楽しくお話をしましょう



 最近、同じクラスの友人や所属する委員会の先輩後輩、そして彼女が所属する委員会の先輩や後輩の視線がかなり痛いものになってきていることをひしひしと感じている藤内は人生の冬と春をいっぺんに迎えている心地がしていた。

 その「人生の冬」については書き連ねると長くなってしまうので割愛する。お察しください、というのが正直なところだ。

 では藤内に訪れた「春」について話すことにしよう。心を寄せる乱太郎先輩に名前で呼んでもらえるようになったことが、その春の幕開けであった。
 初めて名前で呼ばれたとき、綾部は呼び捨てなのに何故自分は「くん」付けなのだろうと多少嫉妬混じりに不服に思っていたのだが、彼女が自分で決めてそう呼んでくれるようになったという事実は藤内の心を浮き立たせた。
 藤内は乱太郎に面と向かって「名前で呼んでください」と言ってはいない。でも喜八郎は自分から頼んで名前で呼んでもらうようにしたらしい。その辺りに小さな優越感を得て、自分の小ささに落ち込みつつ、やはり喜びは隠せなかった。
 まあその後、喜八郎以外にも名前で呼ばれている後輩がいることを知って、あ、もしかしてそれほど特別でもないのかと気付いてしまったわけなのだが。
 しかし、名字呼びから名前呼びへクラスチェンジを果たし、なによりも、挨拶や会話を交わせるようになったのは大きな一歩であると言えるだろう。何かと、妨害も多かったけれども。





 藤内は弓道部に所属している。中等部に入学したと同時に入部したのだが、昨年は中等部弓道部員をまとめる立場にあった。平たくいうと部長である。
 今年からは高等部に所属しているので、今は部長ではなく平部員だ。ちなみに現在、高等部の弓道部部長は黒門伝七が勤めている。藤内が所属する風紀委員会の副委員長でもある3年生であり、最近藤内に向ける視線の冷たい人でもある。
 彼は元々厳しい人ではあるが、一から十まですべて冷たいわけではなく、後輩の面倒見は良い人だ。「後輩としての」藤内は割と目を掛けてもらっていると言っても良い。彼女と急速に近付きつつある今の状態でもそれは変わらない。

 では何が冷たいかといえば、色恋沙汰に関して視線が冷たいのである。つまりは彼も乱太郎が好きだというわけで、彼女の前で素直になれないもやもやを、彼女に可愛がられている(ように見えているらしい)藤内にぶつけているようであった。
 八つ当たりも良いところである。


 放課後、藤内は弓道場へ向かいながら、今日は自主練日だから部長に乱太郎先輩と話していたことを根掘り葉掘り聞かれるようなことはないなと浅くため息を吐いた。
 今日の昼、たまたま廊下で出会った乱太郎と世間話程度の軽い会話を交わしたのだが、それを伝七に目撃されたようで、もしかしたらまたあの反省文地獄か、はたまた体育館裏への呼び出しがかかるかするかもしれないと焦っていた藤内は、何事もなく放課後を迎えられたことにとりあえず安堵していた。

 同時に、こんなことも思う。恋人同士のような甘いものを感じさせる会話ならまだしも、自分と彼女が交わすのは本当に何の色気もフラグの予感もない世間話なのだ。
 中等部2年の誰其や某、自分と同じ学年のあいつやそいつのようにセクハラ一歩奥の発言をすることもありえない。
 だからそんなに警戒する必要はないのだと、自分で言うのは悲しいけれど、思うわけで。
 もう二年早く生まれていれば、と儚い夢は諦めるにしても、せめて委員会か部活かどちらかが同じであればもっと話す機会も得られただろうにとため息をひとつ吐いた。

 まあとにかく、3年生は今日補習があるというし、3年生のみに課せられた試験も近いので伝七は部活に顔を見せることはないだろう。
 放課後の学園は、笛の音やボールを蹴る音、ランニングの掛け声や三之助そっちはゴールじゃねえ帰ってこいこの無自覚方向音痴がー!といった叫び声が響いている。いつも通りの放課後だ。


