音駒との練習試合の日。とりあえず1試合目を2-0で押さえ、休憩に入ってギャラリーを見上げた俺は思わず飲んでいたスポーツドリンクを吹き出した。「赤葦きたねーよ!」チームメイトがなにやらと叫んでいるがそれどころではない。どうして。
「・・・っ黒尾さん!」
「お、赤葦久しぶり〜」
「赤葦くんやっほ〜」
どうしてあんたら一緒にいるんだ。
今度梟谷と試合なんです、とリエーフからメールが来た。俺が音駒を卒業して3ヶ月。新チーム発足から約5ヶ月。研磨から話は聞いているがまだ試合を見たことがなかった俺はその誘いを受けることにした。夜久か海か、木兎でも捕まらないかと思ったがあいにく予定が入っていたらしい。結局1人で梟谷の体育館に入っていった。
「(なっつかしいなー・・・)」
まだ試合は始まっていなかった。先に下に顔出したほうがよかったか、なんて考えているとギャラリーに女が一人で座っているのを見つけた。はて、と思う。誰か部員を目当てにしているなら友達を連れてきそうだし(現にそういう連中はひとかたまりになってきゃっきゃとしている)、というか高校生にも見えない。俺より年上っぽい雰囲気さえある。珍しい。誰かの姉ちゃんかもしれない。
1人で座り、真剣にコートへ目を向ける彼女の視線をたどるとどうやら梟谷の方を見ているらしい。ちらりとそちらを見やると、赤葦が小さく手を振っているのが分かった。まさかと思ってもう1度彼女を見直すと、笑って同じように小さく手を振り返している。・・・赤葦とは、意外だ。あいつ姉ちゃんいるとかそういうの言ってたっけ。もしかして彼女とか?
一度気になりだしたら止まらなかった。試合開始のホイッスルが鳴る。よし、赤葦はこれでこっちはあまり気にしないだろう。あいつはそういう奴だ。研磨がこっちをジッと見ているのが目に入った。長く付き合っていると何かが分かるのか、その目が「余計なことしないでよ」と言っているようにも見える。分かってるよとふふんと笑い、「一人?」そう彼女に声をかけた。
「・・・え?」
「おねーさん、梟谷の応援?」
「はぁ」
訝しげにこちらを見遣る彼女に失敗した、と思う。一人?だなんて、まんまナンパ師のセリフだ。なんですかと言いたげな彼女に慌てて名乗る。
「あー、俺、去年まで音駒・・・あの赤い方の主将やってて。黒尾って言うんだけど」
「ああ、そうなんですか。・・・そういえば見たことあるかも」
「(ん?)」
去年からもちょくちょく見に来てた、ってことか。選手としてコートにいると、あまりギャラリーなんてものは見ないので全然気づかなかった。私はみょうじと言います、と名乗ってくれた。もしこれで赤葦の彼女なら、なかなか続いていることになるが。
「おねーさんは赤葦の彼女かなんか?」
「・・・・なんでですか」
少しだけふいと目線が逸らされる。「さっき手振り合ってたから」と返せばちょっともごもごしながら別に付き合ってるわけじゃ、とこぼす。姉とかではなかったらしい。友達以上恋人未満って感じか。
「!」
「お」
やばいやばい、すっかり試合をみるのを忘れていた。おねーさんが反応したので見てみると、赤葦がツーアタックを決めたらしい。リエーフの悔しがる表情が見えた。
「赤葦やりますねー」
「そうですね」
ふわふわと拍手して笑うおねーさん。嬉しくて仕方がないようで微笑ましい。隣いいっすか、と確認をとってから彼女の横へ腰掛ける。梟谷が第1セット先取したところで、おねーさんが持っていた袋に気がついた。
「(ずいぶんでかい荷物だな・・・)おねーさん、それなに?」
「これ?差し入れです」
レモンのはちみつ漬け。言いながら袋をすこし開けて中身を見せてもらう。あれ、このタッパーなんだか見覚えがある気が。
「あ!」
「ん?」
「これ!俺食べたことある」
おねーさんの差し入れか!とひとり納得する。去年の秋頃だったか、梟谷と練習試合をしたとき"差し入れ頂いたんですけど、音駒さんもどうぞ"とマネちゃんに言われてもらった記憶がある。
「しょうがが効いててうまいんだよなー」
「ほんと?栄養補給になってた?」
「なってたなってた」
じゃあよかった、と笑う。赤葦はこんな綺麗なおねーさんに愛されて幸せもんだなあと言うと少し苦笑して、彼女は戸惑ったように「でもね、」と口を開く。
「ちょっと迷惑っていうか、お節介って思われてないかなって」
「なんで?そんなことねーよ」
「それならいいんだけど」
近所のおばちゃんみたいな、そんな風に見られるのも嫌だし、とぼそぼそ言う彼女にすこし笑ってしまう。横顔を見るとその目は真剣に赤葦を追っていて、微笑ましいとさえ思う。
「おねーさんは大学生?」
「今年院生。1年目」
「へえ!」
大学院生ってことは4つ上か。垢抜けてないとか特別童顔というわけではないが、もう少し年が近いように感じていたので意外だった。年上の彼女が練習試合を見に来て、自分やチームメイトに差し入れしてくれる・・・・・・。
「なにそのシチュ羨ましい」
「え?」
「・・・いや」
なんでもない、と呟いて俺はすでに始まっていた第2セットに意識を集中させた。
