一等の称号



 一等好きな先輩がいるんです、そう言って少女は笑う。その笑顔は温かくて幸せそうで、だからこそ彼をどん底までたたき落とすには十分だった。





「うわ、こんなところで膝抱えて何してんだよ伊作」
「……」
「な、何かあったのか」

 夕暮れ誰そ彼の時刻まではまだ時間があるというのに、その部屋は闇に沈んでしまったかのように暗鬱な雰囲気に包まれていた。
 その雰囲気を作り出しているのはどうやら部屋の入り口近くで膝を抱えている同室の友人のようだ。その友人である伊作に声を掛けた留三郎は、この世の終わりかとも思っていそうな様子にただ事ではないと深くは考えずに問い掛けた。
 普段、あれほど伊作に苦労させられているということをすっぱりと、こういう状態の伊作はこれ以上なく面倒だということもすっぱりと忘れ去っていた彼は後に後悔することになるのだが、その時の伊作があまりにも沈痛な表情でこちらを見上げてくるので、尋ねざるを得なかったのである。
 留三郎の問い掛けを受けた伊作は、ゆらりと立ち上がると暗い色をした目で留三郎を見据えた。

「……お前か……?」
「は?」
「お前が乱太郎をたぶらかしたのかー!!」
「何の話だー!?」

 沈痛な表情を一転、鬼神が降臨したかのように眉を吊り上げた伊作は、問答無用と言わんばかりに拳を唸らせた。驚きはしたものの、間一髪で伊作の攻撃をかわした留三郎は身に覚えのない攻撃に叫ぶ。
 避けられた伊作は盛大に舌打ちをすると、崩れかけた体勢を素早く立て直し、再び留三郎に攻撃を仕掛けた。

「避けたということはやっぱりやましいことがあるんだな!今なら骨を一本複雑に折るくらいで許してやるから大人しく殴られろ!」
「やましいことなんてねえよ!その前にお前が言ってることの意味が分からん!というか乱太郎がどうした何があったんだ!」

 やたら重そうな一撃一撃をどうにかかわしながら、留三郎は伊作に問う。
 普段は温和でのへらとしている伊作がこれ程までに怒り狂うのは、先ほど伊作の口から出た名前の少女が原因であるときばかりである。乱太郎をこれ以上なく溺愛する伊作が、彼女に不逞を働こうとする輩に鉄槌を食らわせる場面に居合わせ、しかも何度も何度も、何度もそのとばっちりを受けてきた留三郎は、伊作の台詞から自分が乱太郎に対して何かしたのだと疑われているのだと直感した。
 それは勘違いも甚だしいのだが、「乱太郎をたぶらかした」という言葉を見過ごすことはできなかった。自分でなければ誰かが乱太郎をたぶらかすとまでは行かなくとも、乱太郎に何かしたと考えられないことはない。
 乱太郎のことを憎からず、いやむしろ思いきり好いている留三郎が伊作の発言を流すことができなかった理由はその辺りにあった。

 しかし頭に血が上っているらしい伊作は白々しいと言葉を投げつけてくる。

「なんだこの馬鹿惚気のつもりか馬鹿!」
「白々しいも何も身に覚えがねえんだから当たり前だろうが!しかもてめえ二回も馬鹿って言いやがったな!?」
「じゃあ乱太郎の一等好きな先輩って誰なんだよ!それにお前は馬鹿だから馬鹿って言ったんだバーカバーカ!」
「てめぇえええええ!……って、乱太郎の一等好きな先輩…だと…?」

 どういうことだ、と留三郎が伊作の拳を叩き落としたのと同時に、部屋の入り口から声が掛けられた。

「伊作先輩、食満先輩、どうなさったんですか!?何かあったんですか!?」
「乱太郎」
「乱太郎!!」

 ひょこりと顔を覗かせたその子を視界に認めた瞬間、伊作は留三郎を突き飛ばしつつ入り口に向かう。縋り付く勢いで抱き込まれた乱太郎は若干よろけつつもなんとか伊作を受け止めた。
 僕は認めないよ、留三郎なんか絶対に駄目だからね!乱太郎が傷つくだけだと本人を目の前に酷いことをわめく伊作に説明を求めようとした乱太郎は、今は何を聞いても無駄だと悟ったのだろう。困り顔で留三郎に視線を寄越した。

「あのう…」
「あー…俺もいまいち話を理解できていないんだが、乱太郎、お前」
「好きな人ができたんだろう!?」
「…はい?」
「…あー…翻訳すると、一等好きな先輩って誰だ、だな」

 自分の両肩に手を置いて真剣な顔で叫んでくる伊作と、口の端を引きつらせている留三郎を交互に見比べた乱太郎は、ひとつ首を傾げた。
 その様子は贔屓なしに見てもとても可愛らしくて、留三郎が思わず顔を赤くしていると、乱太郎は思い当たる節があったのか、ああ、と明るく笑った。

