念押しはランチタイムの後で



 新緑眩しい五月のある日、こちらは大川学園高等部1年3組の教室である。
 昼休みも半ばを過ぎ、昼食を取り終えた生徒たちの姿も多い。友人とお喋りを楽しんだり、騒いだり、教室を飛び出していく者もいる。
 はたはたと春の風に揺れるカーテンの向こうも、廊下も、学校全体が沸き立つそんな時間だ。


 昼休みの学校特有のざわめきの中で、ひとり机に向かって教科書を開いている生徒がいた。彼の名前は浦風藤内という。藤内はノートに筆箱、問題集といった勉強用具一式を机に並べ、真剣な面持ちで教科書の文字を追っている。周りでクラスメートたちが騒いでいても気にせず、次の時間の予習に余念がない。
 そう言うと、友達のいないガリ勉の寂しい奴に思われるかもしれないが、単に彼は予習復習に真面目に取り組む努力家なだけであった。クラスメートに話し掛けられればそちらに集中するし、友人と馬鹿なやり取りをしたりもする。少し真面目すぎるきらいはあるがごく普通の高校生だ。

 数学の教科書に目を走らせていた藤内は、自分の席に近付いてくる誰かの気配を感じ取った。ああ、このせかせかした足音はもしかして、と思い顔を上げると、そこには予想していた通りの顔があった。

「よお、藤内!こんなところで会うとは奇遇だなっ!」
「無駄だとは思うけど一応言っておく。あのな、ここは1年3組の教室だ。奇遇も何もないだろ、左門…」

 窓際一番後ろの藤内の席、その前で仁王立ちをして藤内に絡んでいったのは隣のクラスの友人、神崎左門であった。彼の登場に予習を諦めた藤内は、さっさと教科書を閉じ、ノートや問題集と一緒に揃えて机の上に置いた。
 いそいそと藤内の前の席に座った左門に、で?今日はどこに行くつもりで迷ったんだと問い掛けると、左門はむっと眉間に皺を寄せる。

「俺は迷ってなどいない!乱太郎先輩の方が迷っているんだ!」
「迷ってる奴ほどそう言うんだよな…いい加減にしてくれ…って、お前また乱太郎先輩に付き纏おうとしてるのか!」
「付き纏っているわけじゃない!追い掛けてるんだ!」
「変わらねーよ!ああもうお前そんなだから数馬や川西先輩に睨まれるんだよ!とばっちりで俺や作兵衛、孫兵も睨まれるんだぞ!」

 左門のさりげないストーカー発言に、藤内は思わず頭を抱えた。
 まあ、どこぞの中等部二年の阿呆二人とは違って、左門は乱太郎先輩を追い回したくてもあらぬ方向にすっ飛んでいくので彼女に実害はない。
 しかし、決断力バカと呼ばれる彼は何かあるごとに乱太郎先輩が好きだちょっと今から告白してくるなんだかんだと叫ぶので、要注意人物としてマークされているのである。そう、彼女が所属する3年3組の先輩方や、保健委員会の面々に。
 左門が睨まれるだけなら良いが、友人というただそれだけで藤内や、左門に苦労させられている伊賀崎孫兵、富松作兵衛といった腐れ縁も被害を被っている。自分たちは何もしていないのに何故乱太郎先輩とお近づきになる機会をことごとく潰されねばならないのかと憤慨しているのだが。

 そんな原因(その一)である左門は知るか!と堂々言ってのける。
 好きな人に会いたくて走り回ることの何が悪い!と主張し始めた左門に、ああ俺なんでこんなのと腐れ縁やってるんだろうと藤内が泣きたくなったとき、おーい藤内とのんびりした声が掛けられた。

「げ、三之助」
「げ、ってなんだよ、失礼だな」

 1年3組の教室に現れたのは、左門と同じクラスであり、腐れ縁でもある次屋三之助であった。
 三日ほど前、三之助のとある発言がきっかけでとばっちりを受けて数馬に痛い目に会わされた藤内は思いきり嫌な顔をする。
 ちなみに説明するまでもないが、次屋三之助は、藤内や作兵衛、孫兵が受けるとばっちりの原因を作り出す輩その二である。
 自分の無自覚が周りを不幸にすると気付いていないらしい三之助は、藤内の嫌な顔に物おじすることもなく、藤内の隣の席にさっさと座った。話し込むつもりなのだろうか、この二人の相手とか正直したくない藤内であったが、三之助はお構い無しに左門と会話を始めてしまう。

「左門、お前美術室に行くって言ってなかったか?なんでこんなとこに」
「お前こそ図書館に行くと言っていただろう」
「そのはずだったんだけど、図書館に逃げられた」
「あ、同じだ。俺も美術室が来いと言いたい」
「分かる分かる」
「あのなあ…」

 流してしまおうかとも思ったが、とんでも発言をする二人に藤内はどうしても突っ込みを入れてしまう。その辺りに律儀というか真面目というか、そんな藤内の性格が現れている。

「普通に考えて図書館も美術室も逃げたり隠れたりするもんじゃないだろ?」
「いやそれは分からんぞ!もしかしたら図書館も美術室も足があって歩けるかもしれないだろう!有り得ないということは有り得ない!」
「そうそう、常識に捕われてたら良い哲学者にはなれないぞ、藤内」

 いやそれは哲学というより詭弁じゃないのかと、頭や体を休ませるための休み時間だというのに逆に疲弊しきっている藤内の耳に、天の助けとも言える(かもしれない)声が聞こえてきた。

