自習室でレポートを片付けていると、いつかの時のように黒尾先輩が背後から現れた。隣に座って、ニコニコしながら私の横顔を凝視してくる。・・・なにか用だろうか。横目で少し胡散臭いその笑顔を確認して、私は口を開いた。

「・・・ご機嫌、ですね」
「まあな〜」
「デート楽しかったですか」
「超可愛かった」

若干、噛み合ってない気がするけれども。カタカタとキーボートで文字を連ねながら、デートのことを教えてくれた朱莉の顔を思い出す。朱莉は少し照れたように、でも笑って、先輩がそのときあんなことを言っただとかこんなことをしただとかを話していた。恋する乙女とはまさに彼女のことで、そこに浮かんだ当然の疑問を私は先輩にぶつける。

「なんで、それでまだ付き合ってないんですか?」
「なんでだと思う?」
「・・・なんででしょうね」

あ、めんどくさい。今日の話のお目当てはそこか。
それを察知して、私はちらと進まないワード画面を見た。まあでも、利害は一致してる・・・かな。

「レポート2枚分で」
「・・・ちゃっかりしてるね」
「まあ、せっかくなんで」

ね、と少し笑ってみせると、先輩は「俺かっちゃんのそういうとこ結構気に入ってる」と同じように笑った。





「んーまあ、実際怖いんだと思いますよ」

「なんかあいつの態度が煮え切らない気がする」そうこぼした先輩に、昨日の朱莉を思い出しながら言う。黒尾先輩と付き合うのかと聞いたとき、煮え切らない、バツの悪そうな顔をした。原因はきっと元彼の浮気の件だ。

「先輩、遊んでるから」
「俺ってそんな軽薄そうに見える?」
「噂だけならよく聞きますね」
「・・・ま、自業自得なんだけどな」

ぼそりと呟いて、先輩は私のペンケースを勝手に漁ってシャーペンを取り出した。それをくるくると回しつつ、「ちなみにそれってどんな噂?」と聞いてくる。

「とっかえひっかえ系が多いですけど。 聞いた中で一番ひどいと思ったのは三股とセフレ5人ですかね」
「・・・いねーよ」
「でしょうね」

俺って案外一途なのに。拗ねたように背を向けた先輩の背中を眺める。

信じてはいなかったけれど、そういう噂が立つくらいならまあそれなりに歴代の彼女は多かったんだろう。加えて見るからにちゃらちゃらしていそうなルックス。彼女がいない間は、多分世間一般にセフレと言われる存在もいたのだと思う。それは事実としても、だ。

実際にこの人と話すようになって、その印象はだいぶ薄れていたというか、改善されたというか。たぶん振られた元カノとかがそういう噂を流してんだろうな、とさえ思うくらいにはそんなにだらしくない人だと思うようになった。

何より、多分この人は本当に朱莉に惚れ込んでいる。

「あいつはそれ信じてんのかな」
「私が信じてないですから、朱莉もそうだと思いますよ」
「・・・斎藤ってあの元彼、結構好きだったんだな」
「なんだかんだ1年付き合いましたからね。 情はあるんじゃないですか」

私は朱莉の友達だ。あの子が泣くところとか、傷つくところはもう見たくない。あのくそ元彼も、その浮気相手も、朱莉が止めなかったらぶん殴ってやりたいぐらいだった。

「私、黒尾先輩には期待してるんです」ちょっと失礼かな、と思いつつも言ってしまう。きょとんとする黒尾先輩にそのまま続けた。

「多分ですけど、朱莉は臆病になっちゃってるんですよね」
「・・・臆病?」
「先輩を好きで信じたいけど、でも浮気がネックになって思いとどまっちゃってるんだと思うんですよ」
「あー・・・」
「先輩ならなんとかこう、それも全部吹っ飛ばしちゃうくらい、惚れさせられると思うんですよね」
「・・・・・」
「えーっと、つまり、・・・応援してます」

無言になってしまった先輩を見ればまっすぐに私を見ていて、なんだろうと思っていると「かっちゃん!」と両肩に手を置かれた。・・・本当になんだろう。

「なんていい子なんだ!」
「・・・はあ」
「先輩がアイスおごってあげよう!」
「・・・どうも」

でもその前にこれ教えてください。目の前のパソコンを指差して言うとそんなの俺が書いてやる、とキーボードを少し乱暴に引きずられた。その様を少し退き気味に眺めつつ、お願いしますよ、と心の中で呟く。

まあ、失恋には新しい恋、と言うし。うまくいくといいなあと、ものすごい勢いでキーボードを打つ先輩を眺めつつ、思った。






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講義棟の廊下をひとり歩く。1日の講義を終えて、今日の晩ごはんは何にしようかなあとどうでもいいことを考えながらエレベーターのボタンを押した。

「(あー、研究室行かないと・・・)」確か明日提出の課題をするための荷物が置きっぱなしだ。千代さんは今日確か説明会でいないはず。鍵開いてるかな。・・・黒尾先輩、いるかな。
この間2人で出かけたことを思い出す。あれから私はなんだか思考がまとまらなくて、気づくとあの日のことばかりを考えていた。

笑った顔とか、たばこを吸う仕草とか、肩に残る先輩の手の温度とか。そういうのばっかりを思い出してはかき消し、また思い出してはかき消し。

「(あれは告白だったんだろうか)」

帰り際、好きの言葉とあのキス。
あの後あっさり黒尾先輩は帰っていった。手を離し、唇を離し、「早く中入れ」と優しく笑って手を振って。私が後ろを気にしながらアパートに入ると車はすぐに走って行ってしまった。・・・どきどきしたのなんて、私だけ、みたいに。

