赤葦くんとのお付き合いが始まって2ヶ月と少しが経った。少し前まで予想もしていなかったこの関係に、報告した友人たちからは随分と驚かれた。

協力してくれた先輩と、その彼氏──木葉先輩にはこの前4人でお昼を一緒にしたときアイスを献上した。木葉先輩はその特徴的なキツネ目を丸くして「別にいいのに」と言いつつ、お礼とばかりに部内での赤葦くんの様子を事細かに教えてくれた。赤葦くんはそれを少し焦ったように遮ろうとしていて、こんな顔もするのかと感心すら覚えたものだ。そういう、はじめて見る表情とか言葉とかにもきゅんとしてしまう私は、自分で思った以上に彼に惚れてしまっているんだろう。


今日は部活が休みの日だ。さっさと帰って録りためている映画でも見ようとポイと筆箱を鞄に放り込んでいると横から声をかけられた。

「なまえ今日部活ないんだっけ?」
「うん、休み」

答えながら声の主を確認すると女子の学級委員だった。長い髪を片方だけ耳にかけながら、私から少し目をそらしながら彼女が口を開く。

「私今日、部活で集まりがあって」
「うん」
「でね、ちょっと頼まれてほしいことがあるんだけど」





--------------




「おわっ・・・た・・・・・・」

ドサリと、自分の机のみならず隣の子の机までもを占領するプリントの山を前に私は息を深く深く吐いた。"明日のHRに使う資料をホチキスでまとめておいて欲しい"とのお願いに快諾した数時間前の自分を呪う。

本当にごめん、今度クレープおごるから!
そう言って部活に行ってしまった学級委員の申し訳なさそうな顔を思い出した。いつもは購買のジュースなのに、今回はそれより200円ばかり高い報酬を申し出たのはこの量があったからなのだろう。職員室で持たされた大量のプリントを1人でまとめあげたのだ。一番高いメニューに飲み物をつけても文句は言えまい。駅前のクレープ屋さんで自分では到底手をつけない、でもいつか食べたいと思っていたクレープを思い浮かべた。

朝のHRで使うって言ってたし、教卓に置いておけばいいか。時計を見るともう部活終了時間だった。帰ろうと鞄を手に立ち上がりスマホにイヤホンを挿す。何を聞こうかと画面を点けたところで届いていたメッセージに気がついた。

「(・・・赤葦くんだ)」

つい先ほど送られてきたようで、何してるの、とだけ書かれていたそれに頬がゆるむのを感じた。いつも部活が終わるとすぐ彼はこうして私に連絡をとってくれる。私からの言葉に返したり、これから自主練だという報告だったり、内容はまちまちだけれど、連絡先を交換した時から習慣のように届くのだ。

そういえば今日は作業に没頭していて私から何も送っていなかった。部活が無いという話はしていたから、赤葦くんは私が家にいると思っているのだろう。

「あ、そうだ」

いいこと思いついた。








バレー部用にあてがわれた体育館の扉は、当然だけれどしっかり閉ざされていた。中からボールの音と話し声がわずかに漏れているから誰かはいるんだろうけどそれを開けるわけにもいかず。

ついさっき自販機で買ったスポーツドリンクを片手に立ち尽くしていた私の肩に何かが触れたのはその時だった。

「っ!?」
「わ、」

驚いて肩を揺らし振り向くと、目を丸く開いてぽかんとする背の高い男の人。半袖にハーフパンツを着たその人が驚いたのは一瞬で、その少し垂れた目をさらにちょっとだけ下げて、「バレー部になんか用?」優しげな声でそう言った。

「あ、」
「あれ、なまえちゃん?」

赤葦くんいますか。聞きかけた声を遮るようにして私の名前を呼んだのは、バレー部で唯一の知り合いであるよく知った顔だった。

「木葉先輩」
「ん?木葉の知り合い?」
「彼女の後輩」

見知った姿にほっとしつつ、今度こそ「赤葦くんいますか」と聞くと最初に声をかけてくれた先輩がきょとんとした顔をして、そしてなるほど、と小さく呟く。

「赤葦の彼女ってこの子かぁ」
「猿杙初めて会ったんだっけ?」
「そうそう、あいつ写メも見せてくんないし」
「で、赤葦?呼ぶ?」
「・・・あ、いや、やっぱり大丈夫です」

本当は少し会えないかな、と思ったんだけど。ペットボトルを木葉先輩に差し出して、「これだけ渡しといてもらえますか」とお願いした。邪魔しちゃ悪いし、先輩たちがいるなら赤葦くんも気まずいだろうし。

「折角だから会ってけよ」
「あいつらもそろそろ休憩入るんじゃない?」
「いや、ほんとに」

大丈夫ですから。言いかけたところでまた遮られた。今度は人の声ではなく、背後の扉が重く開く音。「お、休憩?」ちょうどいいとばかりに、木葉先輩はペットボトルを再び私の手に押しつけた。

「彼女来てるぞ」






***





「ごめんね、急に」

赤葦くんと2人の帰り道というのは、実は初めてだったりする。日が落ちてからこうして帰路を並んで歩くのは慣れなくて、すぐ隣の背の高い彼をこっそり横目で見上げた。

あの後ペットボトルを無事渡し、顔も見れたことだし帰ろうと手を振った私を止めたのは赤葦くんではなく木兎先輩だった。見てかねーの?当然のように体育館に招き入れた先輩に戸惑っていると「もう遅いし送ってくから、よかったら見ていって」と横から赤葦くんがフォローしてくれたのだ。

