恋人特製恋人泣かせのその料理は



「…………藤内先輩、ひとつ聞いてもいいですか?」
「なんだ」
「あの……これって、お粥……?ですか?」
「それ以外に何がある。どう見たって普通のお粥だろ」
「……ですよねー」





 事の始まりは、乱が濡れねずみになった三日前に遡る。
 それは空のきんと澄み渡る初冬のよくよく冷え込んだ日のことだった。放課後、委員会の集まりに向かうべく渡り廊下を歩いていたところ、いきなり水が降ってきた。ひゃああと驚きに声を上げると、次に降ってきたのは謝罪の言葉だった。ずいぶんと慌てた調子のそれによると、清掃のために汲んできたバケツの水をぶちまけてしまったと言う。
 雑巾洗う前の綺麗な水なので安心してください!バケツ当たらなくって本当によかったです!というよく分からない後輩の慰めに、確かにそうだなあ地獄に仏ってこのことだなあと遠い目をしながら考えた乱は、次の瞬間特大のくしゃみを放ったのである。
 騒ぎを聞き付けた元保健委員長と現保健副委員長が駆け付け、乱太郎は暖かい保健室へと連行された。まったくお前は女の子なんだし委員長になったのだから気をつけろと言いつつもあれこれ世話を焼いてくれる元保健委員長に感謝を述べながら、風邪をひかないといいなあと思っていたのだが。
「さ……さんじゅう、はちど、ななぶ……」
 事件のあった三日後、乱はこれ以上なく見事な風邪をひいたのである。



 悪いことは重なるもので、その日、乱の両親は家にいなかった。しかも帰宅予定は次の日である。つまり乱は自分の面倒を自分で見なければならない。
 体調が万全であれば、料理は嫌いではないし、その他の身の回りのあれこれも苦もなくこなせる。だが、体調が最悪である今、話はそう簡単にはいかない。
 起き上がるのがやっと、廊下を歩くのも階段を下りるのも普段の倍以上の時間がかかる。節々の痛みに耐えながら階下に下り、ぜえぜえと荒い呼吸をしながらも学校に電話を掛けたまではどうにか意識を保っていられた。だが、少し休もうとソファに座ったのがいけなかったのか、ハッと気づいた時には一時間が経っていた。

 これはとってもまずい。このままじゃわたししんじゃう。

 じわじわと浮かんできた涙を拭いながら、乱は手にしていた携帯電話で助けを求めることにした。たすけてください、その八文字を打つのがやっとだった。



 それからのことは、正直、あまり覚えていない。メールを送ってすぐ、隣町の大学の寮から駆け付けてくれた恋人の顔を見て安心し、意識を完全に手放したからだ。伸ばした手に、恋人である藤内の手が触れたのが嬉しかったことはよく覚えている。
 次に気がついたとき、乱は自分の部屋のベッドの上にいた。額には彼が貼ってくれたのだろう、冷却シートが熱を吸い取ろうと働いている。部屋の真ん中にある小さなテーブルの上に、冷却シートのパッケージと薬が顔を覗かせるビニール袋が無造作に置かれていて、部屋の隅には藤内お気に入りの鞄がいかにも放り出したかのようにそこにあった。
 だが、肝心の藤内の姿はどこにもない。先程よりは幾分楽になった体で起き上がっても、結果は同じだった。
「藤内、せんぱい……?」
 再び、じわりじわりと不安が襲ってくる。わたしはこんなに弱い子だったのかしらと、目尻に溜まった涙を拭った。だが、拭っても拭っても涙は溢れてきて、止まってくれない。
「せんぱい……せ、んぱいぃいい……」
 ぐすぐすと鼻を鳴らしていると、突如部屋のドアが開いた。ゆっくりと、音のしないように開けられたそれの向こうから顔を覗かせたのは、藤内だった。
「ああ、乱。起きたのか……ってどうした!?」
「……っく、うぇええ……とうないせんぱい〜……」
 思わず伸ばした両手を、藤内は取ってくれる。そのまま抱きしめられて、優しく背中を叩かれた。
「ああほら、泣くなって!大丈夫だから」
「……う、うう」
「今日は授業もないしバイトもない。そばにいてやるから」
 だから、安心しろ。その揺るがない一言に、乱はこくりと頷いた。見た目よりもしっかりした胸に体を預けながら、ああ、やっぱり藤内先輩はとっても頼りになる、かっこいいひとだなあと思った。



