明示と暗示
「回りくどい言い方って、好きじゃないんだ」
ぽつり、夏特有の静寂の中に落とされた言葉に、兵太夫は顔を上げた。
夏が生み出す濃い光と影の境界線に投げ出された白い足を上下にぱたぱた振りながら、乱太郎は膝の辺りに目をやっている。その殆ど無表情に近い横顔から乱太郎の考えを読み取るのは至難の技で、兵太夫は仕方なしに、どういうことかと問いを投げた。
「うん…あのね…」
問いを受けた乱太郎は間を置かず、しかし視線は膝辺りにやったまま、小さく頷いた。しかし、その先に続く言葉が音となって鮮やかな色をした唇から出てくるまでには蝉の声を何度か聞かねばならなかった。
ぱたり、乱太郎の右足からサンダルが零れ落ちる。
「私は馬鹿だからはっきり真っ直ぐ言ってもらえないと分からないんだよ」
ことん、と日向に投げ出されたピンク色のサンダルは横転して、止まった。まるで斜に構えているような態度だと思う兵太夫の横で、あーあと少し慌てたような声を上げた乱太郎はサンダルを掬い上げる。白い足に相応しい華奢な造りが、色の濃い日向でぴかぴかと光った。
乱太郎は手にしたそれを再び履くことはせず、左足に引っ掛かっていたもう片方も脱いで影の中へ並べた。そうしてまた、ぽつりと微かな声を上げる。
「あんまり難しい言い方されると、理解できるまで時間掛かるし…それでこの前三郎次に馬鹿にされたし」
「…どういうこと?」
「ちょっと、ね。勉強教えてもらったんだけど」
乱太郎はそれ以上を笑って誤魔化して語ることはしなかったが、またあの人は余計なことを言ったのだということは十分に理解できた。更にはきっと。あの人らしい難しい言い方と、素直でない言い方で。
思い出して少し苛立っているのか、軽く眉根を寄せている乱太郎を見て、兵太夫は不器用な人間は損をするんだなと思った。自分がそこまで器用な人間かどうかは、分からないけれど。
(池田先輩、あなただって乱太郎を好きだったくせに)
言えなかったあなたの気持ちは届かなかった。ああなんて良い気味だ、ざまをみろ、なんて、暗い感情を押し隠しながら、兵太夫は乱太郎の頭に手を伸ばした。
何度か撫でてやると、始めは緊張していた乱太郎の身体が日だまりで夢うつつに遊ぶ猫のように柔らかくなる。そんな安心しきった乱太郎の姿を知っているのは、きっと自分だけだという仄暗い独占欲の中で、突然、乱太郎が顔を上げた。
そして、兵太夫の目を、ひたりと射た。
「暗示より、明示で。はっきり言ってもらえないと、ごめんね、私は気付けないんだ。だから…」
「うん、分かってる」
分かってる。だから兵太夫は喩えも、敷衍も使わずに伝える。真っ直ぐ響く言葉だけを、心から搾り出した思いのままに、言葉にする。
「愛してるよ」
「…うん、私も…」
光と影のコントラストが描き出す境界線で、乱太郎はどこか曖昧に、笑っていた。
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本当は乱ちゃんは、兵太夫に心の内に抱えているものを、明示してほしいと言いたかったというお話です。気付いていないのは、どちらも同じ。
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