春と旗
「藤内くん、ほら!早く早く!」
「わ、ちょ…っ!待ってください乱太郎先輩!」
藤内の手を取り嬉しそうに駆け出す乱太郎と困惑した様子を見せつつもどこか楽しそうな藤内を見送る。満開の桜の木の下へ走り去った二人は、寄り添い合って桜を見上げているようだった。乱太郎が藤内の腕に纏い付いているだけにも見えたが、藤内からも身体を近付けているのは確認するまでもない。
きゃあきゃあと遠くから届く乱太郎のはしゃぎ声から、二人で花見を楽しんでいるのが遠目にも分かった。いや、「二人で花を見る」ことを楽しんでいるだけなのかもしれない。というかむしろ愛でる物は花でなくとも構わないし、何をするもしないも関係ないのだろう。恋人というのはそういうもんである。
春の陽気も当てられるに違いない相変わらずのいちゃつきっぷりに、いつまで経ってもラブラブだなと作兵衛はため息を吐いた。
藤内と乱太郎は高校の頃から数えて、既に五年は付き合いが続いていることになるのだが、一向に愛が冷める様子が見られない。むしろ年を経れば経るほどにいちゃつきっぷりがひど…もとい、大きくなって行く気さえする。
気付いた時には視界から二人の姿は消えていた。春色のワンピースを着た乱太郎も、空色のシャツを着た藤内も、桜色で溢れる景色の中に見失う。もう一度、大きくため息を吐いた。藤内の奴、いつの間に乱太郎先輩を連れ去ったんだ。乱太郎先輩に手を引かれて焦ってたくせに抜け目のない奴、と青いビニールシートに寝転ぶ。
花見会が始まるのは一時間後と決められている。藤内と場所取りなんか引き受けるんじゃなかったふて寝してやると目を閉じた瞬間、視界に影が射した。
「おーい、来たぞ」
「おー、孫兵」
「久しぶりだな。ん?作兵衛だけか?」
がさがさとビニール袋の音をさせて視界に入ってきたのは高校時代の友人だった。どこか精悍さを増した横顔を見上げつつ、身を起こす。
「他の奴らは?」
「数馬はあと三十分もすりゃあ来る。不運に巻き込まれなきゃ、の話だけどな。三之助と左門もその辺りの時間に来るっつってたけどよ、あの二人に関しては一時間、いや二時間は見とくべきだな」
「相変わらずの方向音痴か…藤内は?」
「あの抜け目ねぇ予習バカはバカップル中だ」
「…ああ、成る程」
作兵衛の説明に思いっきり苦く笑った孫兵は、すべてを理解したらしい。靴を脱ぎそれをきちんと揃えると作兵衛の真向かいに腰を下ろした。
「藤内も相変わらずか」
「大学生になったらちったあ落ち着くかと思ったけどな」
「乱太郎先輩と話したくて早めに来たんだけどなぁ」
「花見始まるまでは無理だな。それまでは藤内の奴、先輩を独占する気だろうよ」
相変わらずだなぁと苦笑する孫兵に肩をすくませて同意を示す。ふて寝に向かうはずだった不満を吐き出そうと作兵衛は眉間に皺を寄せた。
「大体、あいつはずりぃんだ。俺たちが数馬のそれはもう恐ろしい般若のスタンドと睨み合ってるうちにあっさり乱太郎先輩と恋人になっちまったんだから」
「あー…うん。確かに」
「あいつが抜け駆けしなきゃ、今乱太郎先輩の隣にいたのは俺だったかもしれねぇっつぅのによ」
「いや、それはないだろ」
「…喧嘩売ってんのか」
「いやいや、そうじゃない。多分…藤内以外の誰にも無理だと僕が思ってるだけの話だ」
孫兵はがさがさとビニール袋を漁って、缶ビールを二本取り出す。そのうちの一本を作兵衛に投げて寄越すと、こう言った。
「ライバル蹴落とすことと相手を牽制することしか考えてなかった僕たちは、乱太郎先輩としっかり向かい合った藤内には勝てないだろう、って」
「…乱太郎先輩とのフラグを立つのをただ待ってただけっつぅのは同意する」
「そう。フラグは立つものじゃない。立てに行くものだ」
確かにそうかもしれねぇなぁと缶を空けながら、思う。努力した奴が報われるのは当たり前のことだ。藤内は頑張ったってことだよなぁすげぇよなぁと、藤内を見直しかけた作兵衛は慌てて首を振った。何を言っても藤内が乱太郎先輩を連れ去ったにっくき恋敵であることに、変わりはない。
悔しいもんは悔しいのだと一気に煽ったビールはひどく苦く感じた。
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