彼女を送っていきましょう



 何がどうして好を奏したのか、後輩への妙な対抗意識が生んだ会話から流れで乱太郎の携帯のメールアドレスと電話番号を教わった藤内は、週に何度か彼女とメールを交わすようになった。
 もちろん、休み時間や朝、放課後に出会えば挨拶と共に会話もする。親しい間柄の先輩後輩が交わすような会話だ。しかし、二人はその会話に加えて、メールでも様々な会話をしていた。
 会うことのできない休日にも、携帯電話があるおかげで話をすることができる。とは言っても、電話で話をしたことはまだないのだけれども。

 最初の内は、乱太郎から送られてきたメールにどう返せば良いのか、絵文字は使った方が良いのか、あまり速く返信しすぎない方が良いのかと色々頭を悩ませ、携帯がメールの着信を知らせる度に落ち着かなくなったりしていたのだが、すぐにやり取りを楽しめるようになった。
 乱太郎はデコレーションメールはおろか絵文字すら滅多に使わない。女子からのメールイコール絵文字たくさん、のイメージを持っていた藤内は、乱太郎は実はあまりメールが好きではないのだろうかなどとも心配になった。
 しかし、彼女とメールのやり取りをしていることを悟られないよう、それとなく数馬に問うてみると、乱太郎は誰にメールを送る場合もシンプルなメールを送るのだという旨の答えが返ってきた。これに思いっきり安堵した藤内は、それが顔に出てしまったのか、数馬にじと目付きで怪しまれることになったのだがそれはそれ。
 時間帯や送る数、言葉遣いに注意しつつも、心の底から楽しいと言えるメールのやり取りを、藤内は行っている。

 あの日、朝の教室で再会を果たした頃からすれば格段に仲が深まったと言えるのではないだろうか。乱太郎から送られてきた本の感想と礼を述べるメールに目を通しながら、藤内は思った。
 スクロールしていったメールの最後に躍るハートの絵文字に、ドキッと心臓が跳ねる。深い意味はないとは分かっているけれど、ちょっとだけ、期待してしまう。

 彼女がハートの絵文字を選択した瞬間に、自分を想ってくれる心が存在していたなら、と願ってしまう。





 すっかり日も落ち、空も完全に夜へとお色直しを終えた時間帯、静まり返る校舎を早足に行く藤内の姿があった。
 今日は中等部高等部合同の委員会活動が行われた。ふた月に一度の頻度で行われる合同委員会で、藤内は話し合いでは何故か(と言うには理由は分かりきっているのだが)委員長と副委員長から集中的に意見を求められ、遅刻者や品行のよろしくない生徒の名簿を作る作業では何故か(と言うのも馬鹿らしいが)後輩たちに自分の名前を書かれそうになったりと、それはもう散々な委員会の時間を過ごす羽目になった。
 明日辺り、胃薬が必要になるかもしれない。
 そして、中等部の委員を帰した後、教師に呼び出された委員長と副委員長の代わりに議事録を付け、他にも委員会の仕事をしていたら気付かぬ内に外は真っ暗になっていた、というわけである。


 委員長と副委員長に仕事を終えたことをメールで連絡し、委員会顧問の教師のところへ顔を出すと、藤内は急いで昇降口へと向かった。早くしなければ生徒玄関に鍵をかけられてしまう。
 職員玄関は開いているので、下駄箱から靴を持って行けばそちらからも外へ出られるのだが、中等部の教師も高等部の教師も使用する職員玄関は高等部の玄関から遠い位置にある。面倒なので、出られる内に生徒玄関から出てしまいたい。

 職員室や研究室といった教師が使用する部屋から漏れる光以外は、外にある街灯と街の光だけが頼りの廊下を急ぎ足で通り過ぎて行く藤内の前に、いきなり何者かが飛び出してきた。

「わっ!」
「ひゃっ!」

 なんとか衝突することは避けられたのだが、自分と同じように急いでいたらしい相手は驚いて転んでしまったようだった。いたたた、と小さな声を漏らしている。
 辺りが夜の闇に沈んでいることもあるのだが、藤内の側は後ろに光源があるため、相手の顔は良く見えない。しかし、相手からはこちらが見えるらしく、あれ、藤内くん?と声を掛けられた。
 聞き覚えのある声に藤内は焦る。

「乱太郎先輩!?すみません、大丈夫ですか?」
「うん、ちょっと驚いちゃっただけだから、大丈夫だよー。あ、ごめんね。ありがとう」
「いえ、怪我がなくて何よりです」

 転んでしまった乱太郎を助け起こし、投げ出された鞄を拾って渡すと、彼女は照れたように笑った。転んだ時の衝撃でずれてしまった眼鏡の位置を直している彼女に、藤内は問い掛ける。

