史上最強の飯の話



 潮江家の大黒柱である文次郎は、意外や意外、そこそこ料理をする男だった。
 独身であった頃、倹約の名の元にほぼ毎日きっちりと自炊をしていたという経験がある。後輩の豆腐ばかり食っている誰其や、調理で台所を爆破する某に比べれば、かなり料理の出来る方と言えるだろう。(比べる対象が間違っているという声は無視する。)
 だが、食うに困らなければよいという考えだったため、一般的な意味での料理上手かと問われると首を傾げざるを得なかった。そこまで凝った料理はしないし、味付けがどうの隠し味がどうのというこだわりもない。
 食えるだけでもありがたいと思え、味の良し悪しに文句を言うな、常に感謝を忘れず飯を食え。それが彼の言であった。
 独身時代に飯に困り、ご相伴に預かった経験のある後輩は、大変味の薄い料理の数々に文句を言いたくとも言えずにいたという話も付け加えておこうかと思う。同輩ならまだしも、文次郎の飯に文句を言う(ことができる)奴などほとんどいなかったのだ。




「まずい」
「……」
 それはもう、はっきりきっぱりきっちりと。眉間に歳に見合わぬ皴を寄せて、文次郎の息子は言ってのけた。その言葉は本物だと言わんばかりにスプーン片手に親の敵かと言うほど目の前の皿を睨みつけている。そして死より深い静寂の後、しっかりと繰り返した。まずい、と。
 聞き間違いも起こらないその言葉に、文次郎は頬を引き攣らせた。己の作るものが、世間一般からすると美味いとは言い切れぬことは文次郎とて理解している。だが、文次郎の妻であり普段台所に立つところの存在である乱がとある用事で家を留守にしているのだ。文句を言わずに食えと言いたい。
「仕方ないだろう。今日は母さんがいないんだ。それ以外に食うものはないぞ。好き嫌いをするんじゃない」
「ちがう!」
 皿とにらめっこをしたまま固まっていた息子は、文次郎の言葉に顔を上げた。眉間に深々と皴を刻み付けたままである。
「すきとかきらいとか、そんなんじゃない!」
「じゃあどういう問題だ」
 息子の言葉に文次郎の眉間にも皴が寄った。それは誰が見ても「ああこの二人は親子なのだなあ」と言いたくなる光景だったが、当事者である文次郎はそれどころではない。
「すきでもきらいでもない!おいしくないんだ!」
「そんなことは分かっている」
「おいしくないー!まずいー!ぐちゃぐちゃー!」
「文句を言わずにさっさと食え!世界にはその日の飯にも困っている人間がいる、食えるだけでもありがたいと思わないか!飯に豪華さも味の良し悪しも求めるんじゃない!」
「かあさんのごはん、すきなくせに」
 ぼそりと呟いたその一言に、文次郎は狼狽した。図星だったからである。
「かあさんのつくった、じかんたっぷりてまひまかけた、あいじょうたっぷりのごはん、だいすきなくせに。おはなのにんじんもすきなくせに」
「〜〜っ!」
「それなのにそういうこというんだ?」
 じとりと己に良く似た瞳が文次郎に向けられる。まさかこんな切り返しをされるとは思わなかった。だが、ここで引くわけにはいかない。父親の威厳に関わる。
「そ、それはそれ、これはこれだっ!いい加減にしないとこれからお前の飯はずっと豆腐だ!乱にそう言うからな!」
「それはやだ!」
 文次郎の言葉にみるみる顔を青くしていった息子は、慌てて皿を引き寄せ、眉間に皴を寄せながらも食事を再開したのであった。




「……」
「あらあら……」
 その日の夜、出先から戻ってきた乱は文次郎からその一部始終を聞かされることとなった。
 実際に見てはいないけれど、ありありと二人が文次郎の作った飯を巡ってやり合う光景が目に浮かぶ。むすりと口をへの字にしている文次郎に気づかれないよう、乱は小さく笑った。そうして、腕を組みながらベッドの端に座る文次郎の隣へゆくと、小さな頭をその肩へ預けた。
「ずいぶん楽しそうなことがあったんですねえ」
「楽しいわけがあるか」
「私にとっては楽しいですよ?いえ、嬉しい、ですかねえ」
「嬉しい?」
 文次郎の声が不穏に吊り上がる。だが乱はさして気に留めた様子を見せずににこりと上目遣いに笑った。
「だって、あの子が私の料理を褒めてくれたんでしょう?嬉しくないわけがありません!」
「それは……」
「それに、文次郎さんも」
 何事かを言いたげにしている文次郎の言葉をわざと遮って、乱はもうひとつ笑ってみせた。乱の笑顔に弱い文次郎は、ぐうと唸って言葉を譲る。
「言葉に詰まっちゃったってことは、私の作るご飯を気に入ってくれているってことでしょう?」
 食に(違った意味でのこだわりはあるが)それほど頓着しない文次郎さんが、ちょっとでも私の料理を好いてくれていると分かったから嬉しいのだと口にした。すると文次郎はちょっと目を見開いて、それから顔を逸らした。
 その耳が赤いのを乱は見逃さない。けれど、それを指摘するようなことはしなかった。ぼそぼそと、俺が初めて心の底から美味いと思ったのがお前の作った肉じゃがだったとか、俺が唯一食においてこだわるのがお前の飯だとか、そんなことを言うのを聞いていたかったのである。
「つまりは」
 完全にそっぽ向いてしまった文次郎の背中に寄り掛かりながら、乱は幸せそうに笑う。熱い背中が、とても嬉しかった。そして乱は、
「私の作るお料理は最強ってことですね!」
 と、言った。文次郎が降参とばかりに深いため息を吐き、困ったように笑ったのを、多分、彼女は知っている。


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 息子さんが豆腐オンリーの食生活に恐怖を抱いているのは、彼が某豆腐野郎のことを敵視しているからです。しょっちゅう家に来て乱ちゃんを口説くので嫌いらしいよ!
 ところでそんな息子さんは三歳くらいのつもりなんですよ。そろそろ二人目フラグを立ててもいいんじゃないですかね?ねえ旦那さん!




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