あのとき私は名残惜しささえ感じていて、そんな自分に嫌気がさした。元彼と別れたばっかりで、ふらふら流されて先輩と2人で遊んで。「なんかこのままじゃダメな気がする」とかっちゃんには言ったけれど、「なんで?」そう聞かれれば返す言葉が見つからず、本当何やってるんだろうという気持ちになった。

別に好きって言われただけで、付き合って欲しいとも言われていない。先輩にとっては挨拶みたいなものなのかもしれない。・・・エレベーター遅いなあ。2階で止まったままの表示を見ながらぼけっとしていると、後ろから声がした。女の人の声だ。「最近遊んでくれないじゃん」。聞くつもりはないけれど耳に入ってしまうのだからしょうがない。エレベーターを待つまでの暇つぶしになってもらおうと、少し意識して耳を傾けた。・・・でも、その次に聞こえた声に私はこの場にいることを後悔してしまう。

「んー、そうだったっけ」

たぶん、すぐ後ろの教室だ。男の人、・・・たぶん、よく知っている、最近よく聞くそれ。

「院試終わったんでしょ?」
「終わったな」
「じゃあまた遊んでよ、鉄朗」

どうやら男女1対1で交わしているその会話は、微かにそのドアが開いているのか廊下によく響いた。2階から3階へ、表示が切り替わる。ここは6階だ。

早く、きて。意味がないことは分かっているけれど、下向きのボタンを何度も押さずにはいられなかった。すぐそこの講義室に、黒尾先輩がいる。たぶん女の人と2人で。"また遊んでよ"と言った高い声が浮かぶ。また。

分かっていた。先輩は人気あるし、モテるし。色恋沙汰の噂も絶えないし。私とは全然違うタイプの人なんだと。エレベーターが4階でまた止まる。ああもう、早く、なんで今日に限ってこんなに遅いの、早くしてよ。


「みんなで、な」
「えー? ・・・前はあんなに可愛がってくれたのに」


聞きたくない、早く、早くして。いっそ階段を使おうかとも思ったけれど、そうするとあの教室の前を横切らなくてはならない。ドアには窓がついているから、多分見えてしまう。逃げられない。

がちゃり、背後でドアが開く。エレベーターは5階だ。


「お」


絶対に振り向きたくなかったのに。廊下に出てきたであろう先輩は私を見つけて、「朱莉」と名前を呼んだ。ゆっくり振り返ると、私を見下ろす黒尾先輩と、その奥にむっとした顔の背の高い女の人。

「・・・こんにちは」
「おう、お疲れ」
「鉄朗その子誰」

厳しい目が私に向けられる。やめてよ、勘弁して。その視線から逃げたくて、先輩の背中に隠れるようにバレないよう横へちょっとだけ移動した。

「ん? ああ、研究室の後輩」ぽんと黒尾先輩が私の頭に手を置く。女の人の眉間に皺が寄ったように見えて、思わずそれを避けてしまった。

「あ、お前本当可愛くないね」
「すみません可愛くなくて」

研究室の後輩。間違ってはないし、私と先輩の関係を表すならそれが最も的確だ。でもなんだかそれが寂しくて、ぷいと横を向く。先輩の言う通り、私は本当に可愛くない。

「で、さっきの話の続きだけど」

そう言って先輩は女の人に向き直った。・・・ていうかエレベーター本当遅い、故障でもしてるのか。この2人のお話なんて私は聞きたくないんだ早くしてくれ。ダダダ、と再びボタンを連打し始めたとき、その手を先輩に掴まれた。ぐいと引っ張られ、先輩の隣に並ばされる。なんですか、そう文句をつけようとしたとき。

「いまコイツに惚れてるからお前とは遊べない」

タイミングよくエレベーターのドアが開く。先輩の発言が理解できずぽかんと見上げた私をそれに押し込んで、女の人が乗ってくる前に先輩は閉ボタンを押してしまった。

「あ、」
「じゃあな〜」

手を振る先輩を見上げ、掴まれた腕を確認し。またなんか訳のわからない行動をし始めたと、頭が混乱を始める。もうやめてくれ、と思った。これ以上引っ掻き回さないで、落ち着かせて。

一瞬の沈黙の後、唐突に先輩がこっちを振り向いた。

「急にごめんな」
「・・・いえ」

手は掴んだまま。ぐんぐんとエレベーターが下がっていく。黙ってしまった先輩を見上げ、さっきのことを思い返す。いや、ありえない、あれはきっとあの人に辟易した先輩の方便で、たまたまあそこにいたのが私だったから。

そんなことを、考えるけれど。もしかして、と思ってしまう私はうぬぼれ屋だろうか。もし先輩の好きが、本当だったら。
きゅう、と心臓が音を立てる。まさかそんなこと、ある訳ない。

「あのさぁ」
「はい?」
「この後もう帰るだけ?」
「・・・研究室に荷物取りに行ってから帰ります」

言うと、先輩は少し考え込む素振りを見せた。なんだろうか、ていうかこの手はいつ離されるんだろうか。そろそろ1階についてしまうのに。ついてしまってドアが開いたら、誰かに見られてしまうのに。

「じゃあその後、ちょっと時間ちょうだい」

ちん、とドアが開く。幸い誰もいなくてほっとしたけれど、先輩のその言葉に少なからず私は動揺した。それを見せないよう、エレベーターから降りながら頷くと、黒尾先輩は満足そうに笑う。

今日は荷物を取って、帰って、レポートをしなきゃなのに。晩ごはんも何にしようか考えていたのに。

やっと離された手の、先輩の冷たい指の温度を思い出しながら歩き出す。いい天気だな、なんて。先輩はのんきに呟いた。






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