私の家の近所の神社は、毎年季節外れのお祭りを開催している。お祭りといっても出店が少しだけ、狭い敷地にたてられたステージは小さくて、地元のおじさんを司会にカラオケ大会だとかビンゴ大会だとかが開かれるだけのちいさなお祭りだ。

定時を確認してモニタの電源を落とす。お疲れさまです、と声をかけてさっさとオフィスを抜け出した。スマホを見ても連絡は入っていなかったから、たぶん向こうは仕事がまだ終わらないんだろう。11月の末は風が強い。首元に巻いた厚めのストールをきゅっと握りしめて駅へと一歩を踏み出した。



黒尾鉄朗というのは中学の同級生だ。公立の、普通の中学校。だから家はそれほど遠くないし、神社のお祭りのこともお互い知っている。当時同じクラスだった中学2年のときに仲のいいグループでお祭りに行ったのがはじまりだった。そのときから雰囲気も屋台の内容も変わっていないから、特にやることもない私たちは敷地を囲む石垣に寄りかかって喋っているだけだったけど。その帰り、方向が一緒という理由だけで歩いた夜道、来年も行こうな、と呟いた黒尾はどんな顔をしていたっけ。

あの頃はもう少しだけ寒くなかった気がする。最寄駅の改札を抜け、ポケットに手をつっこんで家に急ぐ。電車の中で確認したけれど連絡はまだなかった。薄暗い路地を踏みしめて、次の年だったかな、はじめてふたりで行ったの、と思い出す。その約束と言っていいのか分からないほどの小さな声は、3年にあがってクラスが離れても、べつべつの高校に進学しても、律儀に守られていた。

2回目にふたりきりで行ったお祭りで黒尾が彼氏という立ち位置に変わっても、やっぱりそれは続いていた。高校生ともなるともうこんな廃れた祭りなんかに興味がなくなるのか、その年の神社には中学の頃の友達の顔はなかったような覚えがある。小さかった私たちの小さな約束はずっと続いていた。毎年の、もうお約束になったマイク越しに飛ばすおじさんの寒いギャグにも笑い合えるようになった。中学の制服姿で歌う女の子たちを見ながらビールを傾けることもできるようになった。ひとりぐらしの黒尾の家で声を気にすることもなくなったけど、始まりがあるようにそれにはやっぱり終わりがあった。

終わりを告げたのは黒尾だった。大学3年の冬、年末に帰省した私を呼び出して、短く、あのときみたいな小さな声で。地方の大学に通うため一人暮らしを始めた私がそれに了承したのにとくに理由もいらなかった。会えなかった。寂しかった。御託のような言い訳を、私も、たぶん黒尾も、持ち合わせてはいなかった。

ただいま、とお母さんに声をかけながら2階の自室へと上がる。コートをハンガーにかけ終えたところでスマホがバイブを鳴らした。見ると案の定黒尾からの着信で、躊躇することなくそれを取る。

「もしもし?」
「あ、悪い。いま終わった」
「お疲れさま。私、いま家ついたとこ」
「急いで帰る」
「うん、気をつけて」
「迎えいくから」
「分かった」

短く通話を終えて、スマホをぽんとベッドに放り投げた。その隣に沈み込みながら、1時間くらいかな、疲れたし少しだけ寝てしまおうか、と目を閉じる。

黒尾にお祭り行こうと誘われたのは2日前の夜中だった。読んでいた本のキリがついたところでふとそのメールに気づき、思わず目を瞠った。あの別れた日から、連絡は一切取っていなかった。東京で就職して実家から通っているというのは共通の友人に聞いたけれど偶然会うなんていうこともなく、ただそれを頭の隅の方でくすぶらせていた。だからだろうか、その元気かと問いかけるわけでも久しぶりと懐かしむわけでもない、『まだあの祭りやってるって知ってた?』と記されたそれが黒尾らしくて、知ってた、と返すとすぐに行く?と返ってくるのがもどかしくて、数年ぶりのやりとりに胸がすくむ感覚がした。

行く、と返事をするともうメッセージが送られてくることはなかった。既読の2文字を眺めて、今日、ついさっき電話があるまで連絡をよこさなかった黒尾のために定時にあがった私はなんなのだろうとふと思った。でも、黒尾が私をお祭りに誘ったのも、それに頷いたのも、とくに理由はないんだろう。ただ、お祭りがたまたま今日だったから。

