想うが、暮れる



 それは、いつもの放課後のことだった。

「…またかよ」

 その日最後の西日が照らす図書室の一角、机に乗った茜色の毛玉に向かって久作はため息混じりに呟いた。
 規則正しく上下し、時折小さく動きを見せるその毛玉の正体は人間だ。
 机の上に広げられたままの本の頁がゆらゆらと揺れているのが、本の整理をしていた久作の位置からも分かった。

 そういえば今日は天気が良かったから、たまには空気の入れ換えをしなければと窓を開けておいたことを思い出し、久作は腰を上げた。
 足音を立てぬように窓へ近付き、そっと窓を閉める。利用者は久作が近付いても突っ伏して寝こけたままの彼だけだったからそれ程気を遣う必要はなかったけれど、出来るだけ騒がしくならぬように久作は行動した。
 必要以上に気をつけてしまうのはなんとなくあの厳しい委員長の目が光っているような気がしたからだった。
 実習で明後日まで学園にいない委員長のそら恐ろしい笑顔を思い出しながら久作は、窓の近くの席にいる彼をちらりと見下ろした。

「…気付かないとか…駄目すぎだろ」

 気配を断っているわけでもない自分の存在に気付きもせずに彼は心地好さそうに寝息を立てている。
 まだ一年生だから気配に疎くても仕方ないと、彼に甘い先輩達は言うかもしれない。
 でも久作は懐近くまで侵入されたにも関わらず起きる気配を見せない彼に呆れるしかなかった。
 久作は彼の隣に腰を下ろし、着けたままの眼鏡を外してやった。それでも彼が目を覚ますことはない。

「さすが阿呆のは組というべきか、鈍すぎるというべきか」

 久作の呟きは静まり返った図書室の空気を微かに震わせる。彼からはやはり何の反応もない。
 久作はもう一度ため息をついた。

「…そんなんじゃ直ぐに襲われるぞ」

 悪意ある敵にも、好意ある味方にも。机に肘を着き、何も知らない子供を見つめる。

「なぁ、乱太郎」

 はい、先輩、という元気な返答はない。それだけが取り柄のくせに、と憎らしく思いながら、久作は続ける。

「お前は黄昏だな。夕日色の髪と…日が沈んで行った後の空の色の目をしてる」

 日暮れの山際、その黄緑色を思い出す。
 今は瞼に隠れた彼の色は、その色と同じだ。綺麗な綺麗な、空の色。
 久作は茜色の髪に手を伸ばした。ぱさ、と乾いた音がする。
 彼はさすがに少しだけくすぐったそうにしたが、目を開ける様子はなかった。触れられてなお眠り続ける彼に、久作は嬉しさのような呆れのような感情を覚える。
 安心して眠れる場所を提供できているのだという喜びと、鈍いにもほどがあるという呆れと。なかなかに複雑だ。


「……お前は安心しきってるんだろうけど」

 彼の髪を弄りながら久作は呟く。
 意地の悪いことをしはするけれど、明確な悪意も恐ろしい好意も抱いてはいないのだろうと、彼は自分をそう見ているのだろう。
 だから、こんなにも気持ち良さそうに眠っているのだろう。

「…俺も、先輩方や左近や三郎次、は組の連中と同じなんだよ」

 眠るお前を起こさないようにわざわざ委員長のせいにしてまで足音を忍ばせたり、お前を美しい黄昏に例えてしまうくらいには。

「……お前を、想ってるんだ」

 だから早く目を覚ませ。黄昏の向こうから怪物が這い出して来る前に、さあ、さあ。
茜色の毛玉は、苛立ち始める怪物が手を伸ばしても目を覚ますことはなかった。


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 二年い組の三人は揃ってツンデレだと思ってたりするのですが、そんな三人の違いを考えるのは楽しいです。
 三郎次は乱太郎への想いは自覚してなくて気を引きたくて意地悪しちゃうイメージ、左近は想いを自覚し始めるとあっさり優しくなるイメージ、久作は意地悪するけれど乱太郎を好いてることも自覚してるイメージがあります。

 今更ながらツンデレって美味しいんだなぁと思ってたりします(笑)


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