 ――さて、話がここまでなら良い話だったなと筆を置けるのだが、残念ながらこの話には見事なオチがついてくる。

 乱の涙が止まった頃、藤内が言った。お粥を作ったから、食べるかと。乱は答えた。食べますと。
 じゃあ準備してくるからと部屋をあとにした藤内は、しばらくして一人用の土鍋とレンゲ、そして水の入ったコップを盆に乗せ、戻ってきた。
 クッションを背もたれになる位置へ置いてもらった乱は、いそいそと土鍋の蓋を開け、そしてすぐに蓋を閉めた。すぐにである。
「あれー?わたし、熱の出し過ぎでちょっと目をおかしくしたのかなー?それともただの幻かなー?」
「乱?」
「落ち着いて猪名寺乱、お粥が黒いなんてまさかそんなことが有り得るわけないじゃない!さっきのは夢か幻!」
「……乱」
「あっ!そうかわかった!これは斬新なお粥なんだ!だから黒いんだ!なら黒くても不思議はないよね!」
「おい、乱!」
「ごめんなさい!」
 人間、予想を超えた出来事が起こるとパニックを起こすものだが、この時の乱の場合は以上のような発言をした。だがそれも仕方のないことである。お粥は白いものと信じていた乱の前に、真っ黒なお粥(的な何か)が現れたのだから。
「…………藤内先輩、ひとつ聞いてもいいですか?」
「なんだ」
「あの……これって、お粥……?ですか?」
「それ以外に何がある。どう見たって普通のお粥だろ」
「……ですよねー」
 再び蓋を開け、真っ黒なお粥(的な何か)と睨めっこをする。さっきは具合が悪すぎてしんでしまうかと思ったけれど、違う意味で身の危険を感じなくもない。そしてそこでようやく乱は思い出したのだ。藤内が、料理音痴であった、その事実に。

 そう、中学時代からあまりにひどい料理を創造(作るというレベルの話ではない)し続けたため、家庭科教師が泣いて調理実習を拒否し、母親にはその手で死人を出したくなければ台所に絶対立つなと言われ、宿泊学習では友人たちを恐れおののかせたという伝説を、乱の恋人である藤内は持っていたのである。そのため、大学では料理を作らずに済む寮に入り、昼は生協か食堂で済ませるという生活を送っていた。
 時折手料理を差し入れていたのをこの段になってようやく思い出した乱は、熱というものは本当に恐ろしいものだと改めて思った。見た目はアレだがにおいはまだ食べられるもののレベルであるような気がするのは、乱が風邪をひいているからだろうか。
「……無理して、食わなくていい」
 鍋を前に固まる乱を見て、藤内はぼそりそう呟いた。自らの料理の腕前を分かっているのだろう、ベッド横であぐらをかくその姿は、拗ねたような悲しげなような、そんな空気をまとっている。
「見た目はそんなんだけど味は多分大丈夫、だと思うけど……味見もしたし……でも見た目はそんなんだから……」
「……いただきます」
「えっ?あ、おい!」
 盆に乗せられたレンゲを取り、乱は鍋の中で湯気を上げるお粥を掬った。手が若干震えたのは風邪をひいているためである。決して恐怖からではない。
 結局のところ、乱は嬉しかったのだ。料理下手を自覚している恋人が、自分のために頑張ってくれた。そのことが嬉しかった。ちょっとくらい色が黒くても、謎の食感がしても、藤内が自分を思って作ってくれたその事実が、レンゲを口に運ぶことを乱に決心させた。
「…………」
「……だ、大丈夫か……?」
「藤内先輩、ありがとうございます」
「へ?」
「わたしのために、お粥を作ってくれて」
「お、おう!」
「でも今度作るときは絶対に一緒に作りましょうね約束ですよ」
「お……おう……」





 さて、藤内の看病あってか、二日ほどで全快した乱はまた元気に学校へ通えるようになった。

「そんなことがあったんだー」
「浦風先輩、相変わらずなんだな……」
 放課後の保健室、現保健副委員長の伏木蔵と元保健委員長の左近にことの顛末を聞かせると、そんな言葉が返ってきた。伏木蔵はすごいスリルーと楽しげに、左近は思いっきり苦い顔をしている。
「で?ちゃんと食ったのか?」
「はい。味は……まあ、普通だったので」
「その割に笑顔が引きつってるよ?乱ちゃん」
「う」
「なあ、乱」
 伏木蔵に突っ込まれて言葉に詰まった乱に、左近が話し掛けてくる。なんですかと応えれば、左近はこんな提案をした。
「今度お前が風邪をひいたら、俺がお前にお粥を作ってやろうか?」
「結構です!左近先輩が料理上手なのは知ってますけど……藤内先輩が作ってくれますもん!愛情たっぷりなのですーぐ治っちゃうやつを!」
「それは残念。ま、腹を壊して治りを遅くしないようにな」
「もう!そんなこと起こりませんからー!!」
 からかってはいるがどことなく暗い影を背負った左近と頬を膨らませる乱。そんな二人を見守っていた伏木蔵は小さく、乱ちゃんごちそうさま、と呟いた。
(きっとのろけだって気づいてないんだろうなあ)
 なんて、思いながら。


_ _ _ _ _

 藤内は味覚はまともだと思うのですが、料理自体は下手そうだなと。火の加減を間違えたり手順がアレだったり包丁でないもので切ったり……そんなイメージです。
 結婚したら二度と!絶対!台所には立たせない!と乱ちゃんは誓っていそう。

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