予想以上に寒い今日を、月がこうこうと照らすのが嬉しい。


赤くなった指先を擦りあわせてコートのえりもとを引き寄せた。数日前から急に冷え込んできたけどまだいけると過信したのが悪かったかもしれない。吐く息が白く、夜の闇にとけてはきえていく。ついと視線を上に持ち上げると、一等星がきらりと光るのが目に入った。

快速電車が通り過ぎるこの駅で、私は赤葦くんを待っていた。長い車体が風を巻き込んで去っていく。ホームのベンチに座った私の髪をぶわりと広げた冷気が耳の奥に突き刺さるのを目を細めて耐えながら、そろそろかな、とスマホで時刻を確認した。──12月5日、19時26分。

電車で偶然見かけたら隣に座ってなんでもないことを話す男の子相手にちょっとやりすぎかもしれない、と自分自身に苦笑した。怖がられたらどうしようかと一瞬心配が頭をよぎったけど、でもきっと赤葦くんなら喜んでくれるだろうことも分かっている。

膝に乗せた鞄にそっと手をしのばせる。カサリと音を立てた存在を確認してから合わせた両手に息を吐いた。今日は大事な日だ。赤葦くんと私が知り合ってから、はじめての彼の誕生日。年のわりに落ち着いた赤葦くんを思い浮かべながらプレゼントを選ぶのはなかなか楽しかった。

いつもは通り過ぎるこの駅で途中下車したのにはこういう訳がある。赤葦くんにこれを渡すため、私はここでこうして座っている。厚手のタイツの隙間からしのびよる冷たい空気も、鼻の奥までツンとする気温も、だから耐えられないわけではなかった。


「みょうじ、さん?」
「・・・あ、」


赤葦くんが現れたのは唐突だった。少しでも寒さを凌ごうと目をつむっていたから気づくのが遅れてしまったようで、ベンチに近づいてきた足音に目を向けると見慣れたジャージ姿の彼がそこに立っていた。

「赤葦くん」

目を丸くしている赤葦くんの名前を呼ぶと、戸惑ったようにお疲れさまです、と挨拶が返ってきた。赤葦くんもお疲れさま。へらっと笑いながらうまく動かない両手をきゅっと握りしめ、離してからよいしょと立ち上がる。

「ここ寒いから、待合室行こう」

まだ状況がよくつかめていないのか、赤葦くんが一歩遅れてついてくる。あ、あたたかいコーヒーでも買って待っていればよかった。マフラーに巻かれた彼の首元に目をやりながら、赤くなった鼻先が赤葦くんらしくないことに少しだけ笑った。

待合室には誰もいなかった。たてつけの悪い引き戸を力をこめて開けるとぬるい空気が頬に触れる。壁に沿うように設置された椅子の隅に、ふたりで腰掛けた。

「今日、どうしたんですか」
「どうしたんだと思う?」

ちゃかすように、同じように疑問形で返すと赤葦くんは首をかしげた。まさか私が誕生日を祝いにやってきたとは思っていないんだろう。いつもは敏い彼の裏をかけたようで、少しだけうれしい。

「はいこれ」

ゆっくりと鞄からプレゼントの包みを差し出したところで、赤葦くんはやっと気づいたようだった。え、なんで、と小さく呟いて狼狽するのがおかしくてちいさく笑ったあと、受け取ってくれた赤葦くんの目をじっと見つめた。

「お誕生日おめでとう、赤葦くん」
「・・・ありがとう、ございます」

うれしいですと、やっと笑顔を見せてくれた。じわりとおなかの底から温められていく感覚がして、ああ、やっぱり今日、待っててよかった。そう思った。赤葦くんの練習終わりの時間を見計らってきたからものの数十分で彼は現れてくれたけど、風の冷たさも、底冷えの寒さも、この時間は少しだけ柔らかくしてくれる。

「ありがとうございます。寒かったですよね」
「うーん、まあ、ちょっとね」

でも私が好きでやったことだから、気にしないでね。くぎを刺すようにゆっくり告げると、わかりました、と素直な返事がかえってきた。ていねいにスポーツバックのいちばん上に私があげたものを置いてくれるのを見るのが恥ずかしくて、とっさに視線を足元に引き下げる。

だいぶ前から履いているショートブーツのつま先がすこしはげてしまっているのがやたらと目についた。今朝ばたばたしながら家出たしなぁ、もうちょっと気をつかっていればよかった。もっと服も、とか考え出してしまうあたり、私は赤葦くんとどうなりたいんだろうか。いや別にどうなりたいとか思ってるわけじゃない。

「みょうじさん?」と、怪訝そうに呼ぶ声に意識が急浮上した。なに、と慌てて隣を振り返ると、赤葦くんが眉間にしわをよせている。

「ていうか最初からここで」
「・・・中にいて気づかなかったら嫌だもん」
「なんでマフラーもなんもしてないんすか」
「夜がこんなに冷えるとは思ってなかった」

今年の11月ってあんまり寒くなかったでしょ。だから油断してたの。そう誤魔化すように笑いかけると、赤葦くんは呆れたような視線を寄越してくれた。しょうがないなあ、とその表情が言っている。

「これどうぞ」
「え、」

ばさりと私の首に巻かれたのは、もしかしなくとも赤葦くんが今までつけていたマフラーだった。ぐるりと一周するときに手袋をつけた赤葦くんの指先がほおをかすめるのがくすぐったくて、また私は目を伏せる。借りていいのかと問えば、鼻真っ赤ですよとからかうように笑われてしまった。

