吐いちゃった!


ぎりぎりと脳味噌が締め付けられるような痛みで目を覚ました。朧げだった意識がゆっくりと浮上し、見知らぬ天井だったことに気がつくまで、さして時間は掛からなかった。鏡張りの天井に写る私の顔のなんと間抜けなことか。

聞こえてくるシャワー音に混じった誰かの鼻歌。慌ててシーツを捲ると、辛うじて上下の下着は身に付けていた。

果たしてこれがセーフなのかアウトなのか。痛む頭を必死に働かせて、これまでの記憶を遡るが、残念なことにタクシーでサバイバーに向かったところで終わっている。

「というかここラブホだよね…」

キングサイズのベッド、室内に流れる緩やかなBGMと仄暗い照明。まごうことなきラブホテルだ。

この年にもなって、お酒に呑まれた上にホテルに連れ込まれるなんて、なんて情けないことだろうか。きりきりと痛む胃が、昨日のお酒のせいなのか、はたまた今の現状のせいなのかは分からない。

上半身だけを起き上がらせ頭を抱えていると、バスルームからキュッと蛇口が捻る音とタオルが擦れる音が聞こえてきた。私は恐る恐るそちらへ顔を向けた。

「起きたんだ」

バスルームから出てきたのは、腰にバスタオルを巻いただけの趙さんだった。鍛えられた肉体が惜し気もなく晒され、いつもジャラジャラと付けている指輪も今はしておらず、それがさらに生々しく感じた。

趙さんはそのままぺたぺたと足音をさせ、冷蔵庫へ向かった。ペッドボトルを取り出して口に付けると、ごきゅごきゅと喉を鳴らした。私は再び頭を抱える。

最悪だ!
よりにもよって趙さんだったとは!

「大丈夫?頭痛い?」

昨日あんだけ飲んだからねぇ、とけらけらと笑う趙さん。昨日の私を全力で殴りたかった。趙さんはベッドに腰掛け、私の顔を覗き込んだ。黙り込む私を見て心配になったのだろう。いつもはサングラス越しの趙さんの視線と混じり合った。ぎしりと鳴るベッドに、私の心臓がばくばくと鳴り始める。

「本当に大丈夫?顔色悪いよ?」

趙さんの手が私の前髪に触れる。伸びてきた手にびくりと肩を跳ね上げると、趙さんはそうだよねぇと一人納得し、その腕を戻した。

「昨日サバイバーに来てべろんべろんになっちゃってさぁ、帰すに帰せなかったから、取り敢えずホテルに連れてきちゃった」

服はあっちだよぉ、と趙さんが黒い爪先で指を差す。その先には丁寧にスーツ一式とワイシャツが掛けられていた。趙さんを見ると、皺になっちゃうといけないからねぇ、と笑っている。

「何から何まですみません…」
「大丈夫。まだ、何にもしてないから」

きっと私のことだ。趙さんに服を脱がせ、化粧落さずしてそのままベッドに倒れ込んだのだろう。通りで顔がべたべたする気がする。趙さんに迷惑を掛けてしまったことが申し訳ないやら恥ずかしいやらで、顔が熱くなった。

「いやぁ、昨日の名前ちゃんってば凄かったよ。俺に散々愚痴吐いてスッキリしたのかと思えば、春日くんに絡み始めてさぁ」
「本当にすみません…」
「そうしたら名前ちゃんってば、春日くんにいかに俺がかっこいいかとか大好きだとか言い始めちゃって!」
「…はい?」
「それでその後トイレに駆け込んで…」

その瞬間、さっと血の気が引いたのが分かった。今みたいな顔色だったよぉ!と趙さんはにやにやと笑った。

私は趙さんが好きだった。
マフィアで、それも伊勢崎異人町では知らない人はいないであろう横浜流氓の若きトップだった人間だ。そんな人間に恋をしてしまったわけだが、私はその気持ちを伝えるつもりはなかった。優しいとはいえ、そもそも住む世界が違うのだ。紗栄子ちゃんに話をしていただけで私は満足だったというのに。


「…帰ります」

趙さんとはこれっきりにしよう。きっと失望されたに違いない。私の恋はここで終わった。

「名前ちゃん」
「…すみません、介抱してくれてありがとうございました」

着替えようとベッドから立ち上がる。自分の下着姿が、なによりもこんな形で終わることが情けなくて、目の縁から涙が溢れそうになるのを唇を噛み締めぐっと堪える。恥晒しもいいところだ。

一歩踏み出そうとした瞬間、手首を掴まれたかと思うと、そのまま後ろにベッドに投げ出された。一瞬の出来事に目を白黒させていると、

「もう言質取ってるからさ」

趙さんはそう言うと、私の上に覆いかぶさった。顔の横にある二本の腕が、私を逃さまいとしている。二人分の体重を乗せたベッドがぎしりと沈んだ。趙さんの表情は逆光のせいで影になりよく見えない。が、声は心なしか弾んでおり楽しそうに聞こえた。

「それに“まだ”って言ったでしょ?」

趙さんは起き上がり私を解放すると、手を差し出す。その手に自分も手を重ねると、ぐん引き寄せて私を起き上がらせた。言葉の意味を考えあぐねていると、背中をぽんと押され、「取り敢えずシャワー浴びておいでよぉ」と趙さんはいつもの声色で言った。

言われるがまま、ぽてぽてとバスルームに向かい、頭から熱いシャワーを浴びた。趙さんが言った言葉を理解した時、私は人知れずバスルームにしゃがみ込むのだった。

「一体どんな顔で出れば良いの…」





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