「先輩、何故こんな時間に校舎にいらっしゃるんですか?」
「えっとね…多分、藤内くんと同じ理由じゃないかなあ」
「…委員会ですか?」
「当たり」

 苦く笑った乱太郎に、藤内も乾いた笑いを返すしかなかった。

 彼女が委員長を務めている保健委員会は不運な生徒が集まることで有名で、委員会が開かれる度に何故か急に増える怪我人や病人の世話に追われたり、何故か委員の誰かが不運に巻き込まれたり、何故か保健室に乱入してくる他の委員会に対応するうちに終了時間が遅くなるのだという。
 そろそろ行事委員会と生物委員会には保健室立入禁止を命じるべきだと思うんだと暗い目で呟く数馬を見たことがあるので、毎回相当な目に会っているのだろう。いい加減にしろと言いたげな目をする数馬の前で、行事委員の次屋三之助と生物委員の伊賀崎孫兵はどこ吹く風でいた、というのは余談である。

 今日は一体何があったのだろうと思っていると、藤内が問うより先に乱太郎が口を開いた。

「今日は珍しく怪我した人も病人も運び込まれなくて、仕事もスムーズに進んでたんだけどね…あ、いつもなら遊びに来る小平太や次屋くん、神崎くんや三郎くん兵助くんも来なかったし…」
「なんか…いつもすみません…」
「え?なにが?」

 名前を挙げた彼らが「遊びに来ているだけ」だと本気で思っているらしい乱太郎に、藤内はがくりと肩を落しながら謝罪した。この場合、乱太郎に対してというより、他の保健委員に対して謝罪したと言った方が正しいかもしれない。
 あの二人が乱入すれば委員会どころではなくなることを、以前自らの委員会活動中に乱入された経験のある藤内は知っていた。
 二大方向音痴の二人と所属するクラスの違う藤内ですら全力で土下座したい気持ちに駆られるのだから、二人と同じクラスの富松作兵衛辺りは本気で土下座するだろう。
 大変な友人を持って苦労する友人の顔を思い浮かべながら、だから俺はあいつと気が合うのかもしれないとちょっと悲しいことを考えていると、乱太郎がそれでね、と続きを話し始めた。

「委員会は無事に終わったんだけど、最後にちょっと…私がドジしちゃって。消毒液とか絆創膏とか積んでるキャリー付きの台があるでしょう?」
「はい」
「あれをね…ひっくり返しちゃって」

 その片付けをしていたらこんな時間になってしまったのだと乱太郎は言う。委員会終了後、最終確認をしていたときのことだったので委員は誰もおらず、保健の先生も出張中であったため、一人で片付けをしなければならなかったと疲れた様子で話していた乱太郎は、短く声を上げた。

「いっけない!」
「どうしました?」
「早く、早くしないと!早く校舎から出なきゃ!」
「あ!」

 そうだ、乱太郎に出会って舞い上がってすっかり忘れていたが、急がなければ生徒玄関を閉められてしまう。藤内は、風のように先に駆け出した乱太郎の背中を追い掛ける。
 時間が迫っていることに焦りつつも、軽やかに走る乱太郎の後ろ姿は陸上競技に疎い藤内が見ても綺麗で、焦りや走りから来るものでない心臓の鼓動に全身が熱くなった気がした。
 そういえば以前、彼女が走っているところを見かけたときも似たようなことを感じた。あの時は自分と彼女を隔てるフェンスとか、距離とか、そういうものを悔しく思ったのだけれど、今は手を伸ばせば届きそうな位置に彼女はいる。
 声を掛ければ振り向いてもらえる位置まで、来ている。


 ひと足先に生徒玄関に繋がる曲がり角を折れた乱太郎が、声を上げた。その声に嫌な予感を抱いた藤内も少し遅れて玄関に到達した。
 そして、残念ながらぴたりと閉じられた戸を見て、落胆の声を上げてしまう。

「あー…やってしまった…」
「私のせいだよねこれ…ごめんね、藤内くん」
「そ、そんなことないです!俺、今日はついてない日みたいだったんで、むしろ俺のせいかも…すみません」
「藤内くんが謝る必要なんてないよー!」
「いえ、でも…」

 しばらくそんな平行線のやり取りをしていたのだが、段々とおかしくなってきた藤内は、ついに笑い声を上げてしまった。藤内くん、何がおかしいのーなどと言っている乱太郎の顔にも笑みが浮かんでいる。

