ハートフルオーバードライブ! 2



 背後に迫る赤い車から発せられる恐ろしいモノはあったものの、文次郎と乱太郎のドライブは概ね順調だった。渋滞や事故に引っ掛かることもなく、会話も弾む。時折落ちる沈黙も、居心地悪いものではなかった。
 乱太郎は車に酔いやすいのだと言っていたので心配していたのだが、今のところ具合が悪そうな様子はない。高速道路から見える景色を嬉しそうに眺め、面白いものを見つけると楽しげにはしゃいだ声を上げる。ほらほら、文次郎先輩!とシャツを引かれるのは少々困ることでもあったが、はしゃぐ乱太郎は可愛かったので複雑であった。

 走る車から見える景色が山ばかりになった頃、不意に視線を感じた。助手席から向けられているそれは勿論乱太郎のものなのだが、ずいぶんと熱心な目だった。じっと見つめられる。直接確認したわけでもないのに、その気配だけで熱心さを感じるのだから、よっぽどのものだ。
 若干の居心地の悪さを感じながら、文次郎はこほんとひとつ咳ばらいをした。
「……乱太郎、俺の顔に何かついているか?」
「へっ?……あっ、ち、違います!」
 慌てたように手を振った(らしい)乱太郎は、一呼吸ののちにこんな爆弾を投下した。それも、かなりとんでもないレベルのものを。



「運転してる文次郎先輩がかっこよかったので、つい……」



 キキーッ!



「ひゃ!」
「!!」
 気づけば文次郎の足はブレーキを踏み抜いていた。慌てて足を離す。落ち着けと言い聞かせながら再びアクセルへ足をやった。
 先程までのスピードを取り戻した車内で、文次郎と乱太郎は同時に安堵の息を漏らした。
「び、びっくりしたぁ……」
「わ、悪い……だがお前もお前だ!」
「へっ?」
「〜〜〜っ!いいから外を見ていろ!酔うぞ!」
「あ、はいっ!」
(びっくりしたのはこっちだ!)
 いまだ爆発しそうに鼓動を打つ心臓を必死に宥め、文次郎は前を睨み付けた。ああもうこの愛らしい生き物はとんでもないことを言ってくれたと、天を仰ぎたい気分だった。
 再び外を眺める乱太郎の頬が赤いことに、彼は気づかない。


「なぁ、今の急ブレーキなんだったんだ?」
 くすぐったいようないたたまれないような空気に支配されるシルバーの車の後方、こちらは伊作の車である。車間距離は取っているものの、文次郎が掛けた急ブレーキの影響はこちらの車にも届いていた。伊作があまり他人に聞かせられないような悪態を吐いたというのは蛇足である。
「大方乱太郎が文次郎を褒めでもしたのだろう」
 ちょっと他人には見せられない形相の伊作を横目に、仙蔵が予想を立てる。恐ろしいほど正確な予想である。
 これに反応したのは後部座席で腕組みをしていた留三郎だった。はっ、と鼻を鳴らし、こんなことを言う。
「それで動揺したってか?どんだけヘタレだよあいつ!」
「文次郎がヘタレなのは今に始まったことじゃないだろ!相変わらずだな!」
 遠慮の欠片もない言い様だったが、その場に文次郎を擁護する人間はいなかった。当たり前である。文次郎を擁護する人間は今、前の車の助手席にいるのだから。
 そして、文次郎を擁護する気のない仙蔵は、やれやれと車窓の外を眺めようかとして異変に気づいた。
「……」
「伊作?」
 ぶつぶつと恨み言を連ねていた伊作が、黙った。
「おい伊作、特大の嫌な予感がするのだが、とりあえず落ち着、」
「……乱ちゃんを乗せていながら急ブレーキを踏むとは……」
「ちょ、ま、」
「許すまじ文次郎ぉおおおお!!」
 仙蔵の嫌な予感はこうして現実のものとなった。
「ええい、またこのパターンか!!」
「なんだなんだ何があったー!?また加速したぞー!?」
「伊作の怒りがまた爆発したのか!!落ち着け伊作ー!!」
「ぎいやぁああああああ!!」
 そして先程と同じように、長次は静かに十字を切ったのである。