「それはいいけど、なんでこんな遅くまで残ってたの?」
「ちょっと頼まれごと」
「また? 相変わらずお人好しだな」

お人好し。その言葉にそんないいもんじゃないよ、と少しだけ笑った。別に断るときは断るし、今日はたまたま部活が無かったから引き受けただけだし。そのまま伝えたら、それがお人好しって言うんだよと赤葦くんも少しだけ笑う。

「でも今日みたいに赤葦くんと帰れるなら役得かな」

疲れてるのにごめんね、と眉尻を下げた。通常練習後だというのに木兎先輩のスパイクはすごいし、赤葦くんは淡々と、でも集中を切らさずにトスを上げていたし。バレーのことはよく分からないし、強豪のレギュラーってすごいんだな、なんていう月並みの感想しか浮かんでこなかったけれど。

「部活してるとこ初めて見た」
「退屈じゃなかった?」
「全然。赤葦くんかっこよかったし」

体育館の隅で、コートの中汗を流す彼を初めて見た。どうしてこんなにも、男の子がスポーツをしているところって格好いいんだろうか。そしてそれが好きな人なら尚更だと、今日思い知ってしまった。

影も落ちなくなってしまった夕暮れの後を赤葦くんと歩く。私は電車で赤葦くんは徒歩通学だから、駅まで送ってくれると言ってくれた。ちょっと、疲れさせてしまったかもしれない。

「わざわざごめんね、もう遅いのに」
「俺が一緒に帰りたいだけだから」

他愛ない会話の端々に、赤葦くんはこんな風に少し甘いことを言ってくる。最初の頃はどうにもこれが恥ずかしくて素直に受け止められなかったけれど、今はもうなんだかんだと慣れてしまった。

・・・でも。あんなかっこいい姿見させられた後だと、破壊力もひとしおというか。

「照れてる?」
「照れてない・・・」
「うそつき」

思わずうつむいた私をからかう笑い声が落ちてくる。よく笑う人だと初めて2人で遊んだときも思ったけれど、付き合い始めてからはそれがもっと顕著になった。私をおちょくるとき、赤葦くんは大抵笑っている。

そういえば、とふと彼の言葉を思い出した。

「あのね」
「ん?」
「本当はちょっと、寂しかったんだよね」

何が、と赤葦くんが首をかしげる。私は"部活忙しいけど、"と駅の改札口で言った彼を瞼の裏に写した。

その宣言通り、バレー部は忙しかった。正直ちょっとなめていた。あの後の土日は毎週1日部活、もちろん平日も練習。夏休みに入ってからは練習試合、遠征合宿、通常練習。合間を縫うように取られたお盆休みに少しだけ遠出をして、あとはほとんどスマホで連絡を取るしかなかった1年目の夏休み。

2学期が始まってからも練習漬けの日々。別に文句なんて無いけれど、付き合いたてだからというのもあって少しだけ寂しさを覚えたりした。でも何かに打ち込んで頑張っている赤葦くんはかっこいいから、文句なんて出てこなかった。

「でもね、今日見てたら全部吹っ飛んじゃった」

支えたいだなんて、おこがましいかもしれないけれど。
でもそう思った。2年生で副主将を任されるこの人の、少しでも。少しだけでも力になれたら。だから自然と、負担になるようなことだけはしたくないなぁ、そう、感じた。

「応援してくれるのは嬉しい」

住宅街の途中、赤葦くんは私を手を引き立ち止まる。つられて足を止め、じっと私を見る赤葦くんを見つめ返した。

「でも遠慮はしないで」
「・・・?」
「別に、負担だなんて思ってない」
「・・・うん、でも、」

言いながら、私の頭にぽんと手を置く。そのまま髪にすべらせて、真剣な顔つきで「我慢はあんまりさせたくないな」と呟いた。

「我慢してないし、するつもりないよ」
「でも、ラインとか減らそうって思ってたでしょ」

図星、だった。だって部活に集中してもらいたい。あんなに、好きな人があんなに一生懸命に頑張っていることを、私という、──彼女という存在が邪魔なんてしてはいけない。

連絡がくるのはもちろん嬉しい。でも、私から発信するのはすこし控えようかな。そう思っていたから、赤葦くんの言葉に一瞬詰まってしまう。

「みょうじさんからラインもらったら嬉しいし、それだけで部活頑張れるよ」
「・・・でも、無理だけはしないでね」

尚の事言いよどむ私にしびれを切らしたのか、赤葦くんがため息を漏らした。

「分かった。無理しないし、疲れてるときは寝る」
「うん」
「その代わりに、たまにはこうやって部活終わり一緒に帰って」
「・・・え、」

ぱっと見上げると赤葦くんは笑顔だった。それは願ったり叶ったりなんだけど、でもそれこそ無理をさせちゃうんじゃ、

「今日、来てくれて嬉しかった」

思考を遮るようにして声が降ってくる。行こう、と赤葦くんに手を引かれた。今度大会なんだけど、応援来てくれるよね?、いたずらっ子みたいに微笑んで振り返る彼を直視できなくて。

本当は少しだけ後悔していた。今日、ちょうど遅くなったからついでに、みたいな軽い気持ちで練習を覗きにいった自分を、恥ずかしいとさえ思っていた。もしかしたらそう感じていた私に気づいて言ってくれた言葉なのかもしれない。でも。

手を繋いだまま、黙って前を歩く赤葦くんが何か口走った。でも、それに偽りがないといい。優しさに甘えてしまおう。聞こえるか聞こえないか、それくらい小さな声で洩れた赤葦くんの声を、そっと胸にしまいこんだ。


「俺だって少しは寂しいって思うよ」





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