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 二人きりでというわけにはいかなかったが、乱太郎が弓道部見学に来たあの日、彼女と色々な話で盛り上がることができた藤内は、その日を境に彼女とよく話すようになった。

 移動教室中のちょっとした時間や、胃薬をもらいに出向いた保健室、放課後に部室棟で出会ったときなど、それまでもタイミングが合えば二言三言の挨拶プラスアルファ程度の言葉は交わしていたのだが、あの日から内容が少しずつ変化していった。
 最初はそれぞれに共通する人間の話であったり、学園内で起こった騒動や事件についてであったのが、最近はお互いの部活や趣味の話、好きな歌手や昨日見たテレビ番組や先週行ったカラオケボックスや漫画の話なども話題に上がる。
 どうでも良いような話題に思えるかもしれないが、好きな人が何を好むのか、何を考えているのか、そういったことを知りたいと思うのが恋というもの。
 そして何よりも、この前食べに行ったたこ焼きが美味しかったと幸せそうに語ったり、お気に入りの漫画の新刊が買えたと嬉しそうに言ったり、藤内くんもそれ好きなんだね、私もだよ、とふわふわと笑う彼女を見られることが嬉しかった。

 彼女と話をしている後ろで、道行く先輩や隠れてこちらを見張る後輩、同学年の友人たちの目が恐ろしいことになっているのも藤内は勿論気付いてはいたけれど、彼女との会話を止める気にはなれなかった。
 くるくると表情や語り口を変えて話をする彼女の話は本当に面白かったし、少しでも長く傍にいたかったからだ。予鈴のチャイムが、集合の笛がこれほど憎いと思ったことはなかった。自分でもずるいと思いながら、ギリギリまで会話を伸ばせるように彼は言葉を接いでいった。
 結果として、友人にちょっと面を貸せと笑顔で言われたり、例の反省文地獄への招待状が届いたりするのだが、藤内はもうそれに関してはむしろどんと来いと思うようになっていた。

 それは幸福税だと思えるようになったとも言えるし、ふっ切れたとも言うし、ただ単に慣れたとも言える。





 昼休みも終わりに近付いた、でもまだどこかのんびりした空気が学園全体を包む時間帯のことだった。
 普段なら教室で昼食を取るのだが、その日は弓道部のミーティングがあったため、藤内は部室にいた。内容は来月に控えた遠征についてで、一年生ながら遠征メンバーに選ばれていた藤内は弁当片手に部長である伝七の話に耳を傾けていた。
 何かと騒がしい校舎とは異なり、部室棟は静けさの中にある。時折、他の部室のドアの開閉音や、三郎、兵助、二人とも陸上部の部室覗こうとするのいい加減に止めないと削るよ?何をって、馬鹿だなあ、あれとかそれとかこれに決まってるじゃないかという声が聞こえてくるが、それ以外は平和なものだった。特筆すべきものは何もないいつもの昼休みである。

 弓道部のミーティングを無事に終えた藤内は、まだ弁当の中身を食べきっていなかったため、他の部員たちを見送り、最後に部室を出ることとなった。
 空になった弁当箱を藍色の布で包み直し、ミーティングで配られたプリントと部室の鍵を手に外に出る。

 一年生はまだ個人の鍵を持たないため、伝七から預かった鍵でドアに鍵をかけていると、みっつ向こうの部室のドアが何の前触れもなく開いた。
 何気なく目をやると、そのドアから顔を覗かせた人間と目が合った。一瞬、どきりと心臓が跳ねる。

「あれ、藤内くんだ」
「乱太郎先輩。こんにちは」
「こんにちは」

 ふわふわの茜色の髪を高い位置でまとめ、シンプルな丸眼鏡を掛けている彼女は、可憐に笑いながら藤内に弾んだ声を掛けてくる。本当にいつも花が咲くみたいに笑う人だなと、藤内も彼女に笑顔を向けた。
 彼女も部室を出るのが最後だったのだろう。ドアに鍵をかけている彼女に近付くと、彼女は鍵をしまいながら顔を上げた。

