彼女は俺を「菅原くん」と呼ぶ。



部活終わり、一緒に帰る道すがら。男子バレー部のマネージャーで、かつ俺と付き合って早半年となるみょうじなまえは楽しそうに笑いながら俺の横を歩く。

「東京楽しみだね!」
「そうだね」
「クロと研磨、元気にしてるかなあ」
「・・・そうだね」

分かっている。彼女がはしゃぐ理由も、しょうがないということも。俺を菅原くんと呼ぶのは部活でのケジメのためだし、音駒の2人とは幼なじみだからそう親しげに呼んでいるだけだ。でも。

「(気に入らないことは気に入らない)」
「菅原くん、どうしたの?」
「なまえさあ」
「ん?」
「・・・・・・なんでもない」

のんきに聞いてくる彼女にはあ、と息をつく。それを見てなまえは"へんなの"と笑った。人の気も知らないで。悔しいから名前で呼んでなんて言えないよなあ。でも部活外でくらいそうしてくれてもいいんじゃないだろうか。

いつも別れる曲がり角で「ばいばい」と手を振った。すんなりと歩いて行ってしまうなまえの後ろ姿を見送って、俺も自宅へと向かう。

東京遠征は部として多大なチャンスだ。それは分かっている。練習も大事だけれど、1週間彼女と一緒にいられることも嬉しい。

でも、なんか付いてきて欲しくない。俺、器狭いなあ。なまえはただ久しぶりの幼なじみとの再会を楽しみにしているだけだ。俺と彼女が出会ってまだ2年と半年が経たないほど。なまえが宮城に越してきたのは中学2年の頃と聞いているから、きっと彼らと過ごした時間のほうが5倍ほど長い。そんなちまちました計算をしながら家に入っていく。嫉妬なんてかっこ悪い。でもちょっとくらい、俺に気を使ってくれてもいいんじゃないだろうか。






---------------







私が東京を離れ、宮城に来たのは中学2年の2学期だ。父の転勤で、私は親しんだ土地を離れ北の片田舎に越してきた。

引越し当日は、それはもう、泣いた。泣きに泣いた。学校の友達と離れるのも寂しかったけれど、何より2人の幼馴染との別れが辛くて泣いた。幼稚園の年中から、近所の公園で知り合って仲良くなって、小学生もずっと一緒で、中学では彼らの所属するバレーボール部のマネージャーをして。

両親が共働きで一人っ子だった私にとって、彼ら──クロと研磨は、兄弟みたいなものだった。お夕飯時はどちらかの家に寄って、おばさんの手伝いをして晩御飯を頂いて。そのまま、例えばクロの部屋でまったりしていたら研磨が来て、3人でゲームとかして。そんな空間が居心地よくて、とくに彼氏も作らず私はクロと研磨とずっと一緒にいた覚えがある。

だからクロが音駒に進学する予定だと聞いて、私は烏野高校に入学を決めた。バレーボール部、因縁の相手。敵になってしまうのは少し悲しかったけれど。でも遠征で会えるかもしれないし、と私は入学してすぐ男子バレーボール部のマネージャーになった。

そしてそこで知り合った、菅原孝支くん。
優しいけれど時々意地悪に笑う、部活にも何事にも真摯で一生懸命な彼を好きになって。烏野に来るきっかけをありがとうと東京の幼なじみに心からの感謝を捧げつつ、片思いし続けた1年と半年ほど。なんと菅原くんの方から告白をいただき、半年前にやっと付き合えることになったのだ。



仲良くやっていけていると思っていた。とくに大きな喧嘩もなく、たまの休みには一緒に出かけて、部活にも支障が出ないように2人でルールを決めて。

なんかおかしい。そう気づいたのは東京合宿が決まってから1週間ほど経った頃だ。それは小さい小さいことで、例えば彼の眉の動きだとか、笑うときの口角の感じだとか、その笑い声がいつもより小さいだとか、なんかおかしい。

