1日の講義が終わった。帰りがけの学生でざわつく教室内、私も帰ろうとファイルやら筆箱やらをカバンに詰め込んでいると、ふと視界に影が落ちる。「斎藤」その影の主が発生源であろう低い声が聞こえた。仰ぐとやはりそこに案の定のにやつき顔がいて、思わずため息が漏れた。

「黒尾先輩、もういいですって」
「何が?」

わかっているくせに先輩はそう言って、私の鞄を取り上げ教室の出口に向かってしまう。声をかける間もなく出ていった先輩を慌てて追いかけた。






研究室のネコ 06






『しばらく送ってくから』

俺がおまえを好きだからだと言われたのがもう1週間前。ぽかんと口を開けた私に、先輩は続けてそう言い放った。どうせあいつまた来るだろうし、いちいち探してらんねーからな、と。いや、さっきの発言もわけが分からないけれどさらにわけが分からない。どう答えようかと困っている私を見て黒尾先輩はニヤニヤ笑い、間抜けヅラしてんなよ頭悪そうだぞと鼻をつままれた。

その日から1週間、先輩はその宣言通りに私の講義や用事が終わるとどこからか現れる。学校から黒尾先輩の家の間に私の家はあるから、まあ気にすんなよと言われたけれどそういうことではない。理由がないじゃないか。なんのためにこんなことするんですかと聞けず、流れに乗っけられてしまった私は前を歩く先輩のツンツン頭を眺めて今日も駅への道を歩く。


「先輩、カバン返してください」
「んー? 取ってみろよ」
「・・・・・」

ほれ、と高く掲げられたそれに思わず閉口した。ニヤニヤする黒尾先輩を見、背の高い先輩がその長い腕で上げたカバンを見、ヒモのとこなら届くかなあと目測してからなるべく素早く手を伸ばす。が、さらに高く軽々とそれをかわされ私は自分の目が坐るのを感じた。

「・・・先輩」

なんのためにこんなことを。ぶひゃひゃと声をあげて笑う先輩を思いっきり睨んで「先輩笑い方ブサイクですね」と嫌味を込めて言うと「うるせえ」カバンが頭の上にドサリと降ってきた。

「ほれ返したぞ」
「痛いですバカ」

受け取って肩にかけ、またもとのニヤニヤ顔に戻った先輩を見て言う。満足そうにさらに口元を歪める彼を見て、もうなんか一生敵わないんだろうなあと思った。駅に入って電車に乗り込む。ここから私の家まではだいたい30分くらいだ。



私と先輩の関係は、こうして学校帰りに送ってもらう以外特に変わっていない。お昼を一緒にするわけでもなく、話す時間が増えたわけでもなく、休みの日に遊びに行くわけでもなく。たまにお茶して帰ったりもするけれど、本当に特に変わっていなかった。なんだかなあ。好きだと言われたのが嘘みたいだ。むしろあれ私の勘違いとか妄想とかそんなんだったんじゃないだろうか。そんな風に思えるくらいには、私と先輩の距離感は相変わらずだった。そもそも『好き』という感情は一種類ではないし、先輩的には研究室のたまたま家の近い後輩がなんだか男関係で困っているから助けてやろうぐらいの感じなんだろうか。

好き、とか言うものだから。私から意識していないというのは嘘になってしまう。特に送ってもらい始めた3日間くらいはなかなかひどかったような気がする。黒尾先輩はそれを見てまたニヤニヤするだけで、私への扱いは前も今もあんな感じだ。そんな先輩にああ特に他意はなかったのかと思うけれど、それならどうして送ってもらえているんだろうとも思う。あの後特に元彼は登場していないし、メールも電話も来ない。そのことを伝えても、もしもがあるかもしれないだろと先輩は私の頭をぽんと撫でるばかりだった。

「斎藤」
「・・・」
「おい」
「・・・」
「朱莉」
「!? は、はい」

普段されない呼ばれ方をすると人は驚くものだ。何ぼーっとしてんだ、と呆れる黒尾先輩に謝る。

「考え事してて・・・。 で、なんですか」
「聞いてなかったの?」
「すいません・・・」
「明日院試で遅くなるんだけど、おまえ一緒に帰る友達いる?」

院試。もうそんな時期か。大丈夫ですと答えるとあっさり前を向いた先輩を横目で見やって思う。この人いつ勉強してんだろ・・・。

「先輩院試大丈夫ですか?」
「なめてんの?」

よゆー、と私の心配を鼻で笑う。まあ成績は優秀らしいし大丈夫なんだろうけど、でも院試直前1週間を私を送るのに使ってしまっていいのだろうか。落ちたら私のせいな気がする。

