指先まで美味しく


赤く染まった指先を見て、私は一息ついた。

手を天井にかざすと、まるで血のように赤いマニキュアが蛍光灯の光を受けてきらきらと輝いた。私はネイルが好きだ。甘皮の処理をしたり爪やすりで形を整えたりと下準備が面倒ではあるが、そういった過程を経て彩られた爪先を見ると、女という自分を強くしてくれるような気がするからだ。

ローテーブルに置かれた小瓶に目をやる。ハイブランドのロゴが書かれたネイルポリッシュは真島さんからの貰い物だ。赤いネイルは男性には不評だと何かで読んだのを思い出したが、真島さんはこういうのが趣味なのだろうか。脳裏に浮かぶ真島さんはパイソン柄のジャケットを着こなしていて、派手好きなのは間違いないと私は小さく笑った。

「邪魔するで」

鍵の開く音と続けてどすどすと廊下を歩く音が聞こえてくる。邪魔するなら帰ってください、と家主の返答もなしに上がり込んだ来客に少し大きく声を投げる。ほな帰るわ、と何とも気の抜けた声と共に、玄関から続く廊下の扉が開いた。

連絡もなしにふらりと遊びに来た真島さんは、部屋に充満したシンナーのようなマニキュアの独特な臭いに一瞬顔を顰めた。私が両手の指先を見せると、察した真島さんはローテーブルに置かれた小瓶を見て、直ぐにその表情を変えた。

「なんや塗ってくれたんか」
「良い色ですね。ちょっと派手かと思ったんですけど可愛いです」
「せやろ!」

俺の選択は間違ってなかったと言わんばかりに満足気に笑い、私の横に腰を下ろした。豪快に座るものだからソファが音を立てて沈み、私もその反動で少しばかり宙に浮いた。私は慌てて指先を見る。乾ききらない指先は無事だっただろうか。ネイルがよれてしまって一から塗り直しだ。てらてらと輝く赤は無事だったが、なんてことをしてくれたのだと真島さんをじっとりと睨むと、心の篭ってない謝罪が返ってきた。

「まだ乾かんのかい」
「塗ったばっかりですからね」
「せっかく来たんやけどなぁ」
「そんな拗ねないで下さいよ。ちょっとだけ」

待ってて下さい、そう続けることを真島さんは許してくれなかった。

横にあった筈の真島さんの顔が今は目の前にある。キスされたと頭が理解する時間を与えられる間もなく、ぬるりと舌先が私の唇を割って入り込む。拒絶しようと己の舌を突き出せば、熱を帯びた舌がまるで蛇のように絡まってきた。

そのまま真島さんに押し倒される形で私はソファに身を沈めた。まだ乾ききらない指先だけは死守しなければと宙に浮いた行き場をなくした腕。何処か冷静な私が気に入らないのか、それともお預けを食らったのが気に食わないのか、私の口内を激しく犯した。私の舌裏を舐め上げ、思わず引っ込めた舌を逃さまいと吸い上げる。

こうなっては逃られない。
観念した私は自身の舌先をおずおずと差し出した。真島さんはそれに答えるよう優しく甘噛みをする。背筋がぞくりと震え、漏れた吐息に真島さんは瞳をすぅと細めた。最初からそうしておけばええねん、と言うかのように。口の端から伝うどちらのものかも分からない唾液と響く水音、マニキュアの香り。頭がくらくらする。私は考えるのをやめて、目を閉じた。

そうして離された唇。
真島さんは体を起こし、最後まで背中に回ることがなかった私の腕を掴んで起き上がらせてくれた。真島さんは私の手をじっと見詰めている。私も真島さんに倣って真島さんの手の中にある自分の指先を見た。小さな傷一つない真っ赤なネイルは変わらず光っていた。安堵の溜息を溢す。

「良かった」
「ほんま頑固やな」
「なに、言ってるんですか」

私がそう言い真島さんを見ると、彼はヒヒッと悪い笑みを浮かべ、それから小さく口を開けた。ちらりと見えた真っ赤な舌と、そこに吸い込まれていく私の人差し指。そうしてかぷりと噛んだ。柔らかな痛みが私の人差し指に広がる。それから指先を、そのまま爪の間を舐め、ちゅっと可愛らしいリップ音を鳴らして指先から顔を離した。

「ご馳走さん」

真島さんは私の指先に興味を無くしたのか、ソファから立ち上がり、鼻唄混じりにベランダへと向かった。一連の流れに呆然としていた私だったが、開いた窓の隙間から夜風に乗って流れ込んだ煙草の香りに現実に引き戻された。慌てて爪先を見ると右手の薬指に残された歯形。

油断した。
除光液で落として、また塗り直すなんて面倒にも程がある。そもそもそんなことをすればベランダで機嫌良く煙草を吹かす男に何をされるか分かったものじゃない。私はソファに背を預けて、今日一番大きな溜息を吐き出した。






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