思い返せば別れを告げたのは黒尾じゃなくて私だったのかもしれない。別れたその年の11月は、忙しくて帰省できなかった。とくにお祭りにいこうと誘われていたわけでも文句を言われたわけでもないけど、あのとき私は約束を破ってしまったんだと自覚するのが今だなんて、少しだけ皮肉に思えた。



インターホンとお母さんの声で目がさめた。本当に眠ってしまったらしく、乾いたコンタクトが目にはりつくのをまばたきで潤しながら鏡を覗く。少しマスカラがはがれているような気もするけれど、もう暗いしどうせ見えないだろうとコートを羽織った。夜は寒いから、ストールではなくマフラーと財布を手に階段を下る。来客用の高いお母さんの声に眉をしかめつつ、目に入ったのは相変わらずの寝癖頭だった。

「久しぶり」

私の姿を認めて、黒尾はすっと目を細めた。震えないように気をつけて言ったけど、やっぱり少し揺れたような気がして誤魔化すようにお母さんに行ってきます、と告げた。にやりと意味深に笑ってからその楽しげな足音を見送る。あらためて向き直ると、久しぶり、と同じように少しだけ揺れた声が鼓膜を打った。

「ごめんな、待たせて」
「いいよ。・・・ちょうど、ステージ盛り上がってるんじゃない?」

寒くないようにとロングブーツを履いた。数年ぶりに見る黒尾はとくに変わっていなかったけれど、学生時代ずっと運動部だったその体は少し薄くなっているように見えた。そうかもな、まだ司会あのおっさんかな、と笑う仕草もやっぱり変わっていなかったけれど、となりを歩くてのひら1枚分の距離に目を伏せる。

なんてことない会話を繰り返しながら、神社への道を歩く。私の家から歩いて10分ほどの道のりは驚くほどあっという間だった。案の定中からはステージの声が響いていて、くすりと笑い合いながらとうもろこしと、黒尾の目に誘われて冷えすぎたビールを手に敷地へと踏み出す。

「乾杯」

ステージの前に設置されているベンチのいちばん後ろの端に腰掛けて、開けた缶を控えめに合わせた。手に持っているだけで寒さが沸き立つそれを体に流し込むと、喉ごしを味わう前に体が震える。

「冬に外でビールとか正気の沙汰じゃない」
「それなー」
「買おうって言ったの自分じゃん」
「一緒に買ったのお前じゃん」

そうだけど、とまた一口流し入れる。ああでも、ビールは美味しいな。とうもろこしとも合うし。体の底から寒いのにそう思えてしまうのは、このお祭りの雰囲気にあてられたからだろうか。司会のおじさんは変わっておらず、幾年か前より寂しくなった頭部に笑いがこぼれる。ビンゴの番号を読み上げてるのを聞いては楽しげに跳ねる小学生や、この後行われるであろうカラオケ大会の打ち合わせをしている中学生を眺めながら、今日何度目かの懐かしさが体を包むのを感じた。

地元で愛され続けたお祭りは今年も盛況だった。たぶん黒尾と行かなかったこの数年間もこんな風に盛り上がったんだろう。

「去年も来たの?」
「いや、来てない。超久しぶり」

マイクの声にかき消されないよう少し声を張り上げる。耳を寄せた黒尾に心臓が跳ねそうになるのをこらえて、そっか、とビールを飲み干した。

飛び交うリーチの声を聞きながら、ぼんやりステージを眺める。




「ゴミちょうだい。捨ててくる」

そう言って私の手から空き缶をさらおうとする黒尾を制して立ち上がった。私も行く、と告げると黒尾はすんなり歩き出した。お決まりのお祭りでゴミ捨て場を把握しているからか、それでも私たちが知っていた頃と違う場所にあるとは思わないんだろうかと、迷わず進む背中を追いながら苦笑する。

ゴミ捨て場の位置さえ変わっていないのに感心してしまった。ステージとは反対側の境内の横。空きカンと乱雑に書かれたゴミ箱にぽいと缶を投げ入れて、境内横の空間を見渡す。生い茂る木々の隙間から月の光が漏れていた。人はまばらで、動こうとしない黒尾を見上げてどうしたのとも言えず、ただ、黙って隣に立っていた。

