「予選終わるまで会うの控えたいんです」

赤葦くんがそう言った日から随分経ったように思う。待ちに待っていたような、ずっと来ないでほしかったような、そんな日がついにきてしまった。春高の2次予選があった今日。結果はもう知っている。梟谷学園高校は無事全国大会出場を決めていた。まずそれに安堵し、喜び、でも同時に少し胸が痛むのを感じた。赤葦くんは、元気だろうか。


あの日から、本当に私たちは会わなかった。行きも帰りも、少し時間をずらしたり、違う車両に乗ってみたりと、私も気を使っていたしたぶんそれは赤葦くんも同じだ。どうして赤葦くんがそんなことを言ったのかはよく分からない。でもたぶん、朝話しかけられたり、練習終わりにおしゃべりに付き合ったりするのが億劫だったのだろう。赤葦くんは大人っぽいからそれに甘えてしまって、私は全然気づけていなかった。恥ずかしい、ことに。

それでも1度だけ鉢合わせそうになったことがあった。朝から学校に行かなければならなくて、赤葦くんが朝練に行くときいつも乗っている電車より2本早めの時間に乗り込もうとしたときだ。別に同じ時間で車両を変えてもよかったんだけど、その日はなんとなく。いつものドアの前の乗り場に立っていると、やってきた電車の中、正面に赤葦くんが見えた。イヤホンをして、目をつぶって、ドアを背によりかかっていた。ぎゅ、と心臓が鳴る音が聞こえた気がして、逃げるように隣の車両へ移った。なんだか、しばらく見ないうちに全然知らない人みたいになってしまった気がして、怖くなった。離れていってしまうのではないかと思った。春高予選結果。そう書かれたどこかの高校バレー好きの人のブログをぼんやり眺める。


「素直になったほうがいいよ」友達にそう言われたのはその頃だった。

「なまえさあ、」
「うん?」
「別にさ、赤葦くんと話せないようになっても電車で毎日見れるじゃん」
「へ」
「別にいいじゃん、それで」
「よ、よくないよ」
「なんで?」
「だってせっかく仲良くなったんだし、」
「なまえ、どうして?」

"なんで"。そう聞いたとたん、なんでか赤葦くんと初めて話したときのこととか、電車以外で会ったこととか、今まで彼と共有してきた時間とかを思い出した。そうしたらなんだかいろんなものが溢れてしまってきて、気づいたときには彼女にすべてを吐露してしまった。気づいていた。気づいていたことだけれど、私は赤葦くんに片思いをしていると、認めたのは初めてだった。

「話せなくなるの嫌なんでしょ?ただの電車が一緒の人に戻っちゃうの、嫌なんでしょ?もっともっと仲良くなりたいって思ってるんでしょ?」
「・・・うん」
「じゃあちゃんと伝えなきゃね」

にっこりと笑う彼女を可愛いと思った。こんな可愛い女の子に応援してもらえてるんだから、ちょっとは希望が持てるかなあなんてバカみたいなことを思った。







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高校3年、春高の2次予選を通過して、あとは全国大会を待つばかりとなった今日。

試合後もミーティングに練習に、さらにその後残って自主練して、今日もバレー漬けの1日だったなあと思いながら着替えを済ます。学校の前で自転車通学のチームメイトと挨拶を交わし、ひとり駅までの道を歩き出した。

みょうじさんとはもうだいぶ会っていない。会うのをやめようと言ったのは自分だけれど、その日から何度会いたいとそう思っただろう。俺から言ったのに、これでは呆れた奴だと笑われてもしょうがない。

会うのを控えましょうと言った後、俺はみょうじさんの顔が見れなかった。たぶんあのときの俺はひどい顔をしていただろうから。それでも一瞬だけ目に入った、彼女の少し開いた口と歪む目元。・・・俺はあのとき、みょうじさんを傷つけてしまったのだろうか。悲しませて、しまったのだろうか。もしそうならば少し嬉しいと思ってしまう俺の気持ちは、罪だろうか。

明日の放課後練は休み。そう言っていた顧問の声を頭の中で反芻させる。みょうじさんには予選が終わったら話したいことがあると言ってある。少しだけ逡巡して、彼女の電話番号を呼び出す。用件だけ短く伝えて電話を切った。そうでもしないと、久しぶりに聞く彼女の声をもう少しだけ聞いていたいと思ってしまいそうだったからだ。






