと、待ってました」

どうして。聞きかけてハッとする。隣を歩いていた赤葦くんは立ち止まって、真剣な眼差しで私を射抜いていた。口を開くのも躊躇っていると、続けて聞こえてきたその声に思わず目を瞠る。

「まだ会って1週間ですけど」
「・・・」
「好きです」

先生のこと、好きになりました。

人間は驚くと声すら出なくなるのか。予想もしなかった出来事にただ赤葦くんの目を見つめ返し、その熱に押し戻されるように俯いた。

「・・・そんなの、私が大学戻ったらすぐ忘れちゃうよ」
「忘れません。絶対忘れません」

高校生って眩しいな、と思った。だって私は、赤葦くんを真正面から見据えることができない。目を細めてしまう。

「まさか本気じゃないでしょ」
「どうして取り合ってくれないんですか」
「だってあなたは私の生徒で」
「でも実習が終わったらただの高校生と大学生ですよね」

その落ち着いた容姿とは裏腹に、赤葦くんの瞳はなかなかに熱情的だった。その目の奥と言葉選びになんとなく彼を思い出して、そういえばこうやって2人で帰ったなぁ、なんて関係ないことが頭に浮かんで消えていく。

「信じてもらえないならいいです」

沈黙を否定と取ったのか、困惑と取ったのか。赤葦くんはそうため息をついた。

「信じてもらえるようにするだけですから。明日から覚悟しといてください」

じゃ、帰りますお疲れ様でした。最後にペコリと一礼して、さっさと駅の方へ歩いて行ってしまった。どんどんと小さくなる背中を見送りながら、散らかった脳みそと心臓を落ち着けようとするんだけれど。

「(な、なにあれ・・・)」

鼓動が邪魔をしてまったく整理がつかない。なんなんだ、あの子。明日から、ってどういうことだ。

──という疑問は、次の日からの赤葦くんの行動に見事打ち砕かれたんだけれども。



朝学校に着けばどこからか現れて「おはようございます」と声をかけられ。

2年のくせに1年2組の教室に来てはバレー部の子を構いつつ私に話しかけていき。

昼休み、授業用の資料を運んでいると半分持ってくれたりして。

帰るときは大抵校門にいて、「私が顧問の先生に怒られるでしょ」と言えば「もうみんな帰ってるんだから大丈夫ですよ、それより作業遅すぎじゃないですか?」と飄々と返され。

別にこれといった問題を起こすわけじゃない。あの時みたいに「好きです」とは言わないし、場所をわきまえた行動をきちんとしてくれている。

でも。

でも、その視線の熱とか、随所に散りばめられたからかいの言葉とか、ふと微笑む表情とか。私の自惚れだと言ったらそこまでなんだけれど、それで言い込められない何かが確かにあるように感じてしまって。







「・・・疲れた」

今日の昼休みは5時間目の模擬授業のための準備に追われていて食事を摂る暇さえなかった。グラウンドに続く、少し奥まった場所にある外階段に腰掛けて、少し遅めのご飯を一人つつく6時間目。

今日も赤葦くんは絶好調で、何やらと言い合っている最中「赤葦くんと仲いいのねぇ」と、指導教員に言われたときは動揺が隠せなかった。どきまぎする私をフフンと鼻で笑った赤葦くんの得意げな顔を、忘れられずにいる。



──そういえばこんなこともあった。昨日の昼休みのことだ。

職員室で日誌を書いていた時、「みょうじ先生」聞きなれた声が私の耳に入った。嫌な予感を携えて振り向くとノートを持った赤葦くんが居て、「課題教えてください」と引っ張り出され、そのあたりの空き教室に連れ込まれたのだ。

「ていうか私、教育実習生だから・・・!」
「だからこうやって授業の質問来てるんじゃないですか」

教えてください、先生。ニヤリと笑みを貼り付けて私の腕をとる赤葦くんを思い出してもんもんとする私は、私は・・・

「(なんか超変態っぽい・・・)」

昼食がわりのパンをひとかじりして、赤葦くんの幻影を振り払うように大きく息をついた。こんな風に振り回されていたいたらキリがないのだ。指導案を考えるのに時間も脳みそも使うし、余計なことに頭を悩ませている暇なんて実習生には無い。