「珍しいね、お昼はいつも教室なんでしょう?」
「今日はミーティングがあったんです。来月の遠征の…先輩こそ、教室か保健室かどちらかだって言ってませんでしたっけ」
「うちもね、ちょっと集まりがあったんだ。来週特別顧問の先生が来るから、その関係で」

 部室の鍵と桜色の包み、そして一冊の本を手にした彼女に、ああそれで不破の声がしたんですねと言うと、彼女は苦く笑った。

「実は中等部の方はあんまり関係なかったんだけど、ちょっと用事があったから雷蔵には来てもらったんだ。…鉢屋くんと久々知くんが何かやっちゃったみたいで途中で帰っちゃったんだけど」
「…みたいですね」
「でも、あの雷蔵を怒らせるなんて…あの二人本当に何したんだろう」

 乱太郎はそう言って首をことんと傾げた。その様子を可愛いなあと見つめながら、ちょうどミーティングが終わった頃に外から響いてきた雷蔵の地を這うような声をばっちりしっかり聞いていた藤内はこう分析していた。
 陸上部女子の部室に侵入を謀っていた三郎と兵助を発見した雷蔵が、ミーティング中なのだから邪魔をするなという意味で、いや、なんていうかもう陸上部の部室入って何するつもりなのまさか乱太郎先輩のあれやそれを手に取ってほお擦りしたり匂いを嗅ぐとかそういうことをするつもりなのかふざけるなよ!的な意味でぷっつりと切れたのだろうと。そして恐らく、三郎と兵助は実際に雷蔵が危惧したことをそのまま、実行に移すつもりでいたのではないかと思った。
 あの二人懲りないな、そろそろまた3年3組の先輩方の鉄槌下されそうだよなと思いつつ、藤内は自分が関わっていることに全く気付いていない乱太郎に引きつった笑いを返した。

「まあ…あいつらやんちゃ盛りですから、色々あるんじゃないですかね」
「そうだね、元気なのは良いことだと思うんだけど…」
「ははは…あ、ところで乱太郎先輩、その本なんですか?」
「あ、これ?雷蔵に借りてたやつなんだけど、返しそびれちゃって。これ、藤内くんが前読んだって言ってた本だよ。ほら」

 手にしていた本を差し出される。乱太郎が言う通り、藤内はその表紙に見覚えがあった。新進気鋭のイラストレーターが描いた特徴的な表紙絵が飾るその小説は、確か昨年ある大賞の準大賞を獲得した小説で、テーマは重いが魅力的な登場人物と爽やかな文体の読みやすい話だった。
 そういえば、彼女は看護学部を志望しているから、医療ものであるこの小説は興味深いものだったのだろう。最後の辺りは涙が止まらなかった、主人公の青年医師が格好良かった、その奥さんが可愛いかったと感想を述べる彼女に、可愛いのはあなたですと心の中で呟く。

「なんだか、すごく色々なものを教えてもらえた気がする」
「分かります、上手く言葉にはできないんですけど…なんていうか、何が最善の答えなのかは分からないけど、それでも、こう、選び取ろうとする主人公が、こう…」
「うん、そう!そんな感じ!ああ、良い本に出会えて幸せー」

 頬を上気させた彼女が、愛おしむようにその本を抱きしめた。
 その様子に、藤内は少しだけ面白くないものを感じる。小説そのものに文句があるわけではない。同じ本を自分も持っているし、彼女が抱きしめたくなる気持ちも分かる気がする。
 問題は、そう、その本の持ち主が、雷蔵だということだった。

「…乱太郎先輩、その本、続きがあるって知ってますか?」
「え、そうなの?知らなかった!」
「良かったら貸しましょうか?俺、持ってるんで」
「本当!?うん、貸してほしいな!」
「分かりました。……あっ」
「ん?」

