麺は固め、こってりで


モニターを何時間も続けて見ていたせいか、目が重たくなってきた。化粧が崩れるのも厭わず、目頭をぎゅっと押さえると、幾分ましな気がした。

壁時計に目をやると、終電を終えた時間をとうに過ぎていた。直ぐにでも家に帰ってベッドに潜り込みたいところではあるが、今まで戦っていた報告書はそれを許さない。思わず溜息を漏らす。

どうせタクシーで帰るのだからいつ帰ろうと変わらないだろう。私は一息入れる為、デスクに置かれた煙草と飲みかけのエナジードリンクを持って、非常階段へ向かった。

この非常階段は裏通りに面しているとはいえ、神室町の賑わいは聞こえてくる。それでもいつもより賑やかに聞こえてくるのは、今日が、正確には昨日だが、金曜日だからだろう。踊り場の手摺りに缶を置き、花金を楽しむ人々を恨みながら、私は煙草を咥え火を灯した。

ゆらゆらと夜空に吸い込まれていく煙を見上げる。仕事自体は楽しかったので、なんとかここまでやってこれた。とはいえ不規則な時間と私を振り回す上司。加えて友人からの結婚報告や幸せそうな話に、挫けそうになるのも事実だった。正直、辛い。

「なんて感傷に浸ってる場合でもないか…」

短くなった煙草を灰皿に押し付けて、エナジードリンクを一口飲む。炭酸はとっくに抜けていた。これを終えれば休日だ。どうせ家に帰ったところで、寝て一日が終わってしまう。そうだ、そのまま買い物か映画でも観て帰ろう。あれこれ今日の予定を考え、無理矢理沈んだ気持ちを浮き上らせた。

そうと決まればさっさと仕事を終わらせよう。残り少なくなったエナジードリンクを一気に煽った。すると非常階段の下、丁度裏口の辺りから、かちかちとライターを鳴らす音と独り言が聞こえてきた。

「あかん、切れてもうた」

こんな時間に一体誰だろうか。不審に思った私は、踊り場から体を乗り出して見下ろした。そこにはパイソン柄の派手なジャケットを身に付けた男が、何度もライターで火をつけようと悪戦苦闘していた。

「お兄さんライター切れちゃったんですか?私のでよければ使いますか?」
「ほんまか!」

どうやらライターのオイルが切れてしまったらしい。その男に声を掛けると、私の声で男は顔を上げた。眼帯を着けた男は人懐っこい笑みを浮かべてはいるが、ジャケットから覗かせる刺青が堅気の人間ではないことを匂わせている。一瞬たじろぐも、それでも喫煙者同士の誼みだ。私はもう一本煙草を咥えて火をつけてから、

「投げますよー!」
「オーライ!オーライ!」

ライターを投げようと手を振り翳すと、男はキャッチャーの真似事を始めた。見た目とのギャップに思わず笑ってしまう。見事キャッチした男は、そのまま流れるような動作で煙草に火をつける。そして美味しそうに煙を吐き出した。

「そのライターあげますー!」
「そうか!嬢ちゃんおおきにな!」

片手を上げ、男は礼を言った。その姿を見てから乗り出した体を戻し、再度煙草の煙を肺に流し込んだ。人助けをしたからとても気分が良い。この気持ちのまま仕事を進めれば、そう時間も掛かるまい。灰皿で煙草を押し消し、非常階段のドアノブに手をかけた時、下から私を飛ぶ声が手を止めさせた。

「嬢ちゃんまだおるか?」

呼ばれた私は踵を返し、再び踊り場から顔を覗かせた。男は手にしていた煙草を地面に落とし、爪先で煙草を消したところだった。

「嬢ちゃん腹減らへん?」
「お腹ですか?」
「ライターのお礼や。美味いラーメン屋知ってるやさかい、連れてったる」

そういえば仕事に集中し過ぎて、夕飯を食べてないことを思い出す。人間意識し出すとどうも駄目らしい。ぐぅ、となんとも情けない音が鳴った。

果たし着いて行っていいものか。如何にも怪しい身振りの男だが、それでもライターの礼をしたいと律儀なことを言う。ラーメンか。良いなぁ。新手のナンパかとも思ったが、思考は仕事からラーメンに完全に切り替わってしまっていた。背に腹は変えられない。

「行きます!急いで準備します!」

そう返事をすると、男はよっしゃ!と嬉しそうに歯を見せて笑った。オフィスに戻り、貴重品と煙草を持って裏口を出た時、男は二本目の煙草に私のライターで火をつけたところだった。

この男、真島吾朗というらしい。
簡単にお互いの自己紹介を済ませ、建築会社で働いているという真島さんと並んで神室町を歩く。隣りを歩く真島さんは、歩幅も違うというのに、私の歩く速度に合わせてくれた。見掛けによらず随分と気遣いの出来る男のようだった。

真島さんが案内してくれたラーメン屋、九州一番星はいかにも老舗といった佇まいの店だった。のれんに豚骨拉麺の文字。この時間に豚骨ラーメンとはなんと背徳的なことだろうか。カウンターに並んで座り、真島さんとラーメンを啜る。豚骨ベースの白濁としたスープと硬めな麺が、空になっていた胃を満たしていった。

「名前ちゃんも大変やなぁ。女の子なのにこんな時間までご苦労なこっちゃ」
「とんでもなくブラックだから丁度転職考えてて」
「今のご時世、転職活動も大変やろな」
「そうなんですよ。誰か拾ってくれたら良いんですけど」

私よりも先に食べ終えた真島さんは、カウンターに肘をつきながら煙草を吹かしていた。そんな都合の良い話なんてないですけどね、とぼやいてから、最後の一滴まで残さまいとどんぶりを持ち上げ、ずるずると啜った。良い食べっぷりやなぁ、と笑う真島さんは、その後一瞬何かを考えるように黙ると、

「良い会社知ってるんやけど、興味あらへん?」

そう言ってにやりと笑った。
真島さんの真意を聞くため、空になったどんぶりをカウンターに置く。真島さんというと、カウンターに数枚の紙幣と名刺を残し、煙草を咥えたまま店を後にした。私は真島さんの言葉も意味を聞くことが出来ないまま、店に残されたのだった。

会計も済ませ、会社に戻るべく来た道を歩いていた。そういえば、と渡された名刺を何気なく見る。そこに記載された文字を読んで私は絶叫するのだった。

「真島建設代表取締役社長……真島吾朗?!」



数日後、携帯電話に打ち込んだ番号に掛けるか否かで画面と睨み合っていた。そしてその日から西公園のプレハブ小屋でモニターと睨み合いまで、そう時間は掛からなかった。今日も煙草の吸殻とエナジードリンクの缶が積み上がっていく。

「社長ー!これ納期間に合わないですよ!」
「なんやと!ラーメン奢ったるから名前ちゃん何とかしてや!」






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