保健委員会魂魄一時離脱事件の全容



 すべては忍術学園の天才トラパー、綾部喜八郎が保健委員会が活動中の医務室に姿を現したことから始まった。

 からりと前触れもなく開いた戸に、車座になって休憩だお茶をしようと顔を輝かせていた保健委員会の面々はがっくりと肩を落とした。
 しばらく前に医務室で暴れてくださりやがった会計委員長と体育委員長が仕出かしたあれやそれを先刻片付け終え、ようやく休めると安堵した瞬間のことだったので、落ち込みたくもなるだろう。しかし彼らは、持ち前の保健委員会魂を発揮せんと真摯な表情を作り、やって来たその人を迎えた。

「あ、四年い組の綾部喜八郎先輩」
「どうかしたのかい?」

 医務室の戸を引いたのは、入り口に最も近い場所にいた伏木蔵で、喜八郎に問いを投げたのは委員長である伊作であった。他の三人も、頬や服に土の名残が見える喜八郎に視線を集める。
 どこか怪我をしたのだろうかと言いたげな視線の集中砲火を前に、喜八郎はたじろぐことも微笑むこともせず、じっ、と一点を見つめて立ち尽くす。言葉は何も発しようとしない彼に、保健委員たちは、いや正しくは約一名を除いて、疑問符を飛ばすしかない。

「えっと…綾部先輩?」
「どういったご用件で…」

 普段から不可思議な言動の多い人だけれど、改めて見るとやっぱり良く分からない人だと、数馬と左近は恐る恐る声を掛ける。しかし喜八郎からはやはりというか、何のレスポンスもなかった。変わらずただつっ立って、一点を見つめるだけ。
 なんとなく何かを伝えようとしているのは分かるのだが、その「何か」が分からない。数馬と左近、伏木蔵がどうすれば良いですかと言いたげな視線を送り、伊作が苦笑し声を上げかけたとき、座していた乱太郎が、すっと立ち上がった。
 喜八郎に近付いていく乱太郎に、何をする気なのだろうと再び疑問符を飛ばした保健委員たちは、この後の二人のやり取りに気絶しかけるほど驚かされることになる。

 乱太郎は喜八郎の前に立つと、頬に付着していた土を優しく払った。この時点で既に保健委員たちは嫌な予感をひしひしと感じていた。ちょっと屈んで頬に手を届き易くした喜八郎に向かって、乱太郎は困った声でこう言った。

「喜八郎先輩、いつも言ってるじゃないですか。ちゃんと言葉にしてくださらないと分かりませんよ?」
「乱太郎なら分かってくれると思って」
「まあ、確かに私は分かりますけど…でも他の人にも正確に伝えられないと困ってしまうじゃないですか。どこが痛いのか分からなければ治療の仕様が」
「乱太郎に治療してもらうから良い」
「もう、私は、私がいない場所での話をしているんです」
「え、何言ってるの。離しやしないよ、せっかく恋仲になれたんだから」
「いえ、そうではなくてですね、私が言いたいのは」
「ちょっと待ったぁあああああ!!」
「じゃあ向こうで待ってまーす」
「そうじゃなくて、って綾部!乱太郎を連れていこうとするな!ああもうそうじゃなくて!」

 青天の霹靂とも言える突然の展開について行けず、数馬と左近は魂を飛ばしかけていた。伏木蔵は魂を飛ばしてはいなかったが、顔が引きつっていて、声を上げたくても上げられぬようであった。
 そんな三人の分まで声を荒げた伊作は普段は決して(乱太郎には)見せないような恐ろしい顔をして、慌てて喜八郎と乱太郎の間に割り込んだ。

「綾部…知ってるかい?嘘は泥棒の始まりなんだよ」
「はぁ」
「今ならまだ許してあげられる。さあ否定しようね。否定して土下座して謝れ、乱太郎と恋仲というのは嘘だと認めろ」
「善法寺先輩ってそんなキャラだったんですねー」
「綾部…?先輩の話はちゃんと聞けって習わなかったのかい…?」
「あ、あのー…」

 気の弱い者であれば一瞬で五・六人気絶させることのできそうな雰囲気の伊作と、そんな伊作を前にしても物おじしないどころか全くいつも通りに飄々としている喜八郎と。
 ある意味おどろおどろしい空気の中で、乱太郎は二人を交互に見上げながら声を上げた。喜八郎には余り変化が見られなかったが、伊作はあっさりまがまがしいオーラを引っ込め、柔らかい声でなんだい乱太郎?と問い掛ける。

