──そもそも、私は甘党ではない。
昼休み、いつものように食後のコーヒーを啜っていると「うわあ」と後ろから声が聞こえた。
「よくそんな泥水みたいなもの飲めるね」
目の下を歪ませて高圧的に言い放つのはやっぱり月島くんだった。飲みかけの缶を片手に、横向きに座りなおして彼の冷め切った目を見据える。
「おいしいよ」
「舌イカれてるんじゃない?」
私の後ろの席の彼は背が高い。その上態度も非常にでかい。でもこうして私に突っかかるようになったのはごく最近のことだ。
あの時も同じようにこうしてブラックコーヒーを飲んでいた。後ろの席で月島くんと楽しげに話していた山口くんの腕が、私の背中に当たったのがきっかけだった。
「わっ、ごめん」
「あ、全然。大丈夫だよ」
わざわざ謝ってくれた山口くんを今日と同じように振り返った時、ちょうど月島くんが持っていたカフェオレに思わず目を奪われたのだ。それは甘くて美味しいと評判のメーカーで、あまりに彼のイメージと合わない、と思って。
そして言ってしまった。
「月島くんて、意外と甘いの好きなんだね」
この言葉が随分カンに触ったらしい月島くんの、眉間に思いっきり皺を寄せて呟いた「ハァ?」の声の温度の低さを、私はまだハッキリと覚えている。・・・あれは、本当に、怖かった。
だってまだ話したこともあまり無いような長身の男の子に嫌悪感丸出しの表情で威嚇されたのだ。甘党じゃないけれど私は立派な女の子なので、可愛らしく萎縮もする。
「ご、ごめん・・・」
「・・・別にいいけど」
「ごめんね、ツッキー悪気はないんだ」
慌てたように、でも慣れたように山口くんがまた謝ってくれる。別に山口くん悪くないよ、と言いかけたところで「うるさい山口」とまた冷たく声が響いた。
「ごめんツッキー」、ヘラリと笑った山口くんを驚愕の目で凝視してしまう。山口くん悪くないのに、なんで謝るの。
「月島くん、ごめんなさい、その、気に障ったなら」
狼狽えながら月島くんに謝ると、彼は「別にいいよ」私から目を背けながら呟いた。
彼の手の中にある、ミルクと砂糖がたっぷり入ったカフェオレを眺めて思う。月島くんの口から出る言葉はこうも苦いから、きっとこうして糖分を摂取しまくっているのだ。世界のバランスというのは本当によくできている。
*
*
*
また違うある日のこと。お弁当を食べ終えた私はいつもの自販機にいつものコーヒーを買いに来ていた。体に馴染みきった動作で硬貨を投入し、落ちたスチール缶を拾い上げる。
それを手の中で転がしていると「すみません」と声をかけられた。教室へと戻ろうと階段を上がっていた途中。すれ違った男の子に。
「はい?」
最初は自分に声をかけられているとは思わず素通りしようとしたから、肩に手がかかったときは少しばかり驚いた。上履きの色を見るにどうやら同学年のようで、なんとなく見たことがあるような無いようなその顔に首を捻る。
「ちょっと今、いい?」
「え、あ、うん・・・?」
あまり、人の通らない階段だった。
何かを言いあぐねているような彼の顔を観察しながら、そういえばとふと思い出した。確かこの子、芸術の選択授業が一緒だったような気がする。
喋ったことは一度も無いと思うんだけど。じ、っと見つめて言葉を待っていると、気まずそうに少しだけ俯きながら「あの、」とやっと話し始めた。
「俺、あのー、美術が一緒なんだけど」
「うん、分かるよ」
「それで、」
──私のことを気に入ってくれて、アドレスを聞きたいらしい。
たどたどしく紡がれた予想もしなかった内容に目を瞠る。それと同時にあの憎らしい顔が、なんでか脳裏をよぎった。
「あー・・・うん」
大丈夫だよ。月島くんの顔を打ち払うように頷いて言いかけた時、後頭部に衝撃が走った。
「いたっ」
「ねえ何してるの」
痛みに狼狽して振り返ると、2段ほど上に立った月島くんがいつもより数倍の圧力をかけて私を見下ろしていた。ぽかんと開けた口に顔を顰められて、状況が飲み込めていない私の手を引いて階段を下がっていこうとする。
「え、ちょっと月島くん、」
「僕のカフェオレは?なんで買ってないの?」
「は?」
「おごるって言ったじゃん」
・・・そんなこと、もちろん言ってない。
頭の中が疑問符でぱんぱんに溢れかえっていた。それでも声をかけてくれた男の子を置いていくわけにもいかないと、月島くんが引っ張る手の逆方向に力を入れる。
「あ、アドレス・・・」
「彼氏、居たんだね」
「え?」
「困らせてごめん!」
「え?」
最後に一言叫んで、彼は階段を駆け上って行ってしまった。その後ろ姿を呆然と見送り、今度は急に右手に痛みが走る。顔を戻すと前を向いたまま、私の手を引いたままの月島くんがいて、「月島くん、」声をかける前にまた歩き出した。
「ねえ、ちょっと月島くん」
「・・・何」
カフェオレが売っている自販機はとうに過ぎた。それでもなお私の手を離さずにずんずんと歩き続ける月島くんは、校舎から少し離れたところにある体育館の前で足を止めた。
「・・・カフェオレ、いる?」
違う。私が聞くべきことは"さっきの何"、だ。でも珍しくどこにも皺の寄っていない月島くんを見るとなぜかそれを口には出せなくて、自分でもだいぶ間抜けだと思いながら先ほどの会話を思い出した。
「・・・いらない」
「そ、そう」
「・・・」
──どうしよう。
そもそもどうしてこんな状況になったかと言えば、そう、私がさっきの男の子に声をかけられたのだ。きっと購買か、私と同じように自販機へ向かう途中の月島くんがそれを見かけて私の頭を叩いて。それで、されるがままにこの場所にたどり着いた。
でも、どうして。どうして月島くんは私をあの場から連れ出したんだろう。
おごるって言ってたじゃん、と月島くんは言った。私は彼にカフェオレをおごる約束などしていない。じゃあどうして月島くんはあの時嘘をついたのか。
眉ひとつ動かすことなく、月島くんは私を見ている。
「あ、もしかして月島くんやきもちなんてやいちゃったり」
「そんなわけないでしょバカなの」
「ですよね!」
ふざけたつもりで放った言葉はその数倍の威力で返ってきた。いや別に、そうやって言われるってもちろん分かって言ったんだけど。
「じゃあ月島くん、どうしたの」
「別に。カフェオレ飲みたくなっただけ」
繋がれた手の指の力が抜けていくのが分かった。本心の見えない月島くんの表情は相変わらず凝り固まったままで、・・・もしそれが照れ隠しだったら、なんて。
もちろん冗談だけど。もしかしたらなんてある訳がないのだ。私は何を考えているんだろう。
・・・でもそんなことを、憎まれ口ばっかり叩いて私をからかうその口で、聞かせるつもりなんて無いような音量で、聞いたこともないような細い声で、いつもより少し下がった眉尻を見せながら、言うから。
「・・・困ってるかと思ったんだけど。そうじゃないなら別にいい」
もう解けかけた手の、少しだけひっかかる指の先の、ひんやりした熱を交換するような。そんな結末を想像したわけじゃない。
──そもそも私は甘党じゃないから、このくらいがきっと丁度いい。
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