翌日、16時半、みょうじさんの最寄駅のホームで彼女を待つ。

昨日の電話は明日会えるかどうかの確認だけで終わったから、ラインで時間を調整した。16時すぎに学校が終わると言った彼女を先回りして待っている。40分の電車で着きます。そのメッセージにひとつ、息をつく。俺はちゃんと、自分の思いを彼女に伝えられるだろうか。ちゃんと、我慢できるだろうか。

「ごめんね、お待たせ」
「お疲れさまです、すみませんわざわざ」

予告通りにその電車に乗ってきたみょうじさんを迎える。久しぶりに見る彼女に、ホッとした。会いたかった。ずっと。話したくて、顔が見たくて、声が聞きたかった。口元はゆるんでいないだろうか、目尻が下がっていないだろうか。そんなことを気にしつつ、行きましょうと先立って改札に向かう。あの時話した公園で、伝えたいことがある。


あの時と同じベンチに座る。今度は彼女がコーヒーを買ってきてくれた。17時直前の公園は子供達でまだ賑わっていて、なんだかムードがなかった。みょうじさんは少し緊張したような顔で俺の横に座っている。やっぱり、怒ってるんだろうか。そりゃ怒るよなあ、別に付き合ってもない男に、急に、勝手にあんなこと言われて、不快に思わないはずがない。

沈黙が続く。破ったのはみょうじさんだった。

「赤葦くん、2次予選、おめでとう」
「知ってたんですね」
「うん」

ネットで見たの。やっぱりすごいね。そう言って笑ってみせる彼女の笑顔はどこか痛々しげで、自分がこんな風にさせてしまっていることへの申し訳なさが込上がってくる。会えていなかったこの期間、みょうじさんは少しでも俺に会いたいと思ってくれていただろうか。寂しいと、思ってくれていただろうか。それともいつもみたいにちょっと飄々として余裕そうに、硫黄の同位体のことばかりを考えていたんだろうか。

ありがとうございますと呟いた俺の声にかぶせるように、5時を知らせるチャイムが響いた。子供たちが一斉に出口に向かうのを眺める。その喧騒が遠ざかるのを待ってから、みょうじさんに向き直る。彼女は少し首をかしげて、なあに、と震える声で言う。


「話したいことがあるって、言いましたよね」
「うん」
「今日それを、話そうと思って」
「・・・うん」

たどたどしく、言葉を探す。ちゃんと伝わるといい。ちゃんと伝わって、通じたらもっといいのに。

「2次予選、全然だめだったんです」
「え?」

勝ったじゃない。彼女がそう言いたげにしているのが分かる。

「勝ちました。でも、なんか全然ダメで」
「・・・うん」
「もっと、上手くなりたいって、そう思えてしまうような出来でした」

確かにチームとしては善戦したと思っている。フルセットだったがデュースには突入しなかったし、攻撃も決まっていた。ブロックも機能していた。・・・でも。

「俺、予選終わったらみょうじさんに告白しようと思ってたんです」

みょうじさんが、息を呑むのが伝わってきた。でも俺に、みょうじさんの顔を見る勇気も、自分の顔を見せる勇気も無かった。電車の揺れに寄りかかってくる彼女を思い出した。バレーを応援してくれた、勉強を教えてくれた、俺の誕生日を忘れないでいてくれた、そんなみょうじさんをひとつひとつ思い返した。すぐ恥ずかしいことを言うくせにこっちが少し言い返すと顔を赤くする。俺が少し落ち込んでいたらすぐ気がついてくれる。バカみたいにお人好しで、優しくて、5つも上なのに可愛くて。きっかけの生徒手帳。それを差し出す彼女に、俺は恋をした。

「でもやめました」
「・・・」

みょうじさんは何も言わずに俺を見る。

「嘘を、つきたくないと思いました」
「ほんとは何か、全然別のことを言ってなかったことにしようと思いました」
「でも、できませんでした」

ここでやっと、みょうじさんの顔が見れた。まっすぐ俺を見る彼女の目を、俺も一直線に見返す。

「バレーの手を抜いたら、絶対に後悔すると思ったんです」
「・・・うん」
「今告白して、どんな返事をもらっても、俺はみょうじさんに傾いてしまう気がするんです」

それは決してみょうじさんのせいではなくて、俺自身の弱さだった。もし答えが是非のどちらでも、きっとみょうじさんのことで頭がいっぱいになってしまうのは分かりきっていた。だから逃げという選択肢を俺は選んだのだ。でも、間違いとは思わない。