「・・・赤葦くん、おかあさんみたい」
「みょうじさんもうちょっとしっかりしてくださいよ」

はい手袋も、と自分のそれを外しはじめた赤葦くんを慌てて制止した。さすがに申し訳なさすぎる。それじゃ赤葦くんが寒いよ、マフラーありがとう。そう言って笑ってみても赤葦くんは不服そうな顔しか見せてくれなかった。

ちょうどひとつ前の駅で連結があるから、この時間、ここに来る電車はいつもより本数が少ない。赤葦くんが駅についてからもう15分ほど経っていた。

「じゃあこれ、片方だけ」
「え、でも」
「いいから」

有無を言わさずといった様子ではずした右の手袋が私の膝に投げてよこされる。これを返したところで赤葦くんが素直につけなおしてくれるとは思わなかったし、今も早くしろとばかりの威圧的な視線を感じる。

大人しくありがたく、それを右手にはめさせてもらう。ありがとう、と言うと満足げな顔をしてどういたしまして、と返ってくるから思わず笑ってしまった。

「でもこれだと赤葦くんの右手が寒いね」

薄手だと思っていたら意外とそんなこともなく、指先の余った布をもてあましながらてのひらを握ったり開いたりしてみる。バレーのことはくわしくないけど、赤葦くんのことは前よりだいぶ分かってきたつもりだった。彼は、指を大事にするひと。

「・・・手、つないだら、寒くないですけど」
「・・・・・・えっ、」

隣の赤葦くんを振り返ろうとしてぱっと顔をあげた、その瞬間だった。線路を明るく、黄ばんだライトが照らし出す。遠くからごうごうと音が聞こえる。壁につけられた安っぽい時計を見ると、どうやら私たちが乗る電車が来たようだった。同時に赤葦くんもそれに気づいたようで、半分この手袋をそのままにすっと立ち上がる。

「・・・電車来ますね、行きましょう」

そう言って、素早く待合室から出て行こうとする彼から一拍置いてベンチから立ち上がる。引き戸を押さえてくれていた赤葦くんの顔を見ないようにして、ありがとうと小さく呟いた。

・・・タイミングが、いいんだか悪いんだか。
ホームに滑り込んでくる電車をじっとり見ながら気づかれないようにため息をついたけど、寒さのせいで白くあがった息を赤葦くんは見たのかもしれない。間抜けな音をたてて電車の扉が開く。


髪の隙間から見えた赤葦くんの右耳が赤いのは、寒さのせいだと思うことにした。──そうしないとほら、私の頬が熱いのにも言い訳できなくなる。





***





あとは寝るだけ、と部屋に戻ってきたときだった。ベッドの上で充電させていたスマホがぶんぶんと唸っている。

「もしもし、」

表示を見るとみょうじさんだった。慌てて応答ボタンをタップして耳にあてる。

「あ、赤葦くん?寝てた?」
「いや、大丈夫です」
「あのね、マフラー持って帰ってきちゃったの」

ごめんなさい、と本当に申し訳なさそうな声が耳を打つ。大丈夫ですよと返しながらベッドに腰掛けた。

「でも寒いでしょ?できるだけ早く返したいんだけど・・・」
「・・・明日午前で終わるんで、みょうじさんがよければ昼過ぎとかどうですか」

誕生日を、とくべつな日だと感じなくなってから何年が経っただろう。そりゃおめでとうと声をかけられたら嬉しかったし、ジュースだとかパンだとかを友達や先輩におごってもらうのも悪くなかった。晩飯はいつもより少し豪華で、母さんの顔が明るいのには笑ってしまった。

「それで午後、」

パスケースのお礼に飯おごらせてください、と続けようと思った。

「あ、じゃあお昼ご飯食べにいこう!お祝い!」

特別にケーキもつけてあげる、と得意げな声が向こうから響く。名案だとばかりにいつもよりハキハキとしゃべるみょうじさんに面くらいながら、でも、

「・・・あ、もしかして予定ある?」
「や、無いです。ケーキおごってください」

ふだん言えないいくつかのことがすらすら口から出てくるのは、やっぱり誕生日に浮かれているからかもしれない。




──電話を切ってから、家に帰ってきてすぐに開けたみょうじさんからのプレゼントを手にとった。早くなりそうな鼓動をおさえて、その下に詰め込んだ先輩や友人からのおくりものをバッグから取り出すのも後にして、できるだけていねいに包み紙を開いた。中から出てきたのはシンプルな黒のパスケースで、いっきに頬がゆるんだ感覚を、まだ俺は充分に再現できる。

明日持っていったらみょうじさんはどんな顔をするかな。張り切りすぎとか、どんだけ嬉しいんだこいつとか、思われてしまうだろうか。でもみょうじさんなら、嬉しいと目を細めて笑ってくれると思う、というのは俺の勝手な想像でしかないけど。

パスケースを持ったままベッドに寝転がって目を閉じた。今日はだいぶ恥ずかしいことを言ってしまった気がする。自分で思っていた以上に浮かれてしまっていたことにいまさら気づいてちいさく笑った。普段ならマフラーを渡したり、手袋を半分だけ渡すなんてこと、絶対できない。

手をつないだらあたたかいと、なんてことを言ってしまったんだろう。沈黙のあと返ってきたのは戸惑ったみょうじさんの声で、ああこれはやっちまった、と後悔しながらタイミングよくやってきた電車に感謝した。



その後、小さくありがとうと呟きながらドアくぐっていったみょうじさんの頬が赤かったことと俺の耳の熱さの答え合わせは、明日じゃなくていい。いつかでいい。彼女がマフラーをしたまま電車を降りていくのに気づいていたことも、明日は黙っていよう。


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