ある独り身男の話



 三十を迎えるまで互いに独りだったら、お前を嫁にしてやるよ。そう言ったのは確かに俺で、約束だからね撤回できないからねと意地悪く笑ったのは乱太郎だった。
「三郎次が私をお嫁さんにしてくれるんだー楽しみだなー」
「三十を迎えるまで独りだったらって言っただろう」
 聞いてなかったのか、そう言って俺は熱くなった顔を見られぬようにそっぽを向いた。覗き込む乱太郎の顔から逃げて、意地の悪い笑みが柔らかな笑みに変わったのも、正面から見ることはできなかった。ああ、なんて勿体ないことをしたのだろう。今更、後悔する。
「じゃあ、約束ね。お互いに三十を迎えるまで独り身だったら、私は三郎次のお嫁さんになる」
「……俺は乱太郎の旦那になってやる」
「わ、上から目線だ」
「うるさい!結婚してやるだけありがたいと思えよ!」
「はいはーい」
 結局、俺は乱太郎に対して素直になることはできず、単純明快で真っ直ぐな言葉を伝えることはできなかった。お前のような跳ねっ返りを嫁にしてやる人間はどうせいないのだから、仕方なく俺がもらってやるんだ。そんなことも口にした。素直じゃない三郎次先輩、ありがとう。そう乱太郎が呟いたのにも、気づかぬ振りをした。

 結婚してくれ、今すぐにでも、あの時そう言えていたのなら、運命は何か変わっていたのだろうか。三十を待たずに結婚を申し込む日が、きっと来るはずだと先延ばしにした罰が、あの運命を与えたのだろうか。

 俺が三十を迎える三日目前、乱太郎は死んだ。戦に巻き込まれたわけでも、敵の忍者にやられたわけでも、味方に粛清されたわけでもない。川に落ちそうになったこどもを助けようとして代わりに落ちたらしいと聞いた。
 遺体は上がらなかった。きっと海のカミの元へ召し上げられたんだろう。あいつは愛嬌のあるやつだったから。暗い海の中で、あいつの日向色はとても優しい色に見えるだろう。

 乱太郎が死んで今年で七年になる。俺は未だに独り身でいる。きっとこれからも独りだろう。


_ _ _ _ _

 ありもしないもしもを連ねて、昔ばかり懐かしく思い出す俺はきっと、あの日から抜け出せぬままここにある。
 それがせめてもの手向けだと、思い込む。それは勇気を出せずに肝要な言葉を先延ばしにした後悔であり、死に絶えたお前への、罪悪感に他ならない。


_ _ _ _ _

(そんなこともあったねえ)
(お前も覚えてるのか?)
(うん、なんとなくだけど)
(そっか)
(……ねえ、三郎次)
(言っとくけど謝罪はいらないからな。前世のことなんて謝られても困る)
(……そっか。うん、分かった。やっぱり優しいねえ、三郎次は)
(うるさい!優しくなんかない!)
(はいはい、素直じゃない三郎次先輩。……幸せに、なろうね)
(…………ああ)




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