賽は投げられた


インクを溢したような密度の高い闇が空を覆っている。吐く息は白く、身体の芯まで凍ってしまうような寒さの中、桐生、真島、苗字の探索者達は山頂を目指し、一様に口を閉ざして歩みを進めていた。体力を奪われることもそうだが、敵が何処にいるのか分からない状況下では会話一つが命取りになることは考えるまでもなかった。真島ですら軽口一つ叩いていなかった。

張り詰めた空気の中、草木に身を隠しながら一歩一歩足を動かす。入山した時から死が影のように着いてきた。見つかってはいけない。それは即ち死を意味すると探査者達は直感で分かっていた。

「あっ!」

桐生と真島に着いていくことに必死だった苗字は、夜目が効かないこともあり、足元の枝を踏んでしまった。静かな空間にぱきりと乾いた音が響く。驚きで声が漏れてしまい、咄嗟に両手で口元を押さえるが、その行為は意味を為さなかった。

それは闇夜を抜けて現れた。
ブーンと空気を震わす何かの羽音が聞こえてくる。探査者達が音の方へ顔をやると、体長1m50cmはあろう生き物が四体、探査者達の元へ飛んで来た。

「なんやねんあれ……」

それは薄赤色の甲殻類のような姿をしており、背中に生えた一対の蝙蝠の様な翼を羽ばたかせながら三人を見下ろしていた。見下ろしているという表現が正しいかどうかも分からない。何故ならその生き物には人間が目と呼ぶ器官が存在しなかった。渦巻き状の模様をした楕円形の頭部には触手のような突起物が何本か生えており、それが探査者三人を捉えていた。

分かることといえば、目の前の生き物が地球上のどの図鑑にも記載されていない、異形の生物ということだけだった。

「兄さん構えてくれ!」
「……っ!」

放心状態となっていた真島は、桐生の声で現実に引き戻された。瞬時に桐生の言葉通り、自身の獲物を鞘から抜き取り構える。空に浮かぶ異形の生物――ミ=ゴが、三対の内の前足にあたる一対の鉤爪をカチカチと鳴らし始めたからだ。明らかな威嚇行為である。

――この俺が怖気付いた、やと。
真島のドスを握る手がかたかたと細かく震える。寒さからなのか恐怖からなのか、今の真島には判断するだけの余裕がなかった。真島の隣に立つ桐生の表情も、心なしか青ざめていた。

一歩後ろに立つ苗字の反応がまるでない。不審に思った桐生と真島がゆっくりと振り返ると、苗字は溢れんばかりに目を見開き、異形の生き物を見つめていた。

苗字は理解してしまった。
内からじわじわと浸食する吐き気を催す程の恐怖と憎悪と不快感。その冒涜的な生物が人間が踏み込んではいけない領域にいるものだと。深淵の一端に気が付いてしまったのだと。

「っふふ!」
「名前……?」
「あはっ!あはははははは!」
「しっかりするんや名前ちゃん!」

苗字から噴出した感情が笑みとともに溢れる。静かな森に響き渡る笑い声は自分たちの方が可笑しいのではないかと錯覚する程に狂気を含んでいた。即ち発狂。探索者達の遠くない未来だった。苗字の目は酷く淀んで焦点が定まっておらず、真島の声も届かなかった。

「桐生ちゃん」
「分かってる」

甲殻類のような装甲に、刃が通るかどうかも分からない。それでも戦わなければ。差し違えてでも名前だけは守らなければいけない。真島は未だ震える手を握り締め、自身の恐怖を振り払うように空へと吠えた。

「バケモンが相手だろうが、ぶっ殺したるわ!」

ダイスは誰の味方をするのか。
そして、賽は投げられた。

『ダイスの女神へのお祈りはきちんと済ませてくださいね。桐生さん、真島さん』






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