「大丈夫だよ、今綾部に嘘を訂正させる。乱太郎の名誉はちゃんと守られるからね」
「あ、あの、伊作先輩。実はさっき綾部先輩の言ったことは、」
「伊作先輩の言う通りだぞ乱太郎、いくら先輩と言えど言って良いことと悪いことがあるんだということを理解してもらわないと」
「えっと…数馬先輩…?」
「乱太郎、良いから伊作先輩にお任せしておけ」
「左近先輩、あの、私」
「危ないから下がってた方が良いよー乱太郎、こっちおいでよ」
「え、待って伏木蔵、私皆に言わなきゃいけないことがあるんだよ」

 乱太郎は二重三重の壁になろうとする先輩二人と同学年の友人に向かって聞いて下さい!と少し大きな声を出した。
 先程から嫌な予感しかしていなかった保健委員の面々は、耳を塞ぎたくなる。聞きたくない、すごく聞きたくない。この嫌な予感が現実のものになるなんて、可愛い可愛いこの子が、そんな、まさか!
 動揺から思いっきり青くなっている保健委員を余所に、乱太郎は少し頬を赤らめて、意を決しひとつこくりと頷くと、こう叫んだ。

「あのっ、ずっと黙っていてごめんなさい!私…喜八郎先輩とお付き合いさせてもらってるんです!だから喜八郎先輩が言ったことは事実なんです!」
「だから僕は嘘なんかつかないって言ったでしょ?」

 いや、そんなことは言っていない。言っていないのだが今の保健委員たちにはツッコミを入れる心の余裕はなかった。
 伊作は某漫画の主人公のように真っ白に燃え尽きていたし、数馬と左近は今度こそ魂をしっかりばっちり飛ばしていたし、伏木蔵も普段から暗い顔をいっそう暗くしていた。一方、乱太郎はいつか言わなければと思っていたことを宣言して顔を真っ赤にして動揺していたので、普段と様子が変わらぬのは喜八郎のみであった。
 喜八郎は完全に停止した保健委員たちをぐるり一巡り見渡すと、最後に乱太郎へ視線を戻した。それに気付いた乱太郎は顔を上げ、喜八郎と見つめ合う。喜八郎は普段は決して浮かべないような優しい笑みを浮かべ、呟いた。

「よかったね」
「え…?」
「ずっと言えないって悩んでたから」
「そう…ですね。お世話になっている方々ですし、伏木蔵にも早く伝えたかったので」
「うん、よかった」

 告白するタイミングを逃し続けていた乱太郎が、みんなに隠し事をしているようで心苦しいと悩んでいたことを知っていた喜八郎は、うんうんと頷く。その様子に乱太郎はふわりと微笑んだ。

「はい、よかったです。…きっかけ、作ってくれたんですよね?先輩」
「え?何言ってるの」

 目の前にいる不思議言動で他人を振り回しているイメージしかないこの男は、本当はとても優しいひとだと、乱太郎は思う。押しつけがましい優しさではなくて、分かりにくいけれど、すごく分かりにくいけれど気遣ってくれるひとなのだ。
 このときも、喜八郎は、さっ、といつも通りの飄々とした表情に戻ると、こう言ってのけた。

「僕はただ、怪我したから来ただけ」
「…はい、そういうことにしておきます。では、手当しちゃいましょう」

 そうして乱太郎の手による手当てを受けた喜八郎は保健委員の面々が硬直状態から解放された頃には医務室を去っており、なぜか顔を真っ赤にしていた乱太郎を見て、保健委員たちはなんだかもう泣きたい気持ちになったという。

 これが、忍術学園を大きく騒がせた保健委員会魂魄一時離脱事件のすべてであった。
 ちなみに、この事件自体はほかの生徒たちに知られることはなかったが、この事件をきっかけにして学園のあちらこちらで類似の事件が見られるようになったということである。


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 相互記念にハルキさまへ捧げます、綾乱←保健委員でした。
 綾乱のターンを書くのが楽しくて、保健委員の皆さんがほとんどおまけ状態になってしまいましたが、い、いかがでしたでしょうか…?
 乱ちゃんには申し訳ないけれど、綾部の気遣いは乱ちゃん限定ってイメージがあります。だから綾部イコール優しいひとの等式は必ずしも成立しないわけでつまりここから言えるのは(証明略)
 ハルキさまに楽しんでいただけましたら幸いです。相互してくださって本当にありがとうございました!^^*


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