「てめえら!こんなとこにいやがったのか!」
「やっと、やっと見つけたぞ!」
「あ、作兵衛に孫兵」
「どうした?」

 どたどたと1年3組に入ってきたのは、1年2組の富松作兵衛と1年1組の伊賀崎孫兵であった。教室内に響き渡る大声とただ事ではない様子に一瞬だけ教室がざわめくが、クラスメートたちはすぐにそれぞれのしていたことに戻っていく。ああまたかと言いたげな雰囲気がそこにはあった。
 まあ、三日に一度の割合で迷子がどうしたなんだかんだがあれば嫌でも慣れるだろう。しかも初等部中等部の頃からなら、なおさら。
 そんな中で、いつものこととは言え、いやいつものことだからこそ迷子二人を許せない作兵衛と孫兵は、のんびり声を掛けてきた二人に眉を吊り上げた。

「どうした、じゃないだろう!」
「昼休み始まった瞬間に止める間もなくすっ飛んで行きやがって!俺達おめえらのせいで昼メシまだなんだぞ!」

 放っておいたら何をしでかすか分からない迷惑迷子コンビを捕まえるため、三限目が終わった直後から駆けずり回っていたのは本当のようだ。
 孫兵は普段はきちっと着込んだ制服が乱れ、作兵衛も自慢の前髪がしっちゃかめっちゃかという酷い状態だった。ただ、二人とも手に弁当と購買のパンを持っていたのはさすがと言うかなんというか。
 眉を吊り上げる二人は普通の人間からすると随分恐ろしい顔になっているのだが、悲しいことに迷子コンビの二人には通用しなかった。藤内に至ってはむしろ哀れみの顔である。

「まだまだだな!そこはお前ら走りながら食えるくらいにならないと!」
「弁当食いながら走れるか!」
「じゃあ道行く人に分けてもらうとか。あー福富先輩からもらったお菓子美味かったなーなんか調理実習がなんたらって言ってたけど」

 殴りたくなるくらい幸せそうな顔をした三之助の台詞に、左門はあーっ!とけったいな声を出した。

「三之助お前それ、あれだぞ!」
「どれだ左門」
「多分、乱太郎先輩が作ったやつだ!男子は調理実習ないからな!」
「あ、そうか。じゃあお礼しに行ってこないとだな、ちょっと行ってく」
「俺も一緒に行っ」
「行かせるか阿呆!」
「そうだ!乱太郎先輩に迷惑かけようったってそうはいかねえ!それに俺達の貴重な昼休みをこれ以上潰されてたまるかってんだ!」

 これ以上走らされてたまるかと孫兵と作兵衛は椅子から立ち上がった左門と三之助の首ねっこを捕らえた。そして二人を椅子に座らせると、孫兵は藤内の斜め前の席に、作兵衛は藤内と三之助が座る席の後ろに放置されていたパイプ椅子に腰を落ち着ける。
 そうしてようやく昼食にありつけることになった孫兵と作兵衛が合掌し、仕方ないから放課後になったらすぐ乱太郎先輩のところへ行こうと左門と三之助が計画を練り始め、藤内が胃に差し込みを感じたその時、からりと教室のドアが開いた。
 しかしそれぞれのことに夢中だった五人はそれに気付かず、窓際で騒ぐだけ。そこに「あのひと」が来ていることにも気付かず、ただ、いつもの昼休みの中へと埋没していくだけ。





 昼休みの喧騒の中、1年3組のドアを開けたのは、このクラスに所属する三反田数馬という生徒であった。彼は自分の席がある窓際の後方に目をやると、思わず深いため息をひとつ。

「またあの四人か…」

 クラスが違うのにどうして奴らはここにいるんだろう、大方また左門と三之助が迷子になって何故かこの教室にたどり着いて、二人を探していた孫兵と作兵衛も二人のせいで摂れていなかった昼食をここで摂っているってところか。
 至極正確に状況を把握し(てしまっ)た数馬に、その傍らにいた生徒が声を掛けた。

「どうしたの?数馬、ため息なんてついて」
「いえ、なんでもありません」
「そう?…じゃあ、また放課後にね!あ、迎えに来た方が良いかなあ、この前みたいに穴に落ちたりするかもしれないし…」
「いえ、先輩が穴に落ちる可能性の方が高いので僕がお迎えに上がりますよ」
「もー!数馬の意地悪!最近左近に似てきてー!そんな数馬にはこうだー」
「冗談、冗談ですって!ごめんなさい!くすぐったいです!」
「ふふ、じゃあまた後でね。次実験だからそろそろ行かなきゃ」
「はい」
「じゃあねー」

 ひらひらと手を振りながら化学室へと去っていく後ろ姿を見送り、ひとつ幸せそうに微笑んだ数馬は、さて、と思う。

「次は数学か」

 今日は出席番号順では当たらないだろうけれど、なんとなく嫌な予感がするので応用問題のあれとそれを確認しておこう。あっちの問題はちょっと自信がないから、ちょうど良い、頭の良い孫兵か、数学だけはずば抜けている左門か、理数系に強い作兵衛に聞こう。三之助は数学が苦手だけど藤内もいるからなんとかなるだろう。
 手にした小さな包みを空の弁当箱が入っている袋に隠して、数馬は騒がしい集団へと近付いていく。
 とりあえず、次に乱太郎先輩に迷惑かけたら覚悟しろよと釘を刺すのを忘れないようにしよう、そんなことを考えながら。

 昼休みが終わるまであと、15分。


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 アイラのよひらさんに捧げます、にょ乱ちゃんで年齢逆転、三年生のお話でした!
 よひらさんがとってもテンションの上がる年齢逆転にょ乱ちゃんと五年生のお話を書いて下さったので、そのお礼にと思いまして書かせていただきました。
 藤内涙目な展開、乱ちゃんのターンが一瞬な上に数乱オチっぽくなりましたが…ちょっとでも楽しんでいただけますように…!
 よひらさん、素敵なお話をありがとうございました!^^*


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