 それから三十分ほどドライブ(と呼ぶには背後の赤い車は恐ろしすぎた)をし、シルバーの車(と、もちろん赤い車)はとあるサービスエリアへと入った。出掛けるのに最高の日和であったのに加え、休日であることも手伝い、サービスエリアはなかなかに混雑している。駐車スペースを探していると、ちょうどよく車が走り去ったので、文次郎はそこへ己の車を滑り込ませた。
 ハンドブレーキを引き、車のエンジンを止める。乱太郎がシートベルトを外している間に文次郎はきょろりと外へ視線を巡らせた。親子連れや友人同士とおぼしき集まり、バスツアーの団体客や長距離トラックの運転手たちが外を行く。行き来の激しい駐車スペースにも目をやった。近くにあの赤い車はいないようだ。
 自然と安堵のため息が零れる。とりあえず降りた瞬間に鉢合わせることは避けられそうだ。
「文次郎先輩?行かないんですか?」
 小首を傾げて乱太郎が声を掛けてくる。
「景色、とってもよさそうですよ!」
 彼女が笑顔で指す先からは、どうやら湖が見えるらしい。遠目に見える看板には有名な湖の名前が見て取れた。このサービスエリアの名物になっているのだろう、乱太郎が指す辺りには多くの人がいるようだった。
 早く行きましょうとはしゃぐ乱太郎に、文次郎は笑顔を返し、ドアへと手を掛けた。


「わぁー!」
「これは……見事だな」
 開けた視界の先に目を落とす。そこにはきらきらと水面を輝かせる湖があった。全国的にも名高い湖であり、水量はどうの周りの県の水源でありどういった云われがあるだのと近くの看板にはあったが、目に飛び込んでくる景色だけで十分その素晴らしさは分かった。
 周りを低い山々と人々の生活の場に囲まれた水瓶。ああ、美しいなと文次郎は素直に感じた。腐れ縁の奴らに知られたら爆笑されからかわれそうだが、彼らは今ここにはいない。それでもなんとなく気恥ずかしくて、できるだけ小さな声で綺麗だと呟けば、隣にいた乱太郎がにこりと笑った。
「本当に!綺麗ですねえ……」
 そう言って乱太郎は再び湖へと目をやった。手摺りに両手をちょこんと乗せて、吹き渡る風にワンピースの裾を揺らして、そうして水上の輝きにも負けぬ煌めきを瞳に宿して。
「……綺麗だな」
「はい!すっごく綺麗です!」
 海もいいけれど湖もいいですねえなんて乱太郎が言うので、今のはお前のことを言ったんだとここで伝えたら、この娘はどんな顔をするだろうかと、文次郎は苦笑いを浮かべた。きっと乱太郎のことだから、こちらが予想だにしなかった言葉を返してくるに違いない。そうしたら、俺はそういう目で見られていないってことだよなと、ため息が出た。
「どうしました?」
「いや、あまりに見事な景色だからな。……思わず感嘆のため息が出ただけだ」
「ああ、よく分かりますその気持ち!」
 いやいや、お前はきっと分かってねえよ、とは言えなかった。



「あれ?」
 しばらく景色を堪能し、そろそろ移動するかという話になった時、唐突に乱太郎が声を上げた。足をぴたりと止めて、売店の方へ視線を注いでいる。
「どうした?」
「今、知ってる人たちを見たような……」
 首をちょこんと傾げて不思議そうな顔をしている乱太郎とは対照的に、文次郎は嫌な予感を感じていた。当然、表情も渋くなる。
「……気のせいじゃないのか」
「いえ、あんなに目立つ人たちをさすがに見間違えたりはしないと思うんですが……あー!!」
 乱太郎の顔がぱっと輝く。文次郎はそれですべてを悟った。ふたりきりのドライブも、きっとここで終わりだろう。ほぼ確実に来るであろう騒がしい未来に、ため息が漏れた。


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 つづく!




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