気の赴くまま
可愛くて可愛くて仕方ないあの後輩の姿を見つけたら、一も二もなく抱きしめにいくのが兵助の信条である。
どんな邪魔が入ってもその信条には素直であろうと思っている。
一日の授業を終え、夕食までまだしばらく時間のあるぽかりと浮いた放課後、中庭の大きな木の下で座り込んでいるその姿を見つけた。
どうやら写生をしているらしい。楽しそうに筆を動かす横顔を眺めながら、紙と風景を交互に見遣る常磐色の目に映る景色はさぞ美しいことだろう、などと思う。
季節に彩られる木々や山々を愛おしげに見つめるその表情を傍で感じたくて、兵助は木の下へと足を向けた。
後輩の姿をその視界に認めてからここまで、約0.3秒ほどである。
「乱太郎、何を描いてるんだ?」
「わぁ!…あ、久々知兵助先輩こんにちはー」
気配を隠していたつもりはないのだが、声をかけると乱太郎は大げさに肩を揺らした。
ほぼ毎回のこととは言え、その反応は可愛らしくもありちょっとショックでもある。内心苦笑しながら兵助は、乱太郎は手の中にある紙を覗き込むようにしてさりげなく肩に手を置いた。
「こんにちは。それ、見ても良いか?」
「え、あ、これですか?はい、どうぞ」
乱太郎は兵助の手が肩に置かれている状況にさして疑問を抱いていないようで、求められるままに筆を走らせていた紙を兵助に差し出した。にこにこと明るい笑顔付きである。
やっぱり可愛いなあと知らずの内に兵助も釣られて笑顔になりながら、紙に目を落とした。
「…すごいな」
心から、そう思った。
墨一色で何故これ程までに鮮やかな絵を描くことができるのだろう。強弱をつけて縦横無尽に紙に走る線は、一本一本を見ると何の意味もないように見えたが、重なり合い、増えていく線が山の稜線や木々の葉一枚に至るまでの景色をそのまま写し取っているように思えた。
いや、目に映る景色がそのまま紙の上にあるというのは正しくない表現かもしれない。
好き勝手に遊んでいる線が、自分の心の中にある見知った景色を思い起こさせるというか、上手く言えないけれど、そんな絵だと兵助は感嘆のため息をついた。
あまりに感動したので、自然と乱太郎の肩にかけた手に篭る力が強くなる。乱太郎の顔がより一層、近付いた。
「本当に乱太郎の絵はすごいな…俺はそれほど絵に興味ないけど、乱太郎の絵は好きだ、うん」
「あ、あのー…そう言っていただけるのは非常に恐れ多い気もしますが、嬉しくもあるんですよ、嬉しいんですが…その…久々知先輩…」
「ん?どうした?」
「ちか、近いです…!」
鈴を振ったようにころころと響く声に、兵助は乱太郎の顔を覗き込んだ。見開かれる常磐色の瞳に自分の黒が映り込む。
この目に自分はどんな風に映っているんだろう、自分は乱太郎を視界に映すと褪せた世界も輝いて見えるようになったりもするのだけれども。
できれば「特別」に見えていたら嬉しいのだが…。
そんなことを考えていた兵助は、乱太郎の瞳に吸い込まれるように顔を近付けていった。
だから近いですって言ってるのにどうして余計に近付いてくるんですか!と半分悲鳴のような声を上げているのを聞いているような聞いていないような返事で流した兵助は、背後から飛んできた殺気に顔をあげた。
「!」
「へ?あれ?久々知先輩?」
「ひい、ふう、みい…うーん、数えるのも馬鹿らしいくらいに増えていくな」
「え?何がですか?というかなんで先輩私を抱き上げるんですか?」
背後からだけでなく、四方八方から降り注ぐ殺気を受けて、兵助はあることを決めた。
無数の殺気をまったく感じていないらしい(その殺気は乱太郎へ向けられているものではないから当然といえば当然ではあるが)乱太郎を抱え上げると、遠くで誰かの叫び声が上がった。
兵助はその叫びを合図に走り出す。
「逃げるぞ、乱太郎」
「え、何からですか!?私逃げなくちゃいけないようなことをした覚えがこれっぽっちもないんです、んがっ!」
「口閉じてた方がいいぞー、って遅いか」
舌を噛んでしまったらしい乱太郎を抱えて兵助は走る。どこまで走ればライバルたちを出し抜いて、乱太郎を思う存分抱きしめられるだろうか、なんて考えながら、走る。
だって俺、乱太郎のことが可愛くて仕方がないんだ。姿を見たら抱きしめたいと思うのは自然な欲求だろう?うん、自然な欲求だ。
せっかくだから乱太郎に自分の絵を描いてもらったりしてみようか。その目に映る俺は、どんな姿をしているのか知りたいと思うのも自然な欲求。
できれば、自分が乱太郎の「特別」であってほしいと思うのも、自然な欲求だ。
だって、俺は。
(きみのことがすきなんだ)
欲求に素直な青年は、やがて眼前に現れた同学年の友人をさてどうかわそうかと思考に沈んだ。
おまけ
「兵助ぇえええてめぇ今すぐ乱太郎を離しやがれ!」
「羨ましいからって怒りを俺に怒りをぶつけるのはどうかと思うぞ、はっちゃん」
「黙れこの豆腐がぁあああ!がたがたぬかす前にこっちに乱太郎寄越せ!!」
「素直なのは良いことだよな、三郎。だが断る」
「兵助…いい加減にしないと、僕も黙っちゃいないよ…?」
「うわ、雷蔵こわっ、見たか乱太郎あれが雷蔵の真の姿だ」
「くくっちゃん、いやもうほんとそろそろ乱太郎離した方が良いって…」
「勘ちゃんまでそんなこと言うのか?皆が何と言おうと俺は乱太郎との愛に生きる!」
「いやまだ恋仲じゃないだろ、くくっちゃん…じゃなくて!」
「「「どこの五年い組の豆腐小僧が乱太郎を拉致したってぇえええ!?」」」
「ほらー!!だから早く離した方が良いって言ったんだ!!」
「…さすがに六年生相手は危機としか良いようがないな…よし、乱太郎」
「は、はい」
「三十六計逃げるに如かずだ!」
「えー!?」
「豆腐が逃げたぞー!」
「追えー!追えー!」
「俺達も先輩方に続けー!」
「…そろそろくくっちゃんの友だちやめたい」
がんばれ勘ちゃん←
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