見つめあって衝動


ちん、とエレベーターが目的の階に到着したことを告げ、かくんと重力が苗字に掛かる。エレベーター上部の階数は57階を示していた。最後に降りた人間が苗字をちらりと見た時の表情を彼女は思い出した。成る程、ここの人間は57階に何があるのかを重々承知しているらしい、と。57階に昇るまでに何人もの人間が降りていったが、一様に行先階ボタンを押す際に光る“57”を見ていた気がしたのはそのせいかと一人納得した。

エレベーターの扉がゆっくりと開き、苗字はホールに一歩踏み出した。その瞬間、苗字が今までに感じたことのない空気が包んだ。薄寒く、誰かに見張られているような、それでいて何処か浮世離れしたような空間に、ごくりと生唾を呑み込んだが、小さく鳴った喉すら煩わしく感じた。

苗字はその場で辺りを見渡した。吹き抜けを挟んだ向こう側に真島組と書かれた弓張提灯が壁一面に飾られている。周りに人はいない。かつんかつんとヒール音を響かせ、吹き抜けをぐるりと周り、真島組事務所の前に立つ。あるのはインターホンのみ。外部を遮断するその様子に苗字は冷や汗が頬を伝うのを感じた。

苗字はじっとりと湿った指先でインターホンを押した。呼び出し音がフロアに響いたかと思うと、はい、と男の声が聴こえた。

「真島組長はいらっしゃいますか」
「何もんや」
「苗字と申します。お忙しいところ申し訳ありませんが組長はいらっしゃいますか」

インターホン越しに聴こえてきた声は如何にも柄の悪そうな声だった。その関西弁は苛立ちすら感じられる。苗字は自分の声が震えているのが分かった。

「ちょっと待っとれ」
「ありがとうございます」

通話が途切れ、苗字はほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、事務所内へ続く扉が乱暴に開けられた。苗字は思わずびくりと肩を震わせた。

扉から出てきたのは派手なワイシャツに、派手なジャケットを着た男だった。苗字の対応をしたのはこの男だったらしい。わざとらしく大きな足音で苗字に近付き、上から下までじっと見つめた。女だろうが警戒を怠らない辺り、流石は真島組の組員だと苗字は震える手を隠すように体の前でぎゅっと握った。

「なんや嬢ちゃん、度胸試しには随分と変わった格好しとるやないか」
「いえ、遊びに来たわけではないです」
「冗談にしてはおもろないなぁ」

尚も口調を柔らかくすることなく、その威圧感で苗字を見下ろした。柄本病院でこういった人間を相手にしたことがないわけではない。しかしながらあくまでも医者と患者の関係であって、悪意を向けられたことがない苗字には、恐怖でしかなかった。それでもすごすごと逃げ帰る訳にもいかなかった。唇をぎゅっと噛み締め、男に負けじと声を張って、その決意を口にした。

「私の家に、何かあれば真島組を疑えと手紙を置いてきました」
「…いい加減にせぇよ」
「あなた方も堅気の人間に手を出したとなったらそれはそれで問題になるのでは?」
「てめぇ!!!」
「ですから真島組長に会わせてください!」

男の顔がみるみると赤くなり、硬く握られた拳が振りかざされた。無事に会えるとは思っていなかったため、遺書にも似たメモ置いてきたのはどうやら正解だったらしい、と他人事のように見ていたが、苗字は反射的に目を閉じた。

その時エレベーターがフロアに到着したことを告げる音がフロアに響いた。かつかつと響く足音が近付いてくる。その足音が苗字の目の前で止まり、いつまでも襲ってこない痛みに不思議に思った苗字はゆっくりと目を開けた。視界にはパイソン柄が広がっていた。ふわりと鼻の奥を擽る煙草と男物の香水の香り。

「俺がお探しの“真島組長”や」

振り上げた拳を難なく片手で押さえた男ーー真島吾郎はにたりと歯を見せて笑った。蛇に睨まれた蛙とはこのことかと苗字は引きつった笑みを浮かべた。



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