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「来週の練習試合行ってもいい?」とみょうじさんが言ってくれたその日がやってきた。試合直前、ちらとギャラリー席に目をやるともう彼女がそこに座ってくれていて。休日の朝早くから誘うのは申し訳ないが、自分のために時間を割いてくれていると思うと不躾ながらも嬉しいと思ってしまう。ゆるみそうになる頬を抑えながら周りにバレないよう手を振ると、みょうじさんも笑って振り返してくれた。
「(気合いは充分)」
新チームになって俺は流れるまま主将の座についた。前までほとんどのレギュラーが1つ上の先輩だった梟谷バレー部は随分様変わりしたが、それでも強豪の名に恥じないよう練習を積んできたつもりだ。
ホイッスルが鳴る。今日も負けるわけにはいかない。
「お、赤葦久しぶり〜」
「赤葦くんやっほ〜」
「・・・・こんにちは」
ギャラリーを見上げ挨拶を返す。みょうじさんも気になるが、今一番つっこみたいのは彼女の隣の存在・・・黒尾さんだ。なぜいるのか。まあ音駒の応援だろう。でもなぜ2人でいるのか。それが問題である。
ニヤニヤとあのいやらしい笑い方で俺を見てくるあたりみょうじさんの隣にいるのはなんだか色々と見透かされていそうで腹が立つ。木兎さんならまだしもあの人となるとまた面倒くさいのだ。
「おねーさん」
「ん?」
黒尾さんがみょうじさんの耳元で何かを囁くと彼女もまたそうし返した。それをなんとも言えない気持ちで眺めていると、「おい赤葦」と黒尾さんに呼ばれる。
「なんスか」
「なまえチャン差し入れ持ってきてくれたらしいぞ」
「(・・・名前聞いてたのか)ありがとうございます」
とりあえず黒尾さんがみょうじさんに近すぎるとか名前で呼んだとかは置いておいて、そっちまで行きますと声をかけてそこに続く階段へ急ぐ。名前とか苗字とか、呼び方なんて別にどうだっていいじゃないかと自分に言い聞かせるがやっぱり多少腹立たしいので(だって1年も一緒に電車乗ったり出かけたりしてるのに)、2人のそばに近づいた途端「黒尾さん下で猫又監督が呼んでましたよ」と嘘をつく。
「まじ?」
「まじです。ほら犬岡がこっち見てぴょんぴょん跳ねてるし」
「・・・そうだなぁ、行くか」
階段へ向かう黒尾さんにさっさと行けと念じ、改めてみょうじさんに目を向けた。
「赤葦くんお疲れさま!おめでとう!」
「応援、来てくれてありがとうございます」
ふわふわいつもみたいに笑って、「そうそうこれ」とタッパーを差し出してくれる。
「いつも同じで芸がないんだけど」
「や、嬉しいです」
いただきます、とそれを受け取る。まだやるの?と聞いてくる彼女にあともう1試合、と返す。
「黒尾さんと」
「ん?」
「黒尾さんと何喋ってたんすか」
・・・俺カッコ悪。そう思いながらも聞かずにはいられなかった。嫉妬なんて柄ではないしこれは嫉妬ではない。そう自分に言い聞かせて彼女の答えを待った。
「何・・・うーん、特に・・・あ、黒尾くんコレ食べてくれたことあるみたいでその話とか」
おいしいって言ってくれたよ、と嬉しそうに言う。黒尾さんより俺のほうがありがたく美味しく頂いてますと言いたいところだがさすがに恥ずかしいので喉の奥に押し込めて、俺はおもむろにタッパーをあけた。ふわ、とかおるハチミツの甘さとレモンの酸味。レモンを1つつまんで口に入れる。
「・・・んまいっす」
「本当?よかった」
でも食べちゃっていいの?のんきに言う彼女に「こんなに作るの大変じゃないすか」と聞くとそんなことないと笑った。彼女はいつも対戦相手にも渡るよう大量に作ってきてくれる。・・・そんな気のつかえるところがいいなと思う一因でもあるのだが。
「レモンの数増やすだけだし、漬けたら放っとくだけだし」
「それより赤葦くん、はやくもってかないと休憩終わっちゃうよ」
彼女の言葉にハッとする。この味を知っている尾長がこっちを見ているのにも薄々気付いていたが、何より黒尾さんがこっちをニヤニヤニヤニヤと観察しているのが気になった。別に俺が食べれればそれでいいのだがそうもいかないのは当然で、そろそろ潮時か、とバレないよう薄くため息をついて「じゃあ」と口を開く。
「行きますね。・・・ありがとうございます」
「ううん、頑張ってね」
「・・・・みょうじさん」
今日は少しわがままを言ってみよう。・・・イラつかせた黒尾さんが悪いのだ。
「今日このあと予定あります?」
「特にないけど」
「駅前のドトールでちょっと待っててもらっていいですか」
音駒との試合後は簡単なミーティングで終わる予定だ。
「お礼に飯おごらせてください」
「本当?今日は練習ないんだね」
もちろん、嬉しい。そう笑う彼女の頭を撫でて、じゃあ後で。と踵を返す。階段を降りるところでちょうど戻ってきた黒尾さんとすれ違って「おい俺にもレモン食わせて」と言われるが聞こえない振りをした。「赤葦くんも隅におけないなあ」と煽る声も今はあまり気にならない。
彼女の差し入れをみんなに分ける。音駒にも渡して、ひとつ伸びをした。気にならないとは言ったがやっぱり黒尾さんがムカつくから次も絶対勝とうと心に決めた。
「(・・・・・なまえさん)」
「(なんだこれ恥ずかし)」
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