杞憂に終わり、新たに発する



 浦風家は少々、いやかなり厳格な家であった。

 浦風家は武家や貴族ではないが、代々続く由緒正しい家柄である。藤内の生まれたその家が本家であることも手伝っているのだろう。彼は幼い頃から厳しく育てられた。彼が学園時代、作法委員会に所属していたのもこの辺りに端を発すると言って良い。
「お前はなかなか出来た人間だな」
 と、当時の作法委員長であった立花仙蔵は言ったという。あまり人を手放しで褒めない彼の言葉に、明日は雨かと当時の体育委員長であった青年が天を仰いだとかなんとか。まあ、それは蛇足である。

 彼が厳しくしつけられたことは、彼の人となりを形成する上でも重要な働きをした。学園を卒業してだいぶ経つというのに未だ治る様子を見せない予習の鬼っぷりは、言うまでもなく彼の両親の教育の賜物である。
 その段になって慌てふためくような見苦しい真似をせぬよう、常に先を見据え、行動せよ。その言葉を過大解釈した結果、予習に励みすぎるほどに励むという行動を生んだ。
 それの良し悪しをあえて論ずるのは乱暴なことではあるが、学園や裏山を破壊され(未遂で済んだ時もあったが)悲鳴と怒号を上げた用具委員会としては、困った癖であると声を大にして言いたいだろう。だが、藤内の予習をきっかけとして彼の伴侶となることが決まった乱太郎にしてみれば、彼の困った予習癖も、まあ……方向性によってはあっても良いのではないかと思っているようだった。


 さて、そんな厳しく育てられた浦風家の青年にはひとつ悩みがあった。他でもない、乱太郎のことである。
 由緒正しいヒラ忍者の家系である猪名寺家、その一人娘である乱太郎は、なんというか、型にはまらないおなごであった。名を体を表すとはよく言ったもので、娘にしては雄々しいその名の通り、彼女はとても娘らしからぬ言動をやってのける。とは言っても、決して、ひととしてやってはならないことをするとか、おなごとしてそれはどうなのかと眉をひそめるような、そんな娘ではない。
 まあ中にはそういう感想を抱く人間もいるのだろうが、彼女のことを悪い意味でとんでもない跳ねっ返りだと言う者はなかった。むしろ、普通の娘の枠からはみ出し気味な彼女を好いている人間は多く、藤内もそのひとりであるわけなのだが。
 彼が心配しているのは、厳格で他人を見る目も厳しい己の親が、乱太郎をどう思うかというその一点であった。勿論、浦風家の嫁として表に出したとしても恥ずかしくない教育を彼女は受けている。これは彼女の母親が胸を張って言ったことだし、学園時代の知り合いも皆揃って似たようなことを言う。藤内自身もそう思う。
 ただ、真面目で融通が利かず、茶目っ気というものを知らなさそうな両親に乱太郎はどう映るのかが分からない。彼らが言うところの「良い娘さん」像と乱太郎は掛け離れているような気がしてならない。藤内は両親に反対されても乱太郎と一緒になる心積もりでいるが、乱太郎は気にするだろう。藤内もできれば双方良い付き合いをしてもらいたいと思っている。それに越したことはないからだ。
 そして、藤内の心配を余所にその日はやってきた。今日は乱太郎を両親と引き合わせる日である。




「…………どういうことだよ」
 思わず漏れた藤内の言葉は、目の前の三人には届かなかった。当然である。三人は再会に喜びの声を上げ、思い出話に花を咲かせているのだから。
 結論から言ってしまえば、乱太郎と藤内の両親は、あっという間に打ち解けた。いや、正確に言うならば、打ち解けていた、が正しい。藤内は全く知らなかったのだが、この三人、以前に会ったことがあると言う。
 藤内はついさっき交わされた対面の場面を思い出した。少々、遠い目で。

