──やってしまった。
二日酔いではなく痛む頭を抱え、俺は昨日の出来事を反芻する。
「・・・・帰ります」
「お、おう」
「送ってくれてありがとうございました」
おやすみなさい、そう言って斎藤はオートロックの鍵を開けアパートに入っていってしまった。俺は何もできず間抜けにそれを見守り、しかしそこに居てもどうしようもないので駅に向かい、どうしようもないけれどもとりあえずその道中上村に電話した。が、上村は寝ているのか出ず、「ちくしょうあの女」自業自得なのは分かっているがチッと呟き自宅に帰って寝た。
最悪だ。この頭痛が二日酔いならまだよかったものを。
学校なんて行きたくないが、院試の勉強と研究がある。重い頭と腰をあげなんとかベットから体を引きずりだした。なんであんなことしたのか自分でもわけがわからない。泣きそうなくせして強がったこと言う斎藤にむらっとしてしまったのだ、どうしようもなく。
「ほんとどうしようもねーな男ってのは・・・」
男という生き物に軽薄だと絶望していた斎藤に軽薄な行為をしてしまった。失態だ。全国の男性諸君および大学内で斎藤に想いを寄せていたかもしれない男性諸君、申し訳ない。
ふざけている場合じゃないが、ふざけることしかできず、そんなくだらない思考をぐるぐる回しながらシャワーを浴びた。
研究室のネコ 03
「黒尾おーす」
「はよ」
いつものように研究室に入るとそこには上村一人だった。
「昨日はお疲れ」
「・・・おう」
斎藤は上村に話しただろうか。別に話していたところでどうもしないけれど、こいつが知ったらすごく軽蔑した目で見下されそうな気がする。
「朱莉ちゃんも大変だったよねー、あんな男に捕まって浮気されて」
「・・・そうだな」
「・・・・・・・なんかあんたおかしくない?」
二日酔い?眉間にしわを寄せて聞いてくる。普段ぼけっとしているくせにこういうときは目ざとい。「いや、別になんでも」目をそらしながらコーヒーを淹れる。・・・斎藤はまだ来ていないのだろうか。それらしきカバンは見当たらない。
「・・・・斎藤は今日来ないのか」
「朱莉?さあ、まだ連絡きてな・・・・」
「?」
途中で途切れた声に振り向くと、先ほどよりさらにシワを深くした上村が「あんたまさか朱莉ちゃんになんかしたんじゃないでしょうね・・・・?」と凄んできた。送り狼め殺してやると目が言っている。
「なんもしてねーよ馬鹿」
「それならいいんだけど」
「・・・コーヒー飲む?」
「飲む」
あんたが淹れるなんて珍しいじゃない、とスマホをいじりながら言う。「・・・」何も言えず無言でコーヒーを上村の前に置いた。「・・・あ、朱莉ちゃん今日これないって」「!」
今日来れない。その言葉に思わず上村を見る俺に、「あんたやっぱなんか・・・した?」怪訝な顔で聞いてくる。
「や、だから別になんかしたとか「黒尾が朱莉ちゃん送り狼したって言いふらしてもいいんだけど」・・・・・・セックスはしてません」
「セックス“は”!?」
は、って何!と叫ぶ上村の頭を思わず叩く。ちゃんと話すからボリューム落としてくれ、俺が悪かったから昼飯おごるから。
そうたたみかけるように言うと、「じゃあとりあえず昼まで勉強ね」今日はDランチの気分、とご機嫌に返された。くそ。
─────────
──やってしまった。
寝起きのガンガンする頭をおさえる。頭痛の原因は2割二日酔い、1割今日の講義について、残り7割は・・・・昨日の帰り際のことだ。
「黒尾先輩怒ってるかな・・・」
誰もいないワンルームアパートで一人つぶやく。今日は2限からだ、急いで準備しないと。
4限まであるので今日は行けません、と千代さんに連絡をする。2限にはなんとか間に合った。朱莉クマすごすぎとげらげら笑う友達を無視して早速寝る体勢にはいる。寝ていないと昨日のことを思い出してしまいそうで怖い。午後は実習でよかった。頭と体を動かしていればなんとか忘れていられそうだ。
目を閉じると嫌でも夜のことを思い出す。21にもなると、自分が昨日のことでドキドキしてしまったなんてことも嫌でもわかってしまう。
確かに昨日、先輩にキスをされた。それまでは元彼を思って泣いていたのに、とたんに涙は止まってしまった。びっくりしたのもあったし、何より顔が熱くなるのを感じたからだった。・・・夜でよかった、と思う。お酒が入っていたにしても、私の顔はきっと赤すぎただろうから。
──黒尾先輩に合わせる顔がない。
というより、どんな顔をして会ったらいいか分からない。そんなわけで今日は研究室には行かないことにした。提出物もないし、打ち合わせもない。ちょうどよかった。
「・・・・・・」
だめだ、思い出して寝れそうにない。
むくっと起き上がると、手帳を開く。明日は・・・実験準備だ。行かなきゃならない。やだなぁ。
「何がいやなの?」
「・・・・・・・・・なんでもない」
「え?」
「・・・・なんでもないです」
あ、そう。思わず口に出てしまった言葉を拾い上げられる。この子本当めざとい、やめて。
「今日はお昼どうするの?」
「ん、一緒に食べよ」
「分かった」
講義が終わればお昼ご飯だ。友達数名で食堂に向かう。
「朱莉久しぶりだね、一緒に食べるの」
「そうだっけ?」
うどんの乗ったお盆を持って空いた席に座る。「最近千代先輩とべったりだったじゃない」確かに、一緒にいることが多かったかもしれない。
「あと黒尾先輩」
「っ、!」
すすっていたうどんに思わずむせる。「ちょっと朱莉汚い」ごめん、謝るからティッシュ取って。目の前で冷たい目をする友だちにティッシュをもらい、となりの子に背中をさすってもらう。
「・・・・ごめん」
「いいよ」
「ありがとう」
「黒尾先輩となんかあったでしょ」
「な」
なにもない、そう言おうとした瞬間だった。「あ」目の前の友達の視線が横を向く。釣られてそっちを見ると、
「おー、斎藤じゃん」
「こ、こんにちは」
噂をすれば影がさす。そこには2人分のお盆を持った黒尾先輩がいた。
「今日は研究室こねーの?」
「あ、はい。授業があって」
「そか、・・・じゃーな」
短く言葉をかわすと、あっさり行ってしまった。いやあ黒尾先輩今日もイケメンだねえ、なんてみんながほくほくと話している。
「・・・・・・・・・・」
普通だったな、あの人。ドキドキしてたのは私だけなんだろうか。
「で?」
「へ」
「今の態度で何もなかったとは言わせない」
「・・・・・・・」
「何年一緒にいると思ってるの?」
「実は」
にこにこと迫る友達の笑顔に、私は耐えられなかった。
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