 弓道場はグラウンドの隅、ハンドボールのコートと背中合わせに建っている。金網、ネットの向こうではサッカー部が走り回り、通路を挟んだ向こう側には様々な音が響いてくる体育館がある。
 グラウンドに面した細い道に入ると、弓道場から、ひゅ、と風を切る音がした。ちらりと的に目をやれば、そこには矢が刺さっていた。
 部員の誰かが練習をしているのだろう、自分より早いということは中等部の誰かかもしれないと袴やゆがけのチェックをし、藤内は中へ続く扉を開けた。
 そして、藤内は驚きに目を見開くことになる。

「う、あ、えっ?」
「お疲れさまです。浦風先輩」
「あ、ああ、お疲れ、立花…と…」
「こんにちは。お邪魔してます」
「こ、こんにちは、乱太郎先輩…」

 弓道場には中等部1年1組の弓道部員である立花仙蔵と、弓道部員ではない猪名寺乱太郎の二人がいた。
 袴にゆがけ、手には弓を持つ仙蔵は、目の細かい金網の外にいる乱太郎と会話をしていたようで、半身で藤内に挨拶をした。乱太郎はスケッチブックと鉛筆を手にしている。親しげな仙蔵と乱太郎を交互に見ながら、藤内は口を開いた。

「どうしてこんなところに乱太郎先輩がいらっしゃるんですか?」

 確か乱太郎は陸上部であったはず、と藤内は速くなりはじめた心臓の音を聞きながら思い出す。何度か走っている姿を見掛けたこともあるし、部室棟でも陸上部のユニフォーム姿の彼女を何度も目撃している。
 陸上部が練習に使っているのは弓道場の対角線場にあるグラウンドの端だ。こちら側には用事はないだろうに、そんなことを考えていると、乱太郎は笑いながらスケッチブックを掲げてみせた。

「実はね、私、美術部員でもあるんだ。めったに顔出せないんだけどね。それで、前々から弓を射る姿を描かせてもらおうと思って仙蔵くんにお願いしてたんだけど…」
「今日、弓道部は自主練日ですから、それほど先輩方の邪魔にならないだろうということで。…この時間ならまだ誰もいらっしゃらないと思ったのですが」

 乱太郎はにこにこと笑いながらいきさつを説明してくれたのだが、仙蔵の方は見るからに二人きりの状況を邪魔されて不服であるという顔をしていた。
 ああ、そうか、お前もなのかと、あまり気付きたくなかった事実に気付かされつつ、藤内はそうだったのかと口にした。

「ところで乱太郎先輩、今日陸上部はどうされたんですか?」
「今日はね、お休み。補習のある子や委員会活動の子がいるみたいで、うちあんまり人数いないし大会も終わったばっかりだから休みにすることになったんだ」
「え、乱太郎先輩補習は」
「今日は文系科目の補習なんだよー。私これでも理系だからさ」
「ああ、そういうことなんですか」
「乱太郎先輩は看護学部を目指していらっしゃるのですよね」
「うん、一応ね」

 数学が壊滅的で結構ギリギリなんだけどね、と苦笑いする乱太郎に、先輩なら絶対に大丈夫です山田先生もそうおっしゃっていましたと中1には見えないほど淡く大人っぽく微笑んだ仙蔵から、色々なものが飛んでくるのを感じる。
 これ確実に邪魔だと思われてるよな、と肌にぴりぴりする仙蔵の念を感じながら、藤内は弱く笑った。

「あ、ごめん!つい話し込んじゃった!藤内くんこれから練習するんだよね」
「え、あ、はい。そのつもりで来ました」
「じゃあ私そろそろ部室に戻るよ」
「えっ?」
「…先輩、帰ってしまわれるのですか?」
「いや、やっぱり練習の邪魔になっちゃうかなって…」
「邪魔なんて、そんなことないです。問題ないですよね?浦風先輩」
「うっ…」