「はじめまして、私、猪名寺乱太郎と申します」
 藤内の隣にきちんと座り、丁寧に、たおやかに三つ指ついて乱太郎は頭を下げた。ここまでは上々、さあ事態はどう転ぶかと藤内が背を改めて正したとき、目の前に座っていた藤内の母が小さく声を上げた。あら貴女、どこかで……という言葉に、母の隣で腕を組み乱太郎を見詰めていた父が反応する。そうして父と母は目配せをし合った。
 どうやら父も母と同じく乱太郎に見覚えがあるらしい。予想していなかった状況に、藤内は場を見守るしかなかった。ちらりと確認すると、乱太郎も困ったような、喉の奥に骨が引っ掛かったような、複雑な顔をしている。首を小さく傾げているところを見ると、乱太郎も何かを思い出せそうな気がしているようだった。
「乱太郎……乱太郎……どこかで聞いたお名前……あ!乱ちゃん!?」
「もしかして、乱ちゃんか!?」
「あ……あーっ!あの時の!」
 三人はほぼ同時に声を上げた。驚きにぽかんと呆ける藤内の前で、三人は見る間に顔を輝かせていった。
「わあ…!お二人ともお久しぶりです!お元気そうでなにより!」
「乱ちゃんこそ、まあ、美人さんになって……」
「まさか藤内の言っていた娘さんが乱ちゃんだったとはなあ……ああ、あの時は本当に世話になった。改めて言おう。ありがとう」
「いえ、そんな……私こそすっかりお世話になってしまいましたから」
「いいのよ、そんなことは気にしないで?貴女のおかげで私たちは助かったのだもの」
「そうそう。君は私たちの命の恩人だ。いやあ、乱ちゃんが藤内の嫁になってくれるとは!」
「なんて嬉しいことでしょうか!」
「うふふ、私もとってもとっても嬉しいです!お二人と新しい御縁を結べるなんて、本当に幸せです…!」
「あの!……少しよろしいでしょうか」
 乱ちゃん!乱ちゃん私たちも同じ思いだ!と乱太郎を抱きしめに掛かる両親を止めつつ、藤内は声を上げた。これ以上三人だけで話を進められるわけにはいかない。乱太郎と結婚するのは自分である。当事者の片割れとして、乱太郎の伴侶となる男として、話を聴かなければ。
「なんだ藤内、いたのか」
「最初からいました!父上、母上!どうかご説明ください!何故お二人は乱太郎のことを知っているのですか。あと乱太郎から手を離していただきたい」
「あら、藤内。一丁前に嫉妬しているの?あらあら」
「いつも言っておるだろう藤内。器の小さい男にはなるなと。乱ちゃんに愛想尽かされて捨てられても知らんぞ」
「いえ、ですから……説明もいただけないのでは話についていくことができないと……」
「乱ちゃん、こんな息子だが、よろしく頼む。何かあったら遠慮なく尻を叩いてやってくれ」
「泣かされてしまったらすぐに私たちに言うんですよ。懲らしめてやりますからね」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です!私、藤内さんと一緒なら、どんな苦労も厭いません。何があっても共に乗り越えていきます!」
「ああ……乱ちゃん!」
「乱ちゃん!」
 そして再び、両親が乱太郎を抱きしめる。感動的に見えるその場面の端っこで、藤内はただただ、ぽかんと呆けることしかできなかった。

 こうして、嫁と己の両親が上手くやっていけるかどうかという藤内の心配は完全なる杞憂に終わった。そして、そんな対面からしばらくした佳き日、藤内と乱太郎は無事に夫婦の契りを交わしたのである。乱太郎の両親に負けず劣らずの嬉し泣きに泣く両親を見て、なんだか複雑な気持ちになったが、これ以上なくすんなりと結婚できたのだから良しとしよう、藤内はそう思った。
 彼はこうして日の本一可愛らしい嫁を、最高の形で迎えた。だが、彼には新たな悩みが生まれたのである。
「藤内」
「はい、なんでしょう父上」
「最近どうだ」
「変わりなく。先日もとある城の――」
「仕事の話ではない。乱ちゃんとどうなのだと尋ねておるのだ」
「……ええと」
「良いか、夫婦仲が良いのは非常に喜ばしいことである。だが藤内、こういう言葉もある。仲が良すぎる夫婦は、こどもが遅いと」
「…………」
「あー、早く孫の顔が見たいのう」
 これである。乱太郎と祝言を挙げた次の日から、藤内は両親による「早く孫を抱かせろ」攻勢にさらされていた。嫁にそうした圧力を掛けるのは精神的に良くないと言うが、旦那である自分にそうしたことを言われるのもなかなかに来るものがある。というか、他の誰でもない藤内自身が乱太郎との子を望んでいるというのに。貴方がたに言われなくてもと言いたい。言わなかったが。
 あからさまに吐かれる父のため息と、ちらちらと寄越される母の期待の目に、顔を引きつらせながらも藤内はそれ以上の反抗にはでなかった。厳格な親に育てられた彼は、両親に対する態度もきちんと訓練されていたからである。
 そうして彼は、今日もこう答えるのだ。
「……努力します」
 と。




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 乱ちゃんは多分お使いか何かの途中で藤内の両親と出会い、そこで色々あったのだと思います。
 乱ちゃんの優しさと強さに胸を打たれた両親は、うちの藤内と結婚するならこんな子がいいなーと思っていましたが、そこではそのままお別れしました。そして、あらゆる偶然と運命が働いた結果、乱ちゃんは藤内の嫁になったと、そういうお話です。
 藤内はいいとこで厳しく育てられた子なんじゃないかなという考えから生まれたお話でした。



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