「ねえ、最近菅原くんおかしくない?」
「そう?」
「仁花ちゃんはどう思う?」
「えっ! んー・・・ちょっと・・・わかんないッス」

なんかおかしい。そう思ってマネ仲間の2人に聞いてみるけれどこれといった答えは返ってこず、コートに入って汗を流している菅原くんを見つめる。

そうなのだ、部活中は普通に接してくるのだ。もともと部活中はべたつかない、選手対マネージャーとして接する、と決めていたから潔子ちゃんも仁花ちゃんも特に違和感を感じていないのだろう。私もそう思う。でも。

「(別に、普通に仲いいんだけど、なんか)」

もやもやとした気持ちが胸をせしめる。おかげで楽しいはずの下校時間もなんだかモヤがかかったみたいになって、最近は会話の合間に沈黙ができるようになってしまった。私が何か、してしまったんだろうか。

その日の帰り。いつものようにみんなと別れ、2人で下校路を歩く。相変わらずどこかぎこちない菅原くんの笑顔に釣られて私も口数が減り、ついに2人して黙ってしまった。

「・・・菅原くん」
「んー?」
「最近どうしたの?」
「何が?」
「なんか、変だよ」
「・・・あのさ」

勇気を出して問いかけると、ゆっくりとした歩幅で歩いていた彼が立ち止まった。なあに、と自分も立ち止まって見上げると、真剣な顔をした菅原くんと目が合った。


「ちょっと、距離置こう」






---------------






俺は何をしているんだ。

何本目か分からない、ペナルティである坂道一本ダッシュ。滴る汗を拭いながら、ぱたぱたとマネージャー業に勤しんでいるなまえに一瞬だけ目線を移す。

東京遠征が決まった日からずっと、なまえはそれを楽しみにしていた。

『昨日クロに電話したら、まだ知らなかったみたいですごいびっくりしてたよ』
『みんなと会えるの楽しみにしてるって』

そんな、幼なじみとの他愛ない電話の内容を報告してくれる彼女。その相手が男なのに、だ。・・・いや、男だからこそ、俺はなまえを信じるべきなんだろう。そこになんの他意もないからこそ、彼女はこうして俺に嬉しそうに話す。

「休憩」の号令を耳に入れて、ドリンクを清水から受け取る。あの日、距離を置こうと言った日から、彼女は俺にタオルもドリンクも持ってきてくれなくなった。部活中の距離感は変えずに。そうは言っていたけれどやっぱりなまえがそれらを持ってきてくれていたし、そのくらいならと大地もわかってくれた。俺のせい。俺に気を使っているせい。全部分かっていたし、自分は嫉妬とか束縛とかしないタイプだと思っていた。のに。

「(この体たらく・・・)」

差し入れのスイカをかじりながら、黒尾と孤爪に話しかけられ楽しそうに話す彼女を見つめた。楽しげだけれど、どこか申し訳なさそうな表情にまた自己嫌悪を覚える。久しぶりの、楽しみにしていた再会。それをあんな雰囲気にしてしまったのは紛れもなく俺で、でもちょっとだけ、気を遣ってくれているのかな、と思って嬉しくなってしまう。なんて勝手な彼氏だ。

「菅原、ゴミ」
「んあ、・・・ああ、ありがと」

清水が持っているゴミ袋に皮を捨てると、彼女はじ、っとこちらを見上げる。

「何?」
「なまえ、落ち込んでる」
「・・・」
「やきもち?」

清水の目が黒尾たちに向くのが分かった。う、と言葉につまるとため息をつかれてしまう。図星過ぎて返す言葉もない。

「気持ちは分かるけど、なまえだって悪気ないんだよ」
「分かってるよ」
「ならいいけど、早いとこ仲直りしなよ」
「・・・はい」










──そんな清水との会話から、早4日。

「まだ仲直りしてないのか」と清水どころか大地にさえ言われ、仕事中は元気なマネージャーでいてくれていたなまえも本格的に俺と目を合わせなくなってきた頃に迎えた最終日。

