足元の浮遊感ともやがかった頭のなかで、わたしは鞄に右手をつっこんで鍵を探していた。いやに湿度が高い今日だけど、アルコールのせいで思考はふわふわと落ち着かないし鍵もなかなか見つからないけど、こころはそれなりに満足していた。

誕生日の今夜、友だちに祝われてお酒をたくさん飲んで、ひとりぐらしのアパートに帰ってきた。べつに寂しくなんかないし。強がりなんかじゃなくてほんとに寂しくないし。だってさっき道路から見えたわたしの部屋の窓には、電気がついていた。

「たーだーいーまー」

やっと探し当てた鍵で部屋に入ると、まず目に入ったのは見慣れた、かつぼろぼろになったサンダルだった。彼女の家に来るときくらいちゃんとしたやつ履いてくんないかなあ、なんてことは今はどうでもよくって、キッチンの換気扇下で揺れているけむりと、その根本であるタバコをくゆらせている男に、なにをどう言ってやろうかという、そっちのほうが大事なわけで。

「たばこくさい」

といっても出てくるのはそんないつもの戯言だった。おかえりの声といっしょに、くちびるから煙が抜けていく。いまだにほわんとした頭と視界で、半分ほどはあった吸殻を取り上げて灰皿で潰してやった。

「あ、ばかおまえもったいねーだろ」
「もっと他に言うことないの」
「……誕生日おめでと」
「ふふ、ありがとー」

ひきよせるように肩に手をおいて、じぶんから口付ける。鼻をぬける鈍いけむりのにおいと味には随分と慣れた。木葉の後をついて部屋に入りながら、そういえば、と口を開いた。

「今日来れないんじゃなかったの」
「あー、意外と早く片付いてさあ、せっかくだしと思って」
「ふーん」
「ケーキ買ってるけど、おまえ腹いっぱいだろ」
「んー、…たべる」
「明日な」

つけっぱなしのテレビからは笑い声が響いている。目の端で確認しても知らない顔ばかりで、最近のタレントは入れ替わりが早くてついていけないなあと思いながらソファに座る木葉のとなりに腰掛けた。

「…酒くせーな。どんだけ飲んだの」
「木葉はたばこくさいね」

わざとらしく、鼻先を胸によせたすんと鳴らす。木葉はやめろよと言うものの、わたしを引き剥がしたりはしなかった。そのかわりなのかどうかは知らないけど、木葉の指がネックレスのチェーンをさらりと揺らす。

「こんなの持ってたっけ」
「今日もらったの。そのままつけてきたから、」
「ふーん……、なんでこれ、」
「ん?」

言いかけたくちびるがふうに閉ざされる。なんだろうと指先をたどると、そこにはかれのイニシャルが光っていた。あ、と思うのも束の間で、案の定木葉の頬がゆるゆると歪みはじめる。

「あーもう絶対笑うと思った」
「なんでこっちなんだよ」

ひとしきり笑って落ち着いたらしく、木葉はソファの下に鞄と一緒に置いていた紙袋に目をやった。

「あれも?もらったの?」
「そう」
「なに」
「わかんない、帰ってから開けてって言われて」
「開けようぜ」
「えー…いいけど…」

そういえば開けるときは彼氏とね、なんてことも言われていた気がする。ちょうど日本酒飲んでたときだからあんまり覚えてないけど、でも、なんか、なんだろう嫌な予感が…して、きたような…。

「やっぱちょっとまっ、」

案外とていねいに剥がされる梱包を見てハッとする。ちょっと待ってわたしこの間このお店で買い物した。レジのとこのプレゼント包装してますみたいなお知らせでこの包装紙見た。

「…おー……」
「なに感心してんのバカじゃないの返して」
「あ、やめろばか」

このお店でわたしが何買ったかってパンツだよ先週買っていまつけてるやつだよくっそあいつら余計なもん寄越しやがって彼氏といっしょに開けろじゃねえわくそ!
そういう思いをのせて伸ばした右手はあっさり宙をかする。木葉がにやついた目で、綺麗に折りたたまれていたそれを広げた。

「へえ、いい趣味してんじゃんお前のともだち」
「うるさい返して!」

白のキャミソールだった。すけすけの。あいつらはアホなのか。

「なあ」
「なに」

木葉のくちのはしがまた、にやりと持ち上がる。どうして誕生日だっていうのに何度も何度も嫌な予感を味あわなければならないのか。次に口を開く前に塞いでやろうかとも思ったけど、どうせ結末は変わらないことは重々承知している。

「ちょっとこれいま着てみろよ」

ほらね。言うと思った。絶対言うと思った。お前そんなわかりやすくていいのか。お前がこんなだからこんなものプレゼントされるんじゃないのか。

「ふざけんな」
「いーじゃん一瞬でいいから」
「やだよばか」
「じゃあお前いつ着るのこれ」
「着ない」
「はー?せっかくくれたのに薄情なやつだな」
「着てもあんたには見せない!」
「俺以外の誰に見せんだよおいこら」

むぎゅ、と片手で両頬をつままれる。それを振り払っていやいやと頭をふると、それなりに冷めていた酔いがまた復活してきたように、また頬がじんわりと熱を持ち始める。

「あーもういいから、ほらばんざーい」
「あ、ちょっとばかやめてよ」

迫る手を追い払う前に服をひっぺがされてしまうのはわたしに抵抗する気がないからっていうのを、こいつはよく知っている。キャミも手際よく脱がされて、ブラのホックに指がかかったところで抵抗のふりはやめた、のに、木葉はそのままの状態でぴたりと動きを止めた。

「これって」
「え?」
「もしかしてつけてた方がえろ、」
「木葉ってほんと頭悪いよね!」

めったに見せない真剣な顔つきで言う木葉の頭を渾身の力で引っぱたく。せっかく着てやろうと思ったのに今ので冷めた。ばーかばーかもう一生こんな機会ないからなばーか。

「まあなんでもいっか」

いてーな脳細胞死ぬだろ、と悪態をつきながら、あらためて手にとったそれをわたしにかぶせてくる。断固拒否の姿勢で両腕に力をこめていたのに、脇をくすぐられてあっさり陥落してしまった。くそ!そういうことばっか覚えやがって!

「いいじゃん!!」
「近所迷惑」
「白えろい、逆にえろい」
「いっそころせ」

するりと両腕をひもにくぐらされて、すこし身を引いて観察されるのは、思ったよりも恥ずかしかった。ので、木葉にのしかかってやることにする。

「なに、はずかしいの」
「うっさい…」
「それとも甘えたいの」
「隠してるだけだ勘違いすんな」
「うける」

木葉が、またネックレスをいじっている感覚がする。細いチェーンが首元をかすめるのがいやにくすぐったくて身をよじると、からかうような笑い声がまた、上から落ちてくる。

「お礼言わなきゃなー?」
「…しなくていい…」
「してる最中に電話する?」
「あたまおかしい」

明日も朝早いのになあとか、今日はたくさん飲んだから水飲んではやく寝たいなあとか、そういうのはいくらでも頭をよぎっていくけど、あいた肩口に降るくちびるに、わたしの顎を持ち上げる指に、流されてしまうくらいには、こいつが好きなんだと思わされる。悔しいことに。

「なまえ」
「…ん、」

お酒と、友だちへの礼儀と感謝を盾にして、ゆっくりと目を閉じてしまえば、このキャミソールは意外と着心地がいいということに気づいてしまった。言い訳をまたひとつ手に入れたわたしは、いつもより腕にすがる理由が増えたことを、また胸のなかで噛み締める。


「おめでと」
「うん、ありがと」




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