「忙しいのに送ってもらっちゃってすみません」
「なんで謝んの」
「だって落ちちゃったら、」
「だから落ちねーって」

落ちる落ちる言うんじゃねーよ、と私の頭をぺちりと叩く。

「俺が勝手にやってるんだからいいんだよ」
「・・・でも」
「いちいちうるせーな」

うるせーってひどい。文句を言いかけたけれど先輩が頬をつまむのでそれは叶わなかった。いたいです先輩、痛くしてるからな、なんていう会話をしているとアナウンスが次が私の降りる駅だと教えてくれる。

「ほら、じゃーな」
「はい」

今日もありがとうございましたとお礼を言って、カバンから定期入れを漁る。見つかったそれを握りしめて先輩に向き直ると、・・・なんだかこう、いいこと思いついたみたいな、この人特有のイヤな顔をしているのが目に入った。

「朱莉ちゃん」
「・・・なんでしょうか」
「そんなに謝るなら院試終わったらデートな」
「」
「じゃ」

見計らったように開いたドアに向かって背中を押され、言い返そうと思ったけれど閉まってしまいそうなドアに向かわないわけにもいかず、一瞬だけ振り返るとにっこり笑いながら黒尾先輩は手を振っていた。降りたとたん閉まるドアに、デートって、と思わず呟いた。







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「けっきょく黒尾先輩とはどうなったの?」

学食のラーメンをすすりながらかっちゃんが私に聞いてきた。


3限が急に休講になった。お昼時は混むからと、私たちは2人で3限のガランとした食堂で昼食を摂っていた。

「どうもなってないよ」
「どうもなってないことないでしょ」

私ものすごい勢いで相談されたんだから、なんか進展あってもらわないと困る。憮然として言うかっちゃんに少し言葉を詰まらせながら、私はオムライスを一口放り込んだ。・・・先輩に相談を受けたという話はその次の日くらいに聞いていた。つまり元彼と話した次の日だ。先輩と何かあったと言うならあの日のことを話すのが一番いいのだろうが、相談の件を聞いてもなんとなく言う気になれなかった。私の中で整理がついていなかったというのもあるけれども。

「私、口は堅いよ」
「・・・知ってるけど」

じ、とこちらを見るかっちゃんを見返す。この目は逃がしてくれないときのそれだと分かるのは、大学生活でいちばん最初に仲良くなったのがこの子だからなのだろうか。逆らえないと早々に見切りをつけ、実はねと口を開く。








一通りの説明が終わってかっちゃんの顔を窺うと、うわあ黒尾先輩イケメンすぎじゃない?なんてきゃっきゃしていた。人の恋バナが楽しくて仕方がないらしい。私もできたらそちら側に立ちたい。

「告白されてんじゃん」
「いやだから、告白かどうかも分かんないって」
「千代さんには言った?」
「言わないよ・・・」

言わないでよ、と釘を刺すとはいはいと気のない返事が返ってきた。

「そういえばもう院試終わったんじゃん、先輩どうだったって?」
「まあそつなくこなしたんじゃない」
「あー、そういう感じあるもんねあの人。・・・じゃあ遊び行きたい放題だね?」

にやりとする彼女から少し意識を逸らす。え、なに?目ざとい彼女は私の視線の変化を逃さなかったようで、全部吐けとばかりに詰め寄ってきた。洗いざらい話さないと許さないとその目が言っている。

「・・・・おととい、2人で遊んできた」
「デートじゃん!」

珍しく大きな声を出した彼女の口を慌てて塞ぐ。デートじゃない、そうじゃないって、だから黙って。

「デートじゃなかったらなんなの?」
「別に、先輩の院試が終わって遊びに行きたいって言うからそれに付き合っただけで別に私じゃなくても誰でもよかったんだと思う」
「はあ? ・・・はあ」

肩を落とす私の親友は、これでもかと呆れた表情を作ってそんなわけないじゃんの言葉をため息と共に吐き出した。

「どこ行ったの?」
「ま、待って。4限始まっちゃうからもうこのへんで」
「じゃあ今日夜ご飯いこう」
「・・・今日はちょっと千代さんのとこに」
「あんた嘘つくとき下唇噛むのやめたほうがいいよ」



「・・・はい」






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