「それはですね、」
「駄目だよ乱太郎!誰に何を吹き込まれたか知らないけど乱太郎にはまだ早いからね!というか君をたぶらかしたのは誰だ!そういえば留三郎はヘタレだったからまあ除外してやるとして、鉢屋か?それとも久々知?いや竹谷か、尾浜か、不破…いや、やっぱり鉢屋か!」

 あの×××野郎!と文字にするに憚れる台詞を吐いた伊作を見上げて、乱太郎は伊作先輩落ち着いてくださいと宥めようとするのだが、伊作は聞こえていないようで、疑う範囲を五年生から委員会へと広げ、体育委員がどうの火薬委員がどうのと騒いでいる。

「……あの、食満先輩。伊作先輩は何かあったんですか?何か変なものでも食べたんでしょうか」
「通常運行だ、安心しろ。それより何か言いかけていたようだが…」
「ああ、そうです、そうなんです!食満先輩、私、食満先輩のこと、一等好きです!」
「え」

 ふわりと日向の花が綻ぶように微笑んだ乱太郎に、留三郎は思考停止した。あれ、俺って幼女趣味あったっけと何を今更な事実が脳内を駆け巡る。だが乱太郎の台詞は留三郎の幻聴であり白昼夢でもあったらしく、乱太郎はこんな否定の言葉を口にした。

「さあ、乱太郎。引っ掛かりましたね、嘘ですよざまあみろこの幼女趣味の変態って言ってごらん」
「え?ええ?」
「伊作!てめえこそ認めたくねえからって変な解説入れてんじゃねー!」
「認めたくないんじゃない、事実じゃないんだから認めようがないの間違いだっ!けど不愉快には変わりない、ちょっと殴らせろ留三郎」
「お前はどこぞの舅か!」
「あ、わわ、落ち着いてください伊作先輩!私、伊作先輩のことも一等好きです!」

 伊作の伝説の左が唸りをあげかけた瞬間、乱太郎が叫んだ。すると伊作、先ほどまでの恐ろしい顔をあっさりひっこめ、僕も大好きです!と乱太郎の小さな体を抱き込んだ。
 簡単な奴だと思いきりため息をついた留三郎は、潰されかけている乱太郎を救出してやりながら、どういうことかと問い掛けた。

「どういうことってどういうことですか?」
「いや、一等と言ったら普通は一人だろう?一等って一番、とかそんな意味だし」
「つまりやっぱり留三郎の方は勘違い」
「頼むからお前は黙っててくれ」
「え、駄目でしたか?」
「駄目というか…」
「だってお二人とも本当に大好きな先輩なんです。お二人だけじゃなくて皆さんが本当に本当に大好きで、あの、一等って確かに一番って意味ですが、『一』に『等しい』と書くでしょう?私にとっては先輩お一人お一人が『一』に『等しい』んです。だから、その…」

 皆が一等大好きなのだと消え入りそうな声で乱太郎は呟く。伊作と留三郎はしばらく乱太郎をまじまじと見つめると、ほぼ同時に苦笑を漏らした。

「そっか、そういうことだったんだ」
「え、ええと、はい」
「なんともお前らしい考え方だな」
「あ、や、やっぱり変ですか?」
「ううん、乱太郎らしくて良いと思うよ。ちょっと残念だけど、安心もしたし」

 きょとんと見上げてくる乱太郎にひとつ笑いかけると、伊作は乱太郎の後ろに回り、その両耳を手で覆った。疑問符を飛ばす乱太郎の背後から、伊作は留三郎に向かって何やら黒いものを飛ばす。

「どうやら乱太郎の『一等好き』はまだ『ただの先輩』に対するものみたいだから、『大好き』って言われたことは今日のところは許してあげるよ。でももしこれが『一番の意味で一等大好きな男のひと』になった日には」
「分かってる、安心しろ。その日には手加減無しで戦ってやる」
「まあ乱太郎が留三郎をそういう目で見る日は来ないと思うけどね」
「お前こそ優しい先輩止まりだろうよ」
「なんだと」
「やるかこの野郎」

 大好きな先輩二人の不穏な雰囲気に気付くこともなく、伊作に耳を押さえつけられたままの乱太郎は、お二人は本当に仲が良いんだなあなんてズレたことを考えていた。

 これが後に大量の勘違いを生む事件の始まりになるとは、このとき目の前のライバルに殺気を飛ばすのに忙しかった二人が気付くことはなかった。


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 日向さんに捧げます、相互記念のお話でした。留三郎と乱太郎と伊作のコメディかほのぼのというリクエストをいただいたのですが、予想通り(?)留三郎が巻き込まれ不憫に、伊作が兄馬鹿風味になりました…
 乱ちゃんを巡る六年は組の二人のやり取り、とても楽しく書かせていただきました。日向さんに少しでも楽しんでいただければ幸いです。

 日向さん、相互してくださってありがとうございました!これからもよろしくお願いしたしますv


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