その兄、心配性につき



 ここは大川学園高等部。その一角にある保健室は異様な雰囲気に包まれていた。

「今日君達に集まってもらったのは他でもない、我が家のアイドル乱ちゃんに危機が迫っている」

 重い空気の中、そう切り出したのは高等部3年3組保健委員長の善法寺伊作である。彼は中等部・高等部合同委員会の開会を前に、特別に早く集合を掛けた三人の中等部の生徒に向かって至極真剣な表情で口にした。
 口を開かなければイケメンという残念なレッテルを貼られている彼を前に、三人は困ったような呆れたようなため息をそれぞれ吐いた。

「ですよねー」

 これは中等部3年3組の三反田数馬の言葉だ。伊作から重要なミッションに付いてもらいたいという仰々しいメールを受け取ったときからそんな予感があったとその顔は語っている。

「むしろそれ以外考えられないですよね、もう…」

 そう言って乾いた笑いを漏らしたのは中等部2年1組の川西左近だった。数馬と同じように伊作に苦労させられているのが良く分かる顔をしていた。

「伊作先輩、乱ちゃんに危機ってどういうことですか?」

 先輩二人よりは若干ダメージの少ない中等部1年2組の鶴町伏木蔵は、伊作に問い掛けた。
 まあなんとなく想像は付いているのだけれど、「乱ちゃん」は自分にとっても大切な女の子なので(むしろ恋愛的な意味で好きなのだがはっきりそう告げると恐ろしいことになるので口にしないようにしている)、彼女に何かあるというのなら黙ってはいられない。
 これは伊作の奇行…もとい少々行き過ぎた妹への心配性の犠牲者でもある数馬と左近も同じようで、一体何があると言うんです、と真面目な顔になった。

 あえて言おう。全員乱ちゃん馬鹿であると。

 後輩三人の真剣な目を集めた伊作は、地の底から響いてくるかと勘違いするほど低い声でこう呟いた。

「…実は明日…うちに奴らが勉強しに来るんだ」
「な、なんですって…!?」
「奴らって…まさか…!」

 保健室にざわ…とざわめきが走る。がたりと座っていたパイプ椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった三人に向かって、伊作は「奴ら」に当たる人間の名を口にした。

「そう、ドSと寝不足と暴君と無口と不憫」
「不憫て」
「それをほぼ元凶のあなたが言いますか」

 名前、もとい二つ名を挙げ連ねた伊作に、数馬と左近はツッコミを入れる。とは言うものの、ドSや寝不足という言葉はその通りなので(この辺り、本人にばれたらただでは済まなそうである)、最後の「不憫」にのみ彼らは反応した。
 伊作と何年も同じクラスで勉学に励んでいる「不憫」こと食満留三郎は、どう考えてもどこかの誰かの不運が伝染したとしか思えない運の悪さを発揮しており、ザ・不運だの不運オブ不運だの呼ばれる保健委員としても無視できない存在だ。
 そんな友人を、どこかの誰かはあっさりと「不憫」と称した上、だって事実だしとさらり宣った。

「まあ確かに不憫ですけどね、食満先輩…」
「左近お前それ絶対本人の前で言うなよ、殴られるぞ」
「ああもう留三郎のことなんてどうでも良いんだよ!問題は奴らがうちに来るってことなんだ!」

 色々とひどい台詞を吐く伊作に、まあ確かに食満先輩が不憫という話は今はどうでも良いとひどいことを考えた三人は話に戻る。

「でも勉強するんですよね?だったら…」
「絶対建前なんだよ!奴ら乱ちゃんと出会いを果たしてフラグ立てようとしてるに違いない!」
「数馬先輩、左近先輩、僕の勘違いですかね、それが本当になるとしたらほぼ伊作先輩の自業自得ですよね」
「まあ…確かに伊作先輩…乱ちゃんがいかに可愛くて愛らしくて可愛いかを思いっきり語るからなあ…」
「そりゃ興味持たれるよなあ…まあ確かに乱は本気で可愛いけど」