 仙蔵に問い掛けられた藤内は、一瞬息を詰まらせた。乱太郎に練習を見せて平静でいられる自信がなかったのである。
 弓道を始めてから今年で四年目、いくつか大会にも出場したこともあるし、普段も中等部高等部入り乱れて練習を行うこともある。
 高等部の某先生のように人の目を気にする性格だったら(弓道に限ったことではないかもしれないが)やっていられないだろう。

 問題は、見られる人間が猪名寺乱太郎そのひとであるということだ。

 動揺する、絶対動揺する。いやむしろ現段階で現在進行形で動揺している。未来進行形で動揺し続けるだろう。
 藤内も年頃の男だ、好きなひとに自分の格好良いところを見せたいと思うし、話すチャンスをみすみす手放すような真似もしたくないとも思う。
 しかし、こんな状態で矢を射ってどんな結果になるかなど目に見えているではないか。

「浦風先輩?」

 仙蔵がこちらを見上げてくる。
 そう、彼も問題なのだ。家の教育方針だかなんだかで道と名の付くものは大抵経験があり、さらりとこなしてしまう仙蔵は、美少年然とした見た目とは異なりかなり肝が据わっていて、ちょっとやちょっとのことでは動揺しない。こういう状況で焦るどころか逆に力を発揮する羨ましいタイプの人間だ。
 浦風先輩、どうかなさったのですか、と心配そうに尋ねてくるその顔の端に一瞬だけニヤリと笑みが見えた気がした。私は乱太郎先輩の前でも普段通りに射る自信がありますが、先輩はいかがですかと、挑戦するような目だった。
 これに、ぐるぐると悩んでいた藤内の中に火が着いた。

「大丈夫です。俺も気にしないですから、好きなだけ見ていってください」
「えっ?いいの?」
「はい、大した腕ではないですが…」
「ありがとう!実はね、伝七から、今の弓道部でとっても綺麗に矢を射るのは仙蔵くんと藤内くんだって聞いてたから、藤内くんのも見たかったんだー」
「あ、そ、そうなんですか、ありがとうございます」

 じゃあできるだけ二人の気が散らないようにするからね、と嬉しそうに微笑んだ乱太郎を前に、黒門先輩ありがとうございます、でもちょっとプレッシャーが強くなりましたと叫びたくなった藤内であった。





 その後、なんとか普段より若干乱れる程度で射終わった藤内と、普段より調子良く射った仙蔵がいたのだが。

「すごいねー、あんな遠くの的に簡単に中てちゃうなんて」
「ありがとうございます。でも、黒門先輩の方がもっとすごいんですよ。俺なんてまだまだです」
「私も先輩方には遠く及びません。おやめになってしまわれましたが、笹山先輩も素晴らしい腕前ですし…」
「そういえば中等部の頃は弓道部にいたんだよねえ、兵ちゃん。一回誘われて試合見に行ったっけ…三年の、夏の大会だったかな?最後だからって」
「あ、その時のこと俺覚えてます。笹山先輩と黒門先輩のすごい対決ありましたよね」
「あったねー。あの時私、伝七と目があっちゃって。後でお前と目があったから動揺して外したんだって怒られちゃった」
「…黒門先輩…」
「言うなよ立花、俺は黒門先輩の気持ちが痛いほど分かる…」

 好きな子に見つめられて動揺してしまったかつての先輩と、おそらく好きな子に見つめられていたからこそ優勝したかつての先輩のことを思いながら、様々な話に花を咲かせた。
 三人で、という辺りは惜しかったけれど、なんだか少し距離が縮んだような気がしたある日の放課後の出来事であった。


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 なんとなく作法の面々には弓道が似合うような気がしたので、彼らには弓道部員になってもらいました。ただ、綾部だけは穴を掘るのに忙しいので帰宅部かと思いますが。
 一応調べはしたのですが、弓道に詳しいわけではないので、もしかしたら間違っている部分もあるかもしれません。これ違うよーとかありましたらそっと教えてやってください。
 中等部に弓道部があるかどうかの辺りはフィクションなので、この学園には存在するということにしといてください…


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