世界の果てを、あなたと


何かあったら嫌だからと真島さんに貰った彼専用の携帯電話が鳴らなくなり、一体何年経ったのだろうか。バッテリーが1日も持たず常に充電器を挿したまま、ベッドサイドに放り投げてある。塗装も剥がれ、当初の輝きはとうになくなっていた。

ベッドで横になったまま何となしに画面を確認する。あいも変わらず電話もメールも何もなく、画面の私と真島さんがただ笑っているだけだった。

ベッドから起き上がり、ローテーブルに置いた封筒に目をやる。私が住むこの部屋の、契約更新のお知らせだった。

いよいよ潮時なのかもしれない。
そもそもヤクザと一般人が、人並みの恋愛が出来るとは思ってはいなかった。それでも私は私なりに、真島さんは真島さんなりに出来る範囲で、お互いを想いあっていたと思う。それでも終わりは呆気ないものだった。

お揃いのマグカップも、夜を共にしたこのベッドも、思い出が詰まったこの部屋も。この夜を最後にさよならしよう。私は携帯電話を充電器から外した。

ベッドから重い腰を上げ、閉めっぱなしだったカーテンを開けた。ベランダに並んだ大小のサンダルと灰皿が目に入る。神室町のドンキで買った安物の灰皿。使い手もおらず、少し錆び付いている。夜中にいきなり押し掛けてくるわりには、律儀に室内禁煙を守っていたなと思い出し笑った。

「そういえば」

部屋に戻り、キャビネットの一番左上の引き出しを開ける。確かここに入っていた筈だ。

「あったあった」

引き出しの奥に追いやられた、使い捨てのライターと開封済みのハイライト。私はそれを取り出して、ベランダへと戻った。

窓を開けると冷たく冷えた風が部屋に舞い込んだ。サンダルを引っ掛け、ベランダに立つ。神室町のネオンが遠くに見えた。あの街に彼はもういないのだろう。

ハイライトを一本取り出して、口に咥える。その瞬間、ベランダでの会話が蘇った。確か煙草の吸い方を教えて欲しいと私がお願いしたんだったか。記憶の真島さんが私に語り掛ける。

『煙草吸うてな、その後外の空気と一緒に肺に入れんねん』

ライターで火を付け、煙草を吸う。煙を口に溜めて、冷たい空気と一緒に肺に落とし込んだ。これであっているのかは分からないが、確かこんな風に吸っていた筈だ。それでも喉に絡み付く遺物感と苦味に私は思わず咳込んだ。

『名前は覚えんでもええよ』
「覚えませんよこんなの…」

よくこんなものを美味しそうに吸ってたなと、涙目になりながら肩で息をする。呼吸が落ち着くと同時に真島さんの匂いが鼻腔を擽った。ギュッと心臓が鷲掴みされたような感覚に陥り、鼻の奥がつんとする。大好きだった人の大好きな匂い。




「なんや、俺の知らんうちに不良デビューしたんか?」

この声を私は知っている。
振り返ると記憶の真島さんより少し老けた彼が立っていた。今誰よりも会いたかった人。「元気やったか」と笑う真島さんの口元には小さな皺が。それだけ離れていた年数を感じることが出来た。

「嘘…」
「嘘やない。ほんまもんの真島さんや」

真島さんはそう言うと、自分のサンダルを履き、私の隣に並んだ。呆然とする私の手から煙草を奪い、親指と人差しで摘んで口元には運ぶ。一口吸い「なんやしけてるやないか」と不満げに煙と一緒に漏らした。

「どうして…」

聞きたいことが沢山あるのに言葉が続かない。それがもどかしくて、代わりに真島さんのジャケットの裾を掴んだ。

「名前、綺麗になったな」

真島さんは寂しげに笑い、私の頭をそっと撫でた。その眼差しと暖かい手に私の瞳からほろりと涙が零れ落ちる。真島さんの手が私の頬に添えられ、親指で目尻を優しく撫でた。優しい手付きと愛おしげに私を見下ろす目に、いよいよ涙が止まらなくなった。

「ずっと、待ってたんです」
「分かっとる」
「さよならぐらいきちんと言わせて下さい」

私がそう言うと、真島さんは言わせんとばかりに自分の唇で私の唇を塞いだ。何年かぶりのキスが、こんなにも優しくて、悲しくて、苦くて、しょっぱいだなんて想像も出来なかった。

離れていく唇。
今の私はきっと真島さんと同じ顔をしている。もっとして欲しいと、私は背伸びをしてねだるように真島さんの首に手を回した。真島さんは吸いかけの煙草をそのまま床に落とし、足で踏み付けると、そのまま私の後頭部に手を回した。どちらともなく顔を近づけ、お互いの唇を貪った。空いた時間を埋めるように。

そうして何度目かの口付けの後、ゆっくりと離れていく唇を名残惜しく見ていると、真島さんは私の名前を呼んだ。

「名前」
「はい」
「何年も待たせとったがもう終いや。もう待てとは言わへん」
「…はい」
「俺について来い、名前」

有無を言わせぬその言い方に、私は何度もうなづく。何年も待ったのだから、今更一日増えたところでどうということはない。そう言って笑うと、真島さんはあの頃よりも少し皺が出来た目尻を下げた。

狭いシングルベッドで二人で愛を確かめ合い、そうして夜が明ける頃に、真島さんは私の部屋を後にした。気怠い体を起こし、乱れたシーツとローテーブルに置かれたハイライトを見て、彼がここにいたのだと安堵するのだ。そうしてもう一度眠りにつく。

それから数日後。
マンションの解約手続きや仕事の引継ぎで慌しくしているうちに、引越し日も目前となってしまった。

あの日から時間もあまり経たずして携帯電話のバッテリーはなくなった。画面はブラックアウトしてしまったが、もう充電の必要もないだろう。

はたはたと揺らめくカーテンの向こう側、ベランダで煙草を吸う真島さんの背中を見てから、私は段ボールに携帯電話をしまうのだった。





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