きみは変わらない笑顔で



 大学の春休みは長い。後期の授業は二月の頭に終わってしまうし、入学式は四月だから、丸々二ヶ月休みになる。
 でも何かと忙しい大学生の長期休業は、再試やサークル活動で埋まっていく。更にそこにバイトが入ったり就職活動が入ったりする学生もいるんだけど、まあ、医学部の僕にはあまり関係なくて、そのかわり実習で二月が終わってしまった。
 そのレポートや課題をこなしていくうちに、気付けば春の足音が身元でするくらい周りが華やかな季節に染まり始めていた。


 僕が実家に帰省したのは三月も半ばを過ぎた頃だった。
 山のようにあったレポートや課題がひと段落ついて実家でのんびりしたいと思っていたし、乱ちゃんのお母さんと交わした約束もあったし、もうひとつ、気になることもあったから、僕は可及的速やかにアパートを飛び出した
 気になっていたこと、それは、春休みに入ったと同時に帰省した仙蔵と、二月の終わりに帰省した長次の存在だった。それで良いのか大学生と言いたくなるほど頻繁に乱ちゃんの家へ遊びに行く二人が、いや、特に仙蔵があることないこと乱ちゃんに吹き込むんじゃないかと心配だったんだ。
 できることならもっと早くに帰ってきたかったけれど、実習だったのだから仕方ない。気を抜くとスピードがとんでもないことになりそうなアクセルワークをなんとか宥めながら、約束を果たしに、腐れ縁に余計なことをさせないために、そして何よりも乱ちゃんに会うために、僕は車を走らせた。




 そして次の日、というか今この瞬間、僕はお隣さんである乱ちゃんの家の前にいる。
 帰省する前の日におばさん、つまり乱ちゃんのお母さんに連絡を入れたところ、「じゃあ明後日からお願いしたいんだけど、良いかしら?」というメールが返ってきた。正直に言うと、心の準備をしたいから一日か二日待ってもらえたらと思うところもあったんだけど、乱ちゃんと会えるのは正月以来のことだったから、そちらの気持ちが競り勝って、結局僕は了承のメールを送った。

 立派な門の前で、僕は乱ちゃんの部屋がある二階の隅の部屋をちらりと見上げた。ベイビーブルーのカーテンが微かに見えるその部屋には、今まで何度もお邪魔したことがあるんだけど、うん、なんというか、ものすごく緊張する。
 やましいことは何ひとつ(とはまあ断言できないけれど…)ないし、初めてお邪魔するわけでもないんだからそんな緊張することなんてないはずなのに、あの部屋に乱ちゃんがいるんだよなあとか、あの部屋で二人っきりになるんだよなあとか考えただけで心臓がどうにかなってしまいそうだ。
 耳まで響く心臓の音を深呼吸で誤魔化しながら、僕は一歩を踏み出した。




「伊作くん久しぶりね!さあ、上がってちょうだい」
「お、お邪魔します」

 玄関で僕を出迎えてくれたのは乱ちゃんのお母さんだった。前回お邪魔したときには本当に挨拶しかできなかったから、今回は二言三言と言葉を接いでいく。といっても、月に何度かメールでやり取りしているから目新しい話題もないんだけど。
 五分ほどすると、それじゃあお願いねとおばさんはにっこり笑って台所の方へ去っていった。その後姿を見送ってから、僕は二階へ続く階段へ目を移した。

 一段一段を踏みしめるように階段を登る。言うまでもなく心臓は爆発寸前で、耳にまで響いてくる。階段をなんとか全部上がり終えた僕は、踊り場でひとつ深呼吸をすると、乱ちゃんの部屋へ足を向けた。
 白いレースのカーテンから降り注ぐ春の日差しに、その扉は眩しく照らし出されている。木目の優しいキャラメル色のドアには、彼女が中学生の頃に作ったプレートが掛けられていて、ここが乱ちゃんの部屋だと一目で分かるようになっている。
 僕はもう一度、もう一度深く深呼吸をした。乱ちゃんのことが好きだと、恋愛の意味で好きだと気付いてから初めて直接会うんだ。
 緊張しませんように。ちゃんと勉強を教えられますように。挙動不審になって「今日の伊作お兄ちゃん、変」とか思われませんように。
 ぐるぐると色んなことを考えながら、僕は部屋のドアをノックした。

「はーい」
「いっ…伊作でーす、こんにちはー」

 しまったぁあああ!噛んだぁあああ!
 焦っている僕を余所に、部屋の中からはとたとたとこちらに近付いてくる足音が響いてきた。
 待っ、ちょっ、ちょっと待って、心の準備が…!わ、開く、ドアが、ドアが開いちゃ…

 そして、扉が開かれた。

「伊作お兄ちゃん、こんにちは!」
「こんにちは、乱ちゃん…」
「今日はよろしくお願いします」

 扉の向こうで、彼女はふわりと微笑んでいた。丁寧にお辞儀までしてくれて、きちんとお願いします、と言ってくれた彼女に、僕は何故か、気持ちが落ち着くのを感じたんだ。相変わらず心臓の音はうるさいし、上手く言葉が出てこなくてパニックでもあったんだけど、なんていうんだろう…ああ、乱ちゃんだ、やっぱり可愛いなあ、やっぱりすごく好きだなあ、とか、そんなことを思ったんだ。

 いつの間にか、乱ちゃんにつられて笑っていることに気が付いた。
 そういえば、昔、僕が高校受験の前日に緊張して軽くパニックになってしまったときも、乱ちゃんに大丈夫だよと笑顔付きで言ってもらえて、気持ちが軽くなったことを思い出す。
 すごいでしょう、乱ちゃんの笑顔にはそういう力があるんだ。本人はそのことに全く気付いていないみたいだけど、いつだって夏のひまわりみたいに満開の笑顔で接してくれる乱ちゃんを、僕は尊敬してる。

「よし、じゃあ、何からやろうか。数学?英語?」
「今日は数学でお願いしまあす、伊作先生!」
「了解!」

 落ち着きを取り戻した僕の言葉に元気良く手を挙げて言ってくれた乱ちゃんとの一時間半が、始まろうとしていた。


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 いよいよお勉強開始です。続きます。

 お題:確かに恋だった


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