鬼さん、こちら



 それを合図に、すべては始まる。


 猛烈に嫌な予感がする。廊下を進んでいた乱太郎は思わず頬を引きつらせた。
 外れてほしいと思うのだけれど、この嫌な予感というやつは乱太郎がどんなに願おうと、手を合わせても、土下座をしようともにっこり笑って却下を申し立てるやつで、何度もぴたりと当たってきた。対象こそ違えど、一年生の頃から乱太郎をからかってきたこの「嫌な予感」は、ほぼ十割の確率で当たってくださる。まったくありがたくない的中率である。
 足を止めてくるりと振り返って逃げ帰ってしまいたいが、この先にある資料室に用事がるので、そうもいかない。命に関わるようなものではないから、言い訳も立たない。
 今日の嫌な予感も、この頃自分を悩ませる彼と、彼の行動を予感してのもののような気がするから、前方に注意を払っておこう、心の準備をすることができるのは「嫌な予感」に感謝しても良いところかな、などとひとつ乾いた笑みを浮かべると、乱太郎は前方に目を走らせた。

 乱太郎以外に道ゆく人間のいない廊下に、今のところ、おかしい点はない。遠くから聞こえてくる爆発音や悲鳴、蝉の声や風の匂いだけが乱太郎を世界にひとりと思わせぬ要素になっている。
 この場で誰の姿も、気配も感じられないことに、ほっ、と安堵しそうになった乱太郎は飛び出しかけた息を飲み込んだ。目的地に到達するまでには四つほど曲がり角を折れなければならないから、そのうちのいずれかで仕掛けられるに違いない。ここで安心していては確実に足を掬われる。
 よし、どんと来い!きりりと眉をまっすぐに描き直した乱太郎は、不意にぴたりと足を止めた。「それ」を俄かに感じ取ったのだ。
 まさか、という言葉が頭の中を埋め尽くし、決意も心の準備も霧散して、頭の中が真っ白になる。無い、と思っていた気配が、すとん、と降りてきた。それも、よりによって乱太郎の、背後に。

「あ、乱太郎見つけた」
「や…やっほー三治郎、今日は後ろから来たんだね」
「うん。いつも前からじゃつまらないでしょう?たまには趣向を変えて、みたいな」

 変えてくれなくて良かったんだけどね!盛大に驚愕している心の中で叫びながら乱太郎は一歩こちらに近付いた三治郎に合わせ、一歩前へ出た。すると、一瞬の間の後に三治郎は今度は二歩、こちらへ足を進める。同じように乱太郎も足を進める。静寂。
 後ろで楽しそうに笑う気配を纏いながら三治郎は、優しく絡め取るような口調で宣言する。

「今日こそ捕まえるからね」
「ねえ、三治郎…話したいことがあるなら、私普通に聞くよ?なんで全力で追いかけっこして捕まえたら話すなんて、そんな回りくどいこと…」
「これは、僕の男としてのプライドだから、ね。乱太郎に勝てるくらいの男じゃないと、乱太郎も安心して僕に抱かれること、できないでしょう」
「そんなことないんだけどね…」
「それに、」

 床板が微かに軋む音と共に、場の空気が色を変えた。暢気な日向色から、迫りくる青へ。変貌する彼の雰囲気は追い落とす者のそれであり、じり、と機会を窺う乱太郎を確実に捕らえようとしているのが分かる。

「必死で逃げる乱太郎、可愛いんだもん!」
「なんか捻じ曲がった愛を感じる!そしてそれはあんまり嬉しくない!」

 緊張に高ぶる語末を合図に、二人は駆け出した。廊下から外へ出、敷地内に広がる木々の中へと乱太郎は三治郎を誘い込む。学年で、いや、学園で一、二を争う足の速さを得た三治郎は、そう簡単に振り切られてはくれないだろうが、乱太郎とて伊達に忍術学園一と謳われているわけではない。
 葉と葉が作り出すモザイク模様の中を駆けながら、乱太郎はひとり思う。

(本当は、分かってるんだ。私が振り返って、三治郎を抱きとめてしまえばそれで終わるって。このやたら疲れる追いかけっこは、そこで終わる)

(でも)

(それは、私のプライドが許さない。三治郎が男のプライドがどうのこうの言うのと同じ。勝負を挑まれたから、負けたくない)

(先に惚れた時点で私は三治郎に負けてしまっているから、そう易々負けるわけには)

 なんて、自分が三治郎に対して抱く思いも十分に捻くれてるのかもなあ、ため息をひとつ零した乱太郎は、さて今日はどう逃げようかと思案を始めた。


_ _ _ _ _

 なんだかんだで心と心はラブラブな三治郎と乱太郎。さて、なんだかんだで追いかけっこを楽しんでそうな三治郎が乱太郎を捕まえるのはいつのことやら。

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