「バレーには嘘をつきたくないんです」
「でもそれは、俺自身の気持ちにも、みょうじさんにもです」
「だからみょうじさん、お願いがあります」
「大会が終わったら、絶対に言います。言いに行きます。だからそのときは、聞いてもらえますか」

言い切って、視線を落とす。返事が怖かった。こんな勝手なことを言って、みょうじさんは怒らないだろうか。嫌われないだろうか。待てない、ここでおしまい。そう言われてしまうんじゃないだろうか。

「それって」みょうじさんがぽつりと言う。渇いた声だ、と思った。

「春高、が終わるまで、赤葦くんとは今までみたいに喋れないってこと?」

その言葉にう、っと詰まる。本当はその方がいいんだろう。でも、我慢できるとは到底思えなかった。中途半端だと思われたらそれまでだし、みょうじさんがそう思うのならそうしてもいいのだけれど。でも利用してるみたいな、キープしてるみたいで憚れる気もする。そんなつもりは全然ないんだけど。これを自分の気持ちを少し控えめに、要約して伝えるとみょうじさんはほっとしたように笑った。

「あのね赤葦くん、私寂しかったよ」
「赤葦くんと話せなくて、会えなくて、悲しかった」
「声を聞きたいって、スマホ片手に悩んでたよ」

ぶあ、と顔に熱が集まるのを感じる。信じられなかった。みょうじさんがそんな風に思ってくれているなんて、そんなこと信じられるわけがなかった。嬉しい。愛しい。混ざり合って体を突き抜けていく。うつむいて、口元を両手でかぶせて、にやけるのを必死で隠した。

「大会終わるまで話しかけるな、って言われるんだと思ってた」
「それは絶対ないです」
「じゃあなんで、予選まで喋ったらだめだったの?」
「それは、」

ほんとは予選見に来てくださいって言いたくて、でもそしたらいいとこ見せなきゃと思って朝練の時間早くして夜はコーチに怒られるまで自主練して、でも電車の時間ずれたらそんなの全部バレるから避けようと思ったんです。浅はかでガキな馬鹿男子高校生ですみません。

とは言えずに黙っていると、みょうじさんがぷ、と吹き出した。


「赤葦くん困ってる?」
「・・・はい」
「困ってるとこ見たらもうどうでもよくなっちゃった」

ふふ、と声を出して笑う。みょうじさんの笑顔は久しぶりだ。困った顔も照れた顔も好きだけれど、やっぱり笑ってるのがいちばん可愛い。

「赤葦くん、私ちゃんと待ってる」
「練習の邪魔もしない」

彼女は俺にまっすぐ目を合わせて言う。夕日が彼女の髪に反射する。

「だから赤葦くん、早く迎えに来てね」

ぎゅ、と心臓が掴まれるような感覚がした。そう言った彼女の目尻に涙が浮かんだような気がして、今すぐ抱きしめたいと思ったけれどやめておいた。





駅まで少しの道を並んでゆっくりと歩く。家まで送ると言ったけれどみょうじさんは首を横に振った。代わりに手を繋いでとお願いされて、この人無理矢理キスしてやろうかと思った。ぎゅ、と力をこめると返ってくるのが嬉しい。いわゆる恋人つなぎにはできなくて、それは握手みたいに稚拙だったけれど。

歩きながら、試合のどこかダメだった、と半ば愚痴のような話を聞いてもらう。みょうじさんは楽しそうにそれを聞いてくれる。不調の原因がみょうじさん不足な気がしてならないけれど黙っておいた。恥ずかしすぎる。みょうじさんの話も聞きたかったけれどもう駅に着いてしまって、今日帰ったら電話できますかと聞いたら驚いたように、恥ずかしそうに、でも笑って頷いてくれた。

嘘みたいに心が軽かった。手にはまだ彼女の手の感覚が残っていた。どんな話をしよう、どんなことを聞こう。じんわり広がる幸せを噛み締めて、どんなことも頑張れる気がすると思った俺も大概単純だ。去年までいたツンツン頭の先輩を思い出しながら、そう思った。

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