ちまちまとパンを口に運びながら手帳を開く。よし、と意気込んだところで、ありがたくないことにここ数日で随分と聞きなれた声がした。グラウンドの砂を巻きながら、私よりだいぶ大きなスニーカーが近寄ってくる。・・・計ってるんじゃと思えるくらい、タイミングが悪い。

「みょうじ先生」
「・・・赤葦くん、授業中じゃないの?」
「体育、自習なんで」
「自習してきなよ」
「先生のこと見つけちゃったから」
「無視してくださって構いません」

できるだけ素っ気なく返す私に構いもせず、赤葦くんは私の隣に腰掛けた。それ昼飯スか、そうやって聞きながら。

「なんで今?」
「お昼食いっぱぐれちゃって」
「それだけですか?」
「時間無くて」
「倒れますよ」
「大丈夫」
「お肌荒れますよ」
「・・・もう、私は忙しいの!ちゃんと授業出なさい!」

こいつ、絶対私のことからかってる。ピシャリと言い放つと「はいはい」と立ち上がった。頑張ってください、と一言残して、赤葦くんはグラウンドに戻っていった。

──声が、似ているのかもしれない。ふと思った。頑張ってと響く声が浸透して、彼を思い出して懐かしかったから。















「2週間ありがとうございました」

慌ただしくも充実した日々が過ぎて、気づけば最終日だった。

最後の挨拶を終えると部員みんなでお礼を言ってくれて、この熱気もエネルギーも、明日から感じられなくなってしまうと思うと単純に寂しかった。しかもマネちゃんたちから「これ、お礼です」とプレゼントまでもらってしまって。・・・大学4年、少し大人になった私の涙腺にはつらいものがあった。

これからまた自主練を始めるだろう選手のみんなに一礼して体育館を抜け出す。すっかり潤ってしまった瞳を隠すようにうつむきながら歩いていると、後ろから名前を呼ばれた気がした。

「・・・?」
「みょうじ先生」

──実は少しだけ、予想していた。脳裏をかすめたこれまでの出来事をかき消すように笑顔を作る。

「赤葦くん」
「お疲れさまでした」
「うん、ありがとう」

今日も自主練してくの?と見上げれば赤葦くんは頷いた。

「今日送っていっていいですか」
「・・・だめ」
「どうせあんた今日も帰るの遅いでしょう。待ってますね」
「さっさと作業終わらせて先に帰るから」
「要領悪いから無理ですよ」
「・・・そんなことないですー」

その生意気な口ぶりにぷいと顔を逸らすと赤葦くんは呆れたように息をついた。先生に向かってため息なんて失礼だと口を尖らせると、大きな手が私の頭に触れる。確かめるように仰げばそこには呆れ顔ではなく少しだけ笑った赤葦くんがいて。

あ、その口の端の上げ方。

「(似て・・・)」

待ってますからね。もう一言だけ念を押して体育館へ引き返していった。似てる、と、思った。思ったのに。

嘘でしょ、と自分に言い聞かせる。まさかそんなことは無いと。でも身体の熱がどうしようもなく逃げなくて、私はその温気を逃がすように歩き出した。



──今更になって自覚した。赤葦くんは彼に似ていたんじゃない。

足早に外廊下を抜けながら少し涼しくなってきた風を受け止めた。微かに熱を持った体が冷えて、彼の面影が重なって、そして消えていく。

すっかり暗くなった空を見上げた。生徒なのに。ため息をつく。赤葦くんは驚くだろうか。・・・赤葦くんなら、平然とした顔でやっぱりね、と目を細めそうな気もするけれど。

"でも実習が終わったらただの高校生と大学生ですよね"
赤葦くんの声が頭の中で響く。ああ、バカだ私。ダメだって分かってるのに。

赤葦くんが似ていたんじゃない。赤葦くんを見るときに浮かぶ感情が、彼と付き合っていたときのそれにあまりに似ていたのだ。

──赤葦くんは、会って1週間だけど好きですと言ったけれど。

更衣室に逃げるようにして飛び込んだ。誰もいなくて、助かった。心臓が早鐘みたいに脈打って、止まらない。ひんやりしたロッカーに額を預けて、息を吸って、吐いた。



私は一目惚れだったみたいだと言ったら、赤葦くんは笑うだろうか。




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