恋愛教科書



 どうして自分が選ばれたのだろう、藤内はいつも思っていた。同じ組の友人のように乱太郎と同じ委員会に属しているわけでも、こう言うのは悲しい気もするが、自分は目立つ方でもない。自分たちは忍者の卵なのだから、悪目立ちするよりはましだと思うけれども。
 関わりはほとんどなかったと言ってもいい。夏休みをかけたあの借り物競走のとき、二人で吹っ飛ばされたのがほぼ唯一の思い出だ。
 一度だけ、訊ねたことがある。お前はどうして俺を選んでくれたんだと。乱太郎は、ちょっと考えてから、「藤内先輩が好きだったから、ではだめですか?」と困ったように笑った。

「どうしてか、とか、なにがきっかけで、とか、よくわからないんです。気づいたら好きだったので…」
「そ、そうなのか。……」
「納得いかないって顔ですね、先輩」
「まあ、な…」

 曖昧な言葉や心は頼りない気がするのだ。しっかりした言葉で、文字で、表されたものがほしい。本や授業で得られるような確かなものが。
 考え込んでいた藤内に、乱太郎はじゃあ先輩は、と問いかける。

「先輩はどうして私のことを好きになってくれたんですか?」
「えっ?」

 …そういえば、どうしてだろう。
 そこかしこがかわいいと思うし、笑顔に癒されたりとか、不運に見舞われていたら助けてやりたいとか思うのだけれどそれだけでは藤内が乱太郎に対して抱いているこの複雑で、ふわりふわりとした思いを説明しきれない気が、して。
 いつの間にか眉間に寄っていた皺に、乱太郎がそっと触れた。そこから生まれる熱が、くすぐったい。言葉を忘れたように口を開けたまま黙る藤内に、乱太郎は微笑みかけた。

「ね、無理でしょう?好きだから、で十分じゃないですか?そこに集約されるんですよ、結局は」

 恋愛なんてそんなものです、なんて笑った乱太郎のその表情があまりにも大人びていて、どきりとしたけれど悔しくもあったので、その額をひとつ、小突いておいた。


_ _ _ _ _

 俺にとっての恋愛教科書は、たぶん君なんだろう。
 君の言葉は曖昧で、大雑把で、少しだけ頼りない気もするけれど、君は確かにここにいて、俺の隣で笑っている。
 ああ、それだけで幸せだと思うそのことが多分、答えなんだと思う。


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