「なつかしいな」

ぽつんと、黒尾は呟く。なつかしい、うん、なつかしいね。今日だけで幾度となく感じたそれを私は口に出さなかったのに、黒尾はこうも簡単に声にしてしまう。覚えてる?口の端をつりあげて、指でさした境内の裏手側につられるようにして目を向けた。

「覚えてるよ」
「なつかしいな」
「またそれ?」

何も言わずにゆっくり笑って歩き出す。躊躇なく歩を進める様子に、また、私はつられるようにして追いかけてしまう。

境内の裏手はあのときのように鬱蒼としていた。風が吹くとどこからかからからと音が鳴る。マフラーを結び直して石の段差に腰掛けた。冷気がずるりと頬を撫であげるのに身をすくませながら、黒尾とはじめてキスをしたのはこの場所だったな、と思い出す。今日はなんだか、昔のことばかりが呼び起こされてしまう。

なんで今日誘ったの。どうして今年だったの。

また、てのひら1枚ぶん空けて私の隣に座った黒尾をひっそりと見やった。聞いたところでろくな答えが返ってくるとは思えなかったし、そもそも聞く気も無かった。なんとなく、とか。だって祭りだったから、とか。たぶんその理由は私が行くと返事したそれと同じだ。

──ねえ、なんでここに連れてきたの。

足の裏で踏む砂利が擦れあう音がやたらと大きく響いた気がした。私たちにとってこの場所は間違いなく特別で、大切だった。ひとりで初詣にここへ来たとき、散歩の途中なんとなく立ち寄ったとき、訪れるたびにここが気になって、でも踏み入れることなんて決してなかった。

黙っていたままだった黒尾が、ふと口を開く。

「元気だった?」
「・・・うん、元気だった」

なにそれ、今聞くの?笑って隣を見上げた瞬間のことだった。なにも宿さない双眸が私の情けない表情を写しとっている。何も言えずに、思わず膝を抱えていた右手を離して石畳につけた。どうしたの、怖い顔して。そう、笑って言うこと も、このときまではできたはずだった。

「なまえ」

黒尾が私の名前を呼ぶ。心配しなくたって胸は弾まなかった。さっきまで途切れたように聞こえなかったマイク越しの声が急に耳に入ってくる。ああ、今から歌うのは私たちの出身校の子たちなんだな、がんばれ。──脳と体がべつべつの場所にあるみたいだった。膜で包まれたような思考をくり返しながら、なにも言わない黒尾の口元をじっと見続けた。

もういちど、名前を呼ぶ声がする。呼応されるように目に視線を向けると、近づいてくるそれを、黙って受け止めた。くちびるが、乾いているかもしれない。かさついているのに湿った感覚にくらりと脳が揺れる。思い出したのは、やっぱり黒尾と過ごした何年かの出来事ばかりだった。

はじめて手をつないだ感触、見上げた半分この月、遠くで上がる焦げたにおい。喧騒を抜け出した境内の裏手で、罰が当たるかもしれないと笑いあった。重なったくちびる。私を見送った笑顔。もう連絡をとる理由も無くなった日のこと。枯れることのない涙の味。ひとりきりの夜がこんなに長いことを、私は知らなかった。

てのひらに砂利が刺さるのがやけに痛かった。なにも言わない黒尾をじっと見つめ返す。あのときとは違う、ふわりとかおった香水のにおいに酔いしれることだってできたはずだった。息の白さを共有することだって、目を閉じることだって、食い込んだ石を取り払ってその腕にすがりつくことだって、今の私たちなら簡単なはずだった。

時間がゆっくりと流れてはおちていく。もういちど、伏せられない目が近づくのを、同じように目を開けたままで受け入れた。

ただ、その日だったから。そこに理由なんてものはなくて、このお祭りの日に私たちが会うことはもう決まっていることだったから。それだけだった。季節はずれの夜、はまりあうことのない私たちは、たぶん、今日だけはそれでもひとつだった。






帰り道のてのひらは重なっていた。砂利を踏んでぼこぼこになってしまった手のひらが恥ずかしかった。次の年の今日までに私たちが顔を合わせることがあるんだろうか。また来年、と、黒尾は言わなかったし、私も口にすることはなかった。約束なんて、あって無いようなものだから。

黙ったまま、私たちはただ高く上がった月を眺めては歩いていた。





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恋に焦がれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす



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