「すみません、先輩があまりにも真剣にやっぱり不運は伝染するんだ、っておっしゃるものですから」
「もう、ひどいなあ!」
「すみません、……」
「うん、……」

 不意に、二人の間に沈黙が落ちた。重い類のそれではなく、くすぐったいような、落ち着かないような、そんな沈黙だった。

「…帰りましょうか」
「…だね」

 二人はひとつ微笑み合うと、それぞれの靴を取り、職員玄関へと向かった。二人並んで、色んな話に花を咲かせながら。





「そういえば、乱太郎先輩って家どっち方向なんですか?」

 職員玄関からようやく校舎の外に出、校門へと向かう道すがら、藤内は乱太郎に問い掛けた。乱太郎は小首を傾げるように藤内を見上げると、山の方だと答えた。

「じゃあ自転車通学ですか?」
「ううん、徒歩」
「…結構、遠いですよね?」
「そうだね、普通に歩けば30分以上はかかるんだけど…トレーニング代わりに走ったりしてるんだ。藤内くんは?町の方?」
「いえ、俺も山の方です。乱太郎先輩ほど遠くはないですが」
「そうなんだ」
「…乱太郎先輩、あの」
「なにー?」

 ふわりと微笑む乱太郎に、藤内は、先程から考えていた提案を口にする。必死に玄関目指して駆けていたあの時と同じくらい、心臓の音がうるさく響いていた。

「家まで、送ります」
「え?」
「この辺り、治安は良いですけど…やっぱり独り歩きは危ないですよ。先週、隣の高校の生徒が襲われそうになったって事件もありましたし」
「大丈夫だよー、私なんかを」
「お願いします、送らせてください!」

 私なんかを襲うような人はいないよ、という台詞を言わせない内に藤内は叫んだ。もしも、ということもあるし、そのもしもが起こってしまったら悔やんでも悔やみきれないだろう。
 何かあってからじゃ遅いんです、と必死に主張する藤内に、乱太郎は一瞬目を丸くしたが、すぐにふにゃりと目を細めると、ありがとう、と微笑んだ。

「じゃあ、一緒に帰ろっか」
「はい!」
「あ、藤内くんの家の近くまでで」
「駄目です、ちゃんと乱太郎先輩の家まで送りますから」
「はあい。……藤内くんはあの時と変わらないね。ありがとう」

 そういえば、いつも委員会が遅くなっていたときはどうしていたのだろうと考え始めた藤内の耳に、乱太郎が微笑みながらぽつり零した呟きが届くことはなかった。





 さて、それは学校を出て10分ほど歩いていった辺りで起こった。

「それでね、左近ったら……あ、兵ちゃん!」
「川西先輩がですか?意外で……!!」
「やっほー乱太郎、…………と藤内」
「さ、笹山先輩…こんばんは…」

 笹山兵太夫先輩が現れた!とどこぞのロールプレイングゲームのようなメッセージが藤内の脳内を駆け巡る。ちなみに脳内BGMはご丁寧にもラスボス戦のものであった。
 必死に平静を装いながら、藤内は自らの所属する委員会の先輩である彼に挨拶をした。彼の目が暗く光っているような気がするのは藤内の気のせいではないだろう。
 お前乱太郎と何してるんだと言いたげな視線を前に藤内が固まっていると、乱太郎が兵太夫にこんなところでどうしたの?と問い掛けた。

「ちょっと、ね。乱太郎こそ、ずいぶん遅かったみたいだけど」
「うん、また委員会でドジしちゃって…片付けしてたら遅くなっちゃった」
「呼んでくれたら手伝ったのに」
「風紀委員会で忙しい兵ちゃんにそんなこと頼めないよー」
「そんなの気にする必要ないのに。僕と乱太郎の仲なんだから。ああ、そうだ……藤内」

 優しい笑顔で乱太郎と話していた兵太夫は、同じ笑顔で藤内に声をかけた。
 気のせいだろうか。同じ笑顔のはずなのに気温が一気に5度ほど下がったような気がするのは。いや、気のせいではない。

「は、はい」
「悪かったな、最後の仕事やらせて」
「い…いいえ、とんでもないです!」
「それに乱太郎を送ってきてくれたんだろう?僕からも礼を言う、ありがとう」

 これもやはり気のせいだろうかと冷たい汗をかきながら藤内は思う。
 兵太夫の発した「ありがとう」が「覚えてろよ」に聞こえた気が、した。


_ _ _ _ _

 ついにラスボス兵太夫がご降臨あそばされました。この次の日、藤内の身に何が起こったかは(恐ろしくて)書けませぬ…藤内…生きろ…←
 今回で一応作法(風紀)委員会関係者とのバトルは終わったので次回は三年生かなー。


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