 雷蔵に対抗するまま話を進めていた藤内は短く声を上げた。きょとん、と乱太郎がこちらを見上げてくる。可愛い。…ではなくて。

「…いつ、どこで渡しましょうか」

 学年も委員会も部活も違う藤内と乱太郎がこうして話をするのは偶然出会ったときばかりであった。連絡先を知らないこともあって、約束して会ったことは一度もない。
 本を持っているときに都合良く出会えるとは限らないし、彼女の教室に持って行くのは構わないが、その時に彼女が教室にいなければ意味がない。…まあ3年3組というこの世の天国と地獄が同居する教室に行きたくないというのも、ないわけではなかったけれども。
 しかも今のうちに決めておかなければ休み時間が終わってしまいそうだ。時計を確認しながら、藤内はどうしましょうかと彼女に問い掛けた。数馬に渡してもらうとか、などと提案する。

「うーん、でもいつも保健委員会やってるわけじゃないし…私が借りるんだから教室に持ってきてもらうのは申し訳ないし…あ、私が藤内くんのクラスに」
「い、いや、それもちょっと…数馬怖い、じゃなかった、俺がいないときだったらそれこそ申し訳ないです」
「そっか、ちゃんといるかどうか確認できないと駄目だよねえ…風紀委員会忙しいみたいだし……あ、なら」

 何かを思い付いたらしい乱太郎が、制服のポケットから何かを取り出した。乱太郎の手の中にあったのは、シンプルな白の携帯電話だった。
 え、まさか、この流れって、と藤内が緊張していると、乱太郎は上目遣いに微笑みながら携帯電話を示した。

「メールアドレス教えてくれる?連絡取れれば行き違いもないだろうし…」
「えっ、あっ、そ、そうですね、はい!って携帯、携帯!…じゃあ、俺から送りますね」
「うん、ありがとう!えっと、赤外線は…」
「あ、俺のはここです」
「あ、そっか。はい、どうぞ」
「……送れましたか?」
「うん、ばっちり!じゃあ、次は私」

 送るよー、どうぞー、とまあアドレス交換時のよくあるやり取りだし、何度となく経験のあることでもあったはずなのだが、藤内は震えそうになる手を誤魔化すのに必死だった。間近で感じられる気配にも妙に照れてしまう。
 これ以上ないくらい暴れている心臓をなんとか宥めつつ、送られてきた乱太郎のメールアドレスと電話番号を間違いのないようにしっかり確認しながら登録していると、乱太郎が嬉しそうに口を開いた。

「えへへ、これでいつでもお話できるね!藤内くんと話するの楽しいから嬉しいなあ」
「え、あ、ありがとうございます。俺も、先輩と話するの好き、です…はい」

 うっかり口から滑り落ちた「好き」という言葉に、藤内は動揺する。告白のつもりでもなんでもないけれど、やっぱり好きな人に好きと言うのは大変なことで。
 変な奴だと思われたらどうしようそんなことになったら生きていけないなどと思っていた藤内は、しかし、ふわりと笑った彼女を見て、体内を駆け巡る温度はそのままに、自然と笑うことができたのであった。

 それが、一輪の花に喩えられる彼女の力。なのかもしれない。





 さて、余談としてだが。

「…浦風」
「な、なんですか黒門先輩」
「お前…乱太郎とメールしてるって、電話番号も知ってるって本当か」

 一体そういう情報をどこから集めてくるのだろうと嫌な汗をかきながら、藤内は伝七の暗い目を恐る恐る見つめ返した。
 ここで嘘をついても仕方がないことを知っているので、素直にその通りですと頷く。すると、伝七は目を見開いて、こう言った。

「どうやって乱太郎のメールアドレスゲットしたんだお前!!」

 3組の奴らのガードが堅すぎてほぼ門外不出だというのに!羨ましい!!とちょっと涙目で言う伝七に、どうしても藤内は言うことができなかった。


 それは先輩、自業自得ではないですか、と。


_ _ _ _ _

 いじめてばかりだから本人にも警戒されるんだよ…伝七…

 阿呆やりかけていた三郎と兵助は雷蔵に回収された後、教室まで引きずられた挙げ句、八左ヱ門に呆れられ勘ちゃんに説教くらいました。今回は削られはしなかったようです。何を削るって、そりゃ…ねえ。

 次は兵太夫さん登場です。ある意味ラスボス。


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