 ぐっ、と握りこぶしを作り、恐ろしい顔をする委員長の周りで、三人はひそひそとやり合う。
 自分たちも身に覚えがある。シスコン・オブ・シスコンである伊作は、妹である乱ちゃん(本当の名は乱太郎と言う)を語らせると長かった、とにかく長かった。
 大抵の人間は呆れるか呆れるか呆れるかするのだが、稀に伊作が語る「乱ちゃん」に興味を抱く人間も存在する。
 それがまた一癖も二癖もあるような人間ばかりで、兄である伊作は何かと苦労をしているようだ。
 それは自業自得である部分が大きく、興味を持たせるような発言をしなければ良いだろうになどと三人は思うのだが、彼は可愛くて仕方ない妹については黙っていられないらしい。
 左近が発した「乱は本気で可愛い」という言葉に耳敏く反応した伊作はでれっとした顔をした。
 三人は見慣れていたがあえて言いたかった。鬱陶しいと。言えるはずはなかったけれど。

「そうなんだよ!昨日もさ、カレーにチーズとトンカツ乗せたやつ夕飯に食べたんだけど、それ見て真剣な顔して『ねぇ伊作兄ちゃん、これチーズカツカレーって呼べば良いのかな、それともカツチーズカレー?チーズカツカレーだとチーズ入りのカツって思われちゃう気がするんだよね…うーん、難しいなあ』って言うんだよ!?ほんと可愛いよね…!」
「…数馬先輩、左近先輩」
「みなまで言うな、分かってるよ伏木蔵」
「伊作先輩のツボってよく分からないよな…」

 まったくである。

「そんな乱ちゃんが奴らに見つかったら何もかもが終わる!はい終ー了ー!!」
「伊作先輩とりあえず落ち着いて下さい」
「で、僕らは何をすれば良いんですか?そのために呼ばれたんですよね、僕ら」

 このシスコンを格好良いだのイケメンだの穏やかで優しいだの言う人間に今の伊作を見せてやりたいと思いつつ、数馬と左近は先を促した。伏木蔵もこくこくと頷いている。
 早くしなければ他の保健委員たちがやって来てしまう。その中には乱太郎も含まれているのだ。伊作ほどのレベルではないとしても、十二分に乱ちゃん馬鹿である三人は乱太郎の心を煩わせるような真似はしたくないと思っていたので、乱太郎親衛隊の隊長である伊作の指示を待った。
 伊作はこほん、とひとつ咳ばらいをすると、三人に向かって言い放った。

「では君達に任務を与える!君達には明日の放課後、乱ちゃんを保護してほしい。学校終わったらすぐに乱ちゃん連れて三人の誰でも良いからその家で宿題見てあげて。いじめたら分かってるよね左近」

 伊作はちろりと左近に視線を投げる。
 初等部に所属していた頃、その年頃の少年ならよくあるように好きな子に対して素直になれず、友人と一緒になって乱太郎をからかっていた左近はもう子どもじゃないですからいじめたりなんかしませんと伊作の視線を前にはっきりと告げた。ただし、目は多少泳いでしまったが。

「本当に…?」
「し、しませんよ!本当ですって!」
「なら良いけど、あとで乱ちゃんから話聞くからそれを忘れないように。あ、お願いできるよね三人とも」
「それは勿論構いませんよ。僕らだって乱ちゃん守りたいですから。なあ左近、伏木蔵」
「はい」
「任せてください。…場所どうしましょう?誰の家にしますか?」
「そうだなあ…伏木蔵の家の近所はあれだろ、雑渡さんエンカウント率が高いから危険だし…」

 鶴町家、気さくな包帯セクハラおじさんエンカウントが危惧されるため却下。

「数馬先輩の家はよく迷子コンビとその保護者が来るし…」

 三反田家、決断力のある乱ちゃん馬鹿と無自覚な乱ちゃん馬鹿、そして縄の似合う乱ちゃん馬鹿の乱入が予想されるため却下。

「左近先輩の家は…」
「うちは最もダメだろ。うちには…アイツが来る可能性がある」
「ああ…あのツンデレか」

 川西家、未だに乱ちゃんに対して素直になれない恋愛偏差値小学生レベルの某氏の突入の可能性があるため全力で却下。

「…なんかうちに居させるのが一番安全な気がしてきた」

 決まらない乱ちゃんの保護場所、同級生・同学年の友人への応対、そして皆から思いを寄せられる妹へ迫る危機…
 伊作兄さんの苦労はどうやら、これからが本番のようである。


_ _ _ _ _

 最強の(シスコン)お兄さん伊作と巻き込まれる保健委員の皆さんでした。伊作に振り回されつつ、彼らも立派に乱ちゃん親衛隊をやってくれてると思います。
 同じ穴のなんとやらといいますかなんといいますか…

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