「みょうじ」

昼休み、私はいつものように友人と談笑しながら廊下を歩いていた。その会話のテンポを乱すように割って入った私を呼ぶ声があの人らしい。

「木兎せんぱ、・・・今日は仮装大会か何かですか」
「いいだろ!クラスの奴らがくれた!」

先輩、なんですか。振り向きながら言おうとした言葉は見事その強烈かつ奇天烈な装備によって吸い込まれてしまった。今日も元気なツンツン頭の先輩は、いつもと違う装いで自慢げにそこに立っていた。

あの、遊ぶ本屋と呼ばれる雑貨の店でよく見るロウソクの立ったサングラスにケーキを象った帽子。ななめにかけられたタスキには「木兎光太郎爆誕!!」と無駄に流麗な文字で書かれていた。

「ところで何か用でした?」

隣の友人が必死に笑いをこらえているのも気になるけど、何より周囲の目が気になる。ただでさえ先輩は目立つから、この格好はなんだかもう・・・見るに耐えないと、言ったらいいだろうか。

「えー?なんか言うことねーの?」
「・・・おめでとうございます?」
「おう!ありがとな!」

ニッと笑って満足してくれたと思いきや今度は右手を差し出される。握手かな、と握り返すと隣で肩を震わせていた友人がついに吹き出した。どうしたの、と聞く前に木兎先輩が「ちげーよ!」と喚きだす。

「え?」
「なんかねーの?」
「えっ、あー・・・」

そういうことか。

でもあいにく何も持ち合わせていない。いつもポケットに数個の飴を忍ばせているけれど、今日はもう舐め終わってしまっていた。

「えーっと、ジュースくらいならおごりますけど」
「お!まじで!」

「ごめん、先戻ってて」とまだ笑っている友人に言い残し、先輩に手を引かれるまま歩き出す。そういえば、手を繋いだままだった。

握った力を完全にゆるめるけれどそれは離れなかった。

「ちょっと先輩、それ目立つんでせめて帽子だけでも脱ぎましょうよ」



──先輩、体温高いなぁ。










一番心臓に悪い存在になりたい







中庭の、近くに自販機のあるベンチまで引っ張ってこられた。指定された飲み物を買って、帽子とサングラスを外し傍らに置いてベンチに座っている先輩に差し出す。

「はい」

ほんとにこんなんでいいんですか、と聞くと充分だと頷かれた。自販機で買ったペットボトルを手渡して隣に腰を下ろす。

「最近、部活どうですか?」

黙ってペットボトルをいじる先輩に問いかけた。私は別に先輩の部活の後輩でもないから、時折校舎で見かける時以外の先輩を知らない。

「絶好調だ!」
「よかったです」

この問いに絶好調以外の答えをもらったことはない。でも私は先輩と話すときには大抵この質問を繰り返す。少しでも知りたいとかではなく、ただ、会話の入口に。

今年の9月は少しだけ肌寒い。例年ならまだ太陽がうるさい時期なのに、私はもう長袖の上にセーターを着込んでいる。ちらりと横に目をやると相変わらずペットボトルをいじくる先輩がいた。いつもならうるさいくらい喋り倒すのに、珍しい。

「・・・なんかありました?」
「何がー?」
「先輩、なんか静かだから」

言いながら、先輩と私の間に置いてあったサングラスを手に取る。この安っぽい鼈甲色がやたらと先輩に似合っていたな、と胸の中だけで小さめに笑っていると、目の前に白い紙が現れた。シンプルで、少し小さめの封筒。

「・・・どうしたんですか、これ」

しらじらしくならないよう、しっかりとそれを見つめながらゆっくりと言葉を探す。

「朝下駄箱に入ってた」
「手紙、ですよね」

先輩のゴツゴツした大きくて厚い指に挟まれたそれは、なんだか自信なさげで頼りなく思えた。ラブレターですか、と軽口を叩く余裕は、今の私には無かった。

どくどくと鼓動のテンポが速くなっていくのが分かる。先輩は少しだけ口角を上げ、目を細めて封筒の縁を指で辿っている。

「いやーもうすっげー嬉しいことばっかり書いてあって」
「はい」
「その子な、俺のおかげで変われたんだってよ」
「・・・はい」
「返事したいんだけど名前書いてなくって困ってんだよ」
「それは困りましたね」

