やけにクリアに聞こえた松川の声になんと返事をしたのか、どうやって電話を切ったのか覚えていない。孝支の部屋にも行かず、冷めた紅茶の入ったマグもそのままにしてベッドの中で丸くなったところで、ぷつんと記憶が途切れている。


「寝てた…」


考えながら、寝てしまったんだ。ゴシゴシと目を擦って起き上がる。鈍く痛む頭の奥で、昨日のことをぼんやりと思い出して、もう一度膝を抱えた。
好意を、まっすぐな気持ちを、向けられることが。こんなにも胸が苦しくなることだと思わなかった。与えられていた二人からのやさしさを数えるように思い出す。
小さな頃から一緒にいた孝支の隣は居心地がよくて。甘やかすことに長けている松川の隣も居心地がよかった。


「わかんない…」


ぽつりと零した声は静かな部屋に溶けて消えた。わからない。でもわからないままじゃダメなんだってことは、わかっている。選ばなくては、いけないんだ。
きつく膝を抱えた腕をゆるゆると解いて立ち上がる。足をつけた床の冷たさにぶるりと身体を震わせた。









「小鳥遊」


低く響いた声に振り返ると、花巻がいた。よっ、と片手を上げる花巻に私も片手を上げて答える。そのまま視線を彷徨わせたけど、近くに松川の姿はなくてほっとした。


「どしたの?」
「それはこっちの台詞」


苦笑した花巻がぐしゃぐしゃと私の頭を撫でた。うわ、と声を漏らして目を瞑る。少しして手が離れたのを感じて薄らと目を開けると、花巻がほんの少しだけ眉尻を下げて笑った。


「松川となんかあった?」
「…なんで、」
「見てりゃわかるわ」


そんなにわかりやすいだろうか。ボトルを掴む手に力がこもる。出しっぱなしだった水道の蛇口を花巻が捻って止めた。キュッと金属の擦れる音が響く。


「告白でもされた?」
「え、」
「あれ、アタリか。へー」


肯定したわけじゃないのに、納得したような反応を見せた花巻に狼狽える。それと同時に気恥ずかしさみたいなものが募って思わず目を逸らすと、その先に松川の後ろ姿を見つけて心臓が縮こまった。逃げたくなるような感覚に襲われる。
スルリ、と。助けを求めるように口から言葉が落ちた。


「答えを出さないといけないのはわかってるんだけど、考える程わかんなくなってこわくなる」


まっすぐな気持ちに応えられるだけの気持ちが自分にあるのかわからなくて、関係が変わってしまうことが不安でこわくて堪らない。孝支と、松川と。今まであった当たり前の時間が、変わってしまうのがこわい。


「好きかどうかってのはシンプルなことだと思うけど」
「え、」
「例えば触れることに躊躇いがないとか、そいつに恋人が出来たら嫌だとか、そういうのって特別だからこそじゃん」


特別、という言葉をゆっくりと頭の中で繰り返す。触れることに躊躇いがないとか、恋人が出来たら嫌だとか。噛み砕いて飲み込むように何度も繰り返して、浮かんだのは見慣れた笑顔だった。
いつかに見た夢の中の大きな掌を思い出した。その掌が誰のものか、今わかった気がする。戸惑いはあるけど、花巻の言う通りシンプルなものだった。ストン、と胸に落ちてきた答えにちいさく笑う。


「花巻、ありがとう」


花巻は静かに笑って頷いた。握っていたボトルをケースにしまって、残りの片付けをしに体育館に戻った。今日初めてちゃんと見ることができた大きな背中に声をかける。

ーーまっすぐに与えられた想いに、私はきちんと答えなければならない。


「松川、今日一緒に帰ろ」


その手を選ぶとしても、選ばないとしても。


「…ん、帰ろ」


振り返って穏やかに笑う松川の瞳が、ゆらりと一瞬だけ揺れた。


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