全日程を終えた今も会話らしい会話はなく、締めのBBQに突入してしまっていた。

「(ああああ・・・)」
「スガくんどうしたの」

腹は減っているがなんだか食が進まない。他校のマネージャーと楽しげに話しているなまえを遠目に頭を抱えていると、話しかけてくれたのは夜久くんだった。

「・・・いや大丈夫」
「ふーん?」

音駒だし相談してみようか。一瞬思ったけれどさすがに内容が内容だ。彼のチームメイトに嫉妬しているとはちょっと言いづらい。

「菅原」
「・・・ん?」

はあ、と何度目か分からないため息をつきつつ肉をちまちまと口に運んでいると、後ろから低い声に名前を呼ばれた。

「(うわあ・・・)」
「そんな顔しなくても」
「・・・ごめん」

黒尾だった。正直話したくない相手ではある。が、相談するなら逆にこいつが適任なのかもしれない。

「なに?」
「喧嘩してんだろ? あいつから聞いた」
「あー・・・」
「まあ原因は予想がつく」

何も食べられない俺になんの配慮も見せず、黒尾はばくばくと肉を食いつつ話を続ける。

「あいつの小さい頃の話とかって聞いてる?」
「いや、・・・ああでも、東京にいた頃はお母さんも働いてて鍵っ子だったって」
「俺と研磨と家近くてさ、それもあってまあよく飯食いにきてたりしたんだよ」

なんだ、幼なじみ自慢か。じっとりした俺の目線に気づいたのか、黒尾はニヤリと笑う。

「言いたいのは、俺たちはただの幼なじみだってこと。それであいつにとって俺はただの兄貴代わりだし、研磨は弟代わり」
「・・・知ってるし」
「じゃあなんで喧嘩してんだよ」
「・・・・・」
「あのさあ、俺もちょっと悔しかったんだからな」
「何が?」

別にあいつのことは好きだけど、恋愛感情は無いからな。そう前置きしてから話を続ける。

「お前と付き合うってことになった日、俺に電話してきたんだよ」
「・・・へえ」
「嬉しい嬉しい、って泣いて。 1年のときからあいつずっとお前のこと好きだったの、知ってる?」

・・・知らなかった。

2年の終わりに告白して、予想もしていなかったオーケーの返事をもらって。それまで完全に俺の片思いだと思っていたから。

「兄ちゃん的にはね、それがちょっと悔しかったんだよ」
「・・・ふうん」
「優越感覚えてんじゃねーぞ」

ゆるんだ頬を睨まれるが痛くも痒くもない。だがしかし、じゃあ俺はなまえになんてことをしてしまっているんだろうか。黒尾にも。

ちゃんと謝らなきゃ、よし今謝ろう。そう思ってなまえに向き直り、さて人気のない場所はどこにあるだろうかと考え出したとき。

「ちっ・・・。 おいなまえ!」

上から聞こえた盛大な舌打ちと、呼ばれた俺の彼女の名前。ちょうど視線の先にいたなまえは肩を揺らしてこちらを見た。うわあ、という表情を惜しげもなくさらすなまえにくいくいと黒尾は手招きをする。おい、と腰のあたりをどつくとニヤリとしたいつもの表情で見下ろされた。

「今のうちに仲直りしとけって」
「おいっ」
「・・・なに? クロ」

少し気まずそうな顔でやってきた彼女は不安そうに黒尾を呼ぶ。なんで俺じゃないんだと思いつつ、いや自分で距離置こうとか言ったんじゃないかと心の中で首を振った。落ち着け。

「俺じゃなくて、菅原が」ニヤニヤしながら俺に振る黒尾を若干睨みつつ、でも少しだけ感謝も覚えつつ。

「なまえ」
「・・・はい」

声をかければ視線を下に向ける彼女に申し訳なく思った。理由も言わずに勝手に距離置こうって言って、黒尾とも孤爪とも気まずくさせて。ただ純粋に幼馴染に会えるのを楽しみにしてたのに、その再会を邪魔して。

「ごめんな」
「・・・?」

ぽん、と頭に手を置くとなまえは目を丸くして俺を見上げた。

「黒尾とも孤爪とも、久しぶりだったのに気まずくさせちゃったな」
「・・・ちが、」
「練習中も、気遣わせちゃったよな」
「菅原くん、」
「・・・ごめん待って訂正」

・・・こんなこと言いたいんじゃない。何この期に及んでかっこつけてるんだ。びしりと自分を奮い立たせて、正直に、素直に、言葉を探した。

「嫉妬してたんだ、黒尾と孤爪に」
「・・・えっ」
「なまえの小さい頃とか、俺よりももっとずっと一緒に過ごしてた時間の大きさとか、今でもすごい仲いいとか」
「・・・」

黙ったままのなまえに、再度ごめんと告げて頭を下げた。もう別れる、そう言われるかもしれない。そう思うと、ずるいけれど彼女の顔を見ていられなかった。

「菅原くん、顔上げて」
「・・・」

小さい震える声で言われて、その通りに顔を起こした。「・・・なまえ、」するとそこには泣きそうな顔の彼女がいて、思わず名前を呼ぶ。

「バカ」
「・・・うん」
「嫌われたかと、思っ、」
「ごめん」

必死に涙をこらえるなまえの髪を撫でた。罪悪感でたまらなくなる。きゅ、と彼女の左手を取って、もう1度だけごめんと謝った。

「こんなんでよかったら、これからも彼女で居てほしい」
「・・・うん、これからも、よろしくお願いします」
「ところでお前さあ」
「うわっ」

いいところだったのに、横で静観していた黒尾が急に声をかけてきた。「なんだよ」と言い返せばまたもニヤニヤして俺たちを見返す。こいつの表情筋コレで凝り固まってるんじゃないかどうなってんだ。

「菅原くん、って呼んでんの?」
「え?」
「あっ、ちょっとクロ言わないでっ」
「俺との電話だと孝支くんって呼んでるのに〜」
「えっ?」
「クロ!」

ぽかんとする俺の前で黒尾に殴りかかろうとするも阻まれ、どんと押され倒れこんでくる彼女を呆然と受け止める。邪魔者は退散、と一言残して去っていく黒尾の後ろ姿を見送ってなまえの顔を覗き込むとそれはまあ、

「・・・真っ赤」
「うるさい」
「孝支くん?」
「・・・うるさいっ」
「呼んでくれていいのに」
「呼べないから、だからっ・・・」

黒尾との電話で呼んで発散させていた、らしい。どうやら。なんだそれ。

「おまえそれは反則」
「菅原くんが言ったんじゃんケジメがどうのって!」
「かわいい」
「もうっ」
「お前らいい加減にしろよ」

なまえをしばらくからかっていると唐突に割り込んできたのは黒尾ではなく我らが主将の声のようだった。怒りを含んだそれに思わず背後を見やると、

「(目が笑ってない・・・)」
「やっと仲直りしたと思ったらいちゃつきやがって、こっちの気持ちも考えてみろ」
「スミマセン」
「・・・まあいいけど、もう喧嘩すんなよ」
「ハイ」

大地がため息をつきながら去ったと思えば背中に衝撃が走る。「き、潔子ちゃんっ」慌てたようななまえの声から察するに俺の背中をぶん殴ったのは清水のようで、心配してくれてたんだなあと微笑ましく思った。でもなかなかに痛いから多分本気で力を入れてたんだと思う。ごめん、その背中に呟く。

ちらりとなまえに目を向ければ視線が合って、二人でふにゃりと笑った。

「もう喧嘩やめようね」
「主将とマネに怒られるしな」
「・・・ていうか孝支くんとあんなに喋れないの、もう絶対嫌」

寂しかったよ。眉尻を下げて困ったように笑う。言いだしっぺは俺だけれど、「俺も」と呟いて手をつないだ。本当はキスのひとつもしたいところだけれど、さすがにちょっと恥ずかしい。

「でもちょっと嬉しかったよ、やきもち」
「・・・そ」
「私も、ドリンクとか渡せなかったから。
 その分渡してた潔子ちゃんと仁花ちゃんにちょっと妬いてた。」

秘密だよ、と呟く彼女を見て、この手はなまえが許してくれる限りずっと繋いでおこうと決めた。好き、と小さな声で言えば私もと返ってくる。幸せってこういうことかと、理解した暑い夏。


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