どうしたらいいと思う?
言って、私と目を合わせる。口の端は上げたままで、その真っ直ぐな視線に逸らしたかったけれどぐっとお腹に力を込めて耐えた。

「いや、私も、誰かなんて分かんないですから」
「そう? お前なら分かると思ったんだけど」


──この人、分かってやってんのかな。


この手紙を先輩の下駄箱に入れたのは、私だ。

きっと今日も早くから練習があるだろうから。それよりもっと肌寒い時間に学校に来て、私は3年1組の下駄箱で木兎先輩の名前を探した。履きつぶした上履きが先輩らしくて、胸がきゅんと鳴ったのが悔しかった。


「・・・その子になんて言うんですか」
「んー? そうだな、ありがとう、ってのと、俺のおかげじゃなくてお前が頑張ったからだ、ってのと」

先輩は私から目を逸らさない。私が逸らすことも許してはくれない。
手紙を贈ったのは私だ。だからこの言葉を自分にくれているものとして受け止めることはできるけれど、果たして先輩はそうだろうか。

私に向けて言っているわけではない音の塊は、今の私たちの前ではきっと意味を成していない。

言ってしまおうかと思った。それ、私が書きました。恥ずかしかったから名前も書きませんでした、すみません。そう言ってしまえと、心臓の奥がきゅうきゅう鳴っている。


「あと、俺も好き、って」


その、なんでもないようないつもの表情で放たれた言葉は、私の耳に届いたけれどなかなか入ってこなくて。

ずっと逸らせずにいた木兎先輩の目が、なぜだかどんどん歪んでいく。

「えっちょっとなに泣いてんだどうした!」

ぼろぼろと頬に涙が溢れていくのが分かった。慌てた先輩が珍しくてなんだか笑えてきて、ああでも多分、私の顔の方が今はよっぽど面白いことになっている。

こぼれる涙をこらえようともせず、かといって頬がゆるむのを抑えようともせず、心に滞っていた物が勝手に言葉として出てくる。

「こんな、回りくどいの、誰の入れ知恵ですかぁっ・・・」
「お前が名前書かないからだろー?」

くしゃりと笑う先輩が視界いっぱいに滲んでいる。先輩の親指が私の左目の縁を擦った。泣くなよ、と笑い混じりに言われて、止めたい意思とは裏腹に涙は一向に止まってくれない。

せんぱい、と小さく呟いた。ぼやける目をごしごし擦って、また涙で霞む前に木兎先輩の両目をじっと見据える。

「先輩、好きです」
「ん、俺も好き」
「・・・お誕生日、おめでとうございます」
「おう、ありがとな!」



──9月20日、快晴。

ぐしゃりと掻き回すように頭を撫でた大きな手の感触を忘れないように、隣の先輩を見ない代わりに大きく広がった空をしっかり目に焼き付けた。











拝啓 木兎先輩

私はずっと、自分に自信がありませんでした。
好きなものを好きだと、声に出さず、必死に押し込めて生きてきました。
それがなんのためであったか、きっかけはなんだったのか。今となっては思い出せすらしません。

こうなったのはきっと、あなたに出会えたからです。
あのとき、誰かから隠れるように、何かから逃れるように、こっそりと校舎の片隅で蹲っていた私を、私が必死に隠してきたものを、先輩はいとも容易く暴いてくれた。

先輩は私を否定しませんでした。
別に否定されたことがあるわけでは無いですが、それがすごく嬉しかったのを覚えています。


先輩の、努力を努力と思わない、努力という言葉すら知らないようなところが好きです。
苦悩も絶望もぜんぶ悔しさにして、それさえも全て取り込んで自分の力にしてしまう、あなたの背中が好きです。


好きなものを好きだと、誰かに伝えたのは初めてです。
それがこんなにくすぐったくて嬉しいことだと、教えてくれたのは先輩です。
私が自分を、少しでも信じられたのは、先輩のおかげです。
自分に嘘をつくのは楽でしたが、たまには正直になるのもいいですね。



木兎先輩、お誕生日おめでとうございます。
ありきたりですが、18歳のあなたが、幸せでありますように。


敬具





14/9/20 

木兎さんお誕生日おめでとう!
タイトルは診断メーカー「お題ひねり出してみた」から、
【木兎光太郎へのお題は『